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ゲーテによる「全てがかっこいい本」

「全文全てがかっこいい本。必ず影響を受けるはず。」これは昔読んだ図書館の本紹介に乗っていた文章である。取り上げられているのはゲーテの『ファウスト』であり、まんまと罠にかけられた私は無事に影響を受けた一人になった。


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確かに『ファウスト』にはこれ一つから名言集を作れるような名文が詰まっている。この本ができた時代や文化が私たちのものとかけ離れているにも関わらず、感動を与え続けていることを思うとゲーテの巧みさがよくわかる。

『ファウスト』は、それ自体が一つの芸術作品として完成されているだけでなく、時代や文化、人生に関する深い洞察を提供してくれる作品でもある。人生について悩み、希望を捨てきれずにいるファウストの姿は、私たちの心の内にも通じるものがあるはずだ。

また、この作品は単に小説や演劇として楽しめるだけでなく、文学史においても重要な位置を占めている。19世紀のロマン主義文学や象徴主義文学に大きな影響を与え、今日まで多くの作品や文化に影響を与え続けている。『ファウスト』は、ゲーテが人生を捧げたように、多くの人々の人生にも影響を与えてきた作品なのだ。

『ファウスト』はゲーテが人生を捧げたと言っても良いほどの作品である。人生に愛想をつかしている一方、死を選べるほどには希望を捨てきれないファウストが悪魔の手引きによって冒険し、その中で愛や芸術、神話に向かっていく。このプロットだけでも目を見張るものがある。

もちろん元来のファウスト伝承を元にしているのだが、この悩める主人公と悪魔の二人組という登場人物は作品に多くの深みをもたらしている。例えば小説において露骨に作者の考え方が現れていたり、あからさまに教訓じみた内容だと、作品の印象というのはその教えを受け入れられるか否かにかかってきてしまう。皮肉や風刺も程よくあれば面白いが鼻につくこともある。

その点を考えるとメフィストの「悪魔」という立ち位置は便利に違いない。どうせ悪魔の言っていることだから人を堕落させるための文言である。教訓は聞き流せるし、皮肉はむしろ義務として許されてしまう。そして隣には悩める主人公や人間たちがいるのだから「助言」したくなるのも仕方ないという具合である。

メフィストが学生に助言をする場面は特にそれが現れているが、この学生はもう一度現れて悪魔すら困らせる厄介者になっている。2つの場面は時間を空けて書かれているので、この若者の変化は作者の心境の変化と連動していたのかもしれないが、最初から構想があった可能性も十分にあるだろう。

便利な立場とはいえ古い存在であるメフィストが、逆に新規さを振りかざしている学生を説得できなかった様子は、優れたものでも徐々に求心力を失いかねないという戒めのようにも感じる。もっとも悪魔本人はそこまで気にしてはいないようではあるが。

古典が古臭い骨董品として扱われるか、それとも新鮮さを保った名作として生き続けるかはここにかかっているのだろう。書かれた当時は生き生きとしていた理想や思想も、時代を経るとその文脈を失い使い古された教訓のように感じる。抽象的な内容なら認識の差も起きにくいが、具体的な議論になるほど時の変化を受けやすくなってしまう。

この時の試練をゲーテが潜り抜けられた理由には上に挙げたプロットなどの技術的な巧みと鋭い人間への洞察とがあるだろう。前者はある段階までは鍛錬を積むことで身につくかもしれない。三島由紀夫などもこうした「練習」に言及している。一方で洞察力は一朝一夕では身につかないものである。

ゲーテの作品は他にも多数あり、小説や戯曲、詩など分野も多岐にわたるが、さらに骨学や色彩に関する科学的研究も行っていた。本人曰く「気高い人間が狭い範囲に教養を負うことはあり得ない。」らしい。専門分野に篭りがちな現代人には耳が痛い言葉である。

鋭い目を持って世界を見るゲーテの能力はこの広い視野に裏付けられたものだったのだろう。同じ出来事や情景でも、芸術家が見るのと科学者が見るのとでは印象が大きく変わるだろう。その目をいくつも持つことができるなら多彩な世界観を作り上げられるのも納得がいく。

加えてエッカーマンが書き残した『ゲーテとの対話』も半分ゲーテ本人の著書と同格に扱われているところがある。この『ゲーテとの対話』はニーチェをはじめ様々な人物も称賛している。確かに学ぶべきところの多い名著ではあるが、やはりゲーテ本人が遺したかったものは言動より作品の方にあっただろう。

芸術家よ、創れ!
語るなかれ!
吐くひと息も詩であれ!

ゲーテ

教訓や理論を考えることは簡単だが、それが人の心を打つことができるかは別の問題である。誰にも顧みられなくてはファウストのように諦観を抱いてもおかしくない。そう考えると真剣さを考えものだろう。さまざまな意見が飛び交う時代だからこそ、私たちはメフィストを、悪魔を心の隣に置いておくべきなのかもしれない。

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