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100の読書記録

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自分で読んだ本についての備忘録です。本選びの参考にどうぞ。既に読んだものを含めて百冊分になる予定。
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#読書感想文

三島由紀夫『不道徳教育講座』

子供のころ「道徳」の授業があった。他の教科と同じように教科書が1人ずつ配られて、たいていの授業はそれを読む形だったと思う。一応感想文のようなものを書いたはずだが、内容はあまり覚えていない。確か平和や差別についてなどさまざまな話題を扱っていたはずである。 頭に残っていないのは我々子供の不手際でもあるのだが、当時の素直な印象としては、先生方もその扱いに若干困っていたように見えた。算数などと違って明確に答えを出して答案で評価するわけにもいかないので当然だろう。 私の世代は一応は

三島由紀夫『小説家の休暇』

4月から新しい手帳を買ったのだが、毎日書き続ける習慣がどうも身につかず結局2日ごとにまとめて書くような使い方をしている。生活の中で書き留めておくべきことも思いついたこともあったはずなのに紙とペンを手にすると何となく手が進まなくなってしまう。頭の中で無事だったアイデアも外に出せば消え去ってしまうこともよくある。 そう考えてみると小説家や思想家が遺した日記やメモがいかに偉大なものかよく分かる。出版を念頭に置いていなかった文章もあれば、ある程度読まれることも想定していたものもある

高貴な心で、信条通り正しく:『自省録』

行動と思考は相反するものである。それらに真剣に向き合ったことがあるならばこの両立の難しさは身に染みていることだろう。ところがこの2つは平等ではない。その良し悪しはともかく、思考なしで行動のみという生き方もできるだろう。しかしその逆は不可能である。 これは思考を放棄する理由にはならない。もし直感と経験だけをもとに行動するなら、それはほとんど動物と同じだろう。人間は行動と思考を、理性と感性を天秤にかける。その絶え間ない試みのひとつが表現されているのが『自省録』という本である。

だから童心にかえってみる:『この人を見よ』

ここのところ公的な文章を書くことばかりに四苦八苦していた。仕方のないことだとはいえ、時間をかけた割に味気ないものが出来上がっていくのは寂しくもある。文章というのは思っているよりも遊びを入れる余地が少ないものである。 アプリでもデザインでも何でもそうだが、自分で作るものにはある程度のユーモアや愛嬌を加えたいと思っている。先日リリースしたAIアプリに、わざわざキャラクターを考えて3Dモデルまで作ったのはそういう意図もある。 真剣なのはいいが真面目すぎると受け手側も窮屈である。

自分に満足しきった人々:「大衆の反逆」

どんな本かこの本はスペインの哲学者であるホセ・オルテガ・イ・ガセットによって1929年に書かれたものである。日本語訳も行われていて、文庫版も販売されている。 2020年に出版された岩波文庫版は本文に加え、「フランス人のためのプロローグ」および「イギリス人のためのエピローグ」も収録されているこのふたつの章は内容的に興味深いものでもあるので、いまから購入する方はぜひこの版をお勧めしたい。 全体で400ページ以上にもなるため、決してすぐに読めるわけではない。しかし、細かい章立て

サモア島の生き方に学ぶ:「パパラギ」

「パパラギ」とは何かこれは書店のフェアで偶然見つけた一冊だった。これはサモア島の酋長ツイアビの演説集という形で現代文化の見直しを図った作品である。変わったタイトルだが、「パパラギ」とは主に白人を指す現地の言葉である。 ちなみに、語り手である酋長はヨーロッパで暮らした経験があるといっているが、実際はこのような人物は存在しなかったというのが定説らしい。ただし著者のエーリッヒ・ジョイルマンがサモアに一年滞在していたのは事実である おそらく自分のヨーロッパでの生活を話したときの島

いま『責任と判断』について考えること

責任は誰にあるのか。判断はどのようにされるべきなのか。これは世の中の問題についてよく問われるところです。政治についての記事なんかを読めば、この2語が登場しない時はないといってもよいでしょう。 現代では、さまざまな報道や情報発信が個人でもできるようになりました。それにともなって、無責任な言動や判断の甘さが指摘されることも増えています。インターネットの発展は、責任と判断を問うような状況を増やし続けているのかもしれません。 ハンナ・アレント『責任と判断』という、まさにそのままの

見えるものと感覚:『色彩との対話』柳宗玄

ミニマリズムという考えは注目集めている考え方のひとつです。豪華な装飾よりも、実用的な美しさを追い求める動きも増えているのではないでしょうか。 いまや美術品だけが美しいものの代表だという人は少ないでしょう。デザインという言葉は建築から日用品までさまざまな場面で使われる言葉になりました。 日用品の中に美を見出す、という考え方について日本における先駆者として柳宗悦が挙げられます。 用と最も厚く結合する雑器に、工藝美の最も健全な表示があるのを説こうとするのである。用器と美器とは

「意識と本質―精神的東洋を索めて」を読んで

物事の「本質」というものは時代を問わず哲学の主題のひとつとして扱われてきました。プラトンのイデア論は言うまでもなく、またこれに対する考察だけでも数多くあります。 しかし、同じ「本質」についての議論で言えばイスラーム哲学や中国、日本などでのいわゆる「東洋」の思想について触れた本は比較的少ないものです。「東洋」という分類が正しいかはひとまず置いておくとしても、やはりこれらの思想は馴染みがないという人が多いのではないでしょうか。 また、最近はマインドフルネスや瞑想ブームで禅の考