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「意識と本質―精神的東洋を索めて」を読んで

物事の「本質」というものは時代を問わず哲学の主題のひとつとして扱われてきました。プラトンのイデア論は言うまでもなく、またこれに対する考察だけでも数多くあります。

しかし、同じ「本質」についての議論で言えばイスラーム哲学や中国、日本などでのいわゆる「東洋」の思想について触れた本は比較的少ないものです。「東洋」という分類が正しいかはひとまず置いておくとしても、やはりこれらの思想は馴染みがないという人が多いのではないでしょうか。

また、最近はマインドフルネスや瞑想ブームで禅の考え方などにも関心が寄せられるようになり、解説書も増えてきました。しかしそれらも解説に終始してしまって思想的な展開の例を示してくれるようなものはまだ数少ない印象です。

この「意識と本質」はそのような観点で大きな意味を持つものです。その内容について解説を行うことはもちろん私の手に余るので、今回はこの本を今読むべき意義を主題にしたいと思います。

日本・中国の思想を再考する

先ほどもお話ししたように、日本人にとって身近であるはずの日本や中国の思想について、私たちは案外知らないことが多いものです。いわゆる「デカンショ節」が聞かれなくなって久しいとはいえ、2010年にニーチェ関連の本が60万部も販売されているのとは対照的です。

とはいえ、かつての日本や中国の思想がもう遠いものになってしまったとは思いません。岡倉 天心の『茶の本』で道教の茶の湯文化への影響が示唆されているように、思想は生活や文化の中にも含まれているものです。

文化的な基礎があることは思想を読み進めていく上で助けになりますし、その分違った視点も持つことができます。著者が「本質」について考察を行なったように、私たちも古典的な思想を再考していくことで新たな観点を見出すことができるのではないでしょうか。

イスラーム哲学に触れる

本書で大きく取り上げられ、著者の研究の多くを担うものでもあるイスラーム哲学について考えることも多いに意義あることだと思います。よく言われる、異文化理解やニュースがよくわかると言った観点も良いものです。しかしそれ以上にイスラーム哲学には学ぶところがあります。

著者の他の本及び講演等でも触れられているところですが、イスラーム哲学はその教義と矛盾しかねないギリシャからの考えを大きく取り入れて成り立っているという特徴があります。

その葛藤を経て生まれたものがどのようなものであったか、どのような影響を与えたかということは、過去の思想を現在の価値観のもとに読み返そうとする私たち自身にも関わりのあることだと言えるでしょう。

最後に

最後になりますが、この本の最も意義深い点は著者の幅広い知識が自分の論展開の上で発揮されているということだと思っています。決して単なる解説や紹介だけにとどまるものではありません。

題の通り、意識と本質の関係を考察する上で東洋思想に触れていく形になっているので既に基礎知識のある分野でも新しい視点を得ることができます。その分読み進めるのに苦労があるとも言えますが時間をかけるべき本であると言えます。

ついでに

Instagramでも読んだ本の紹介をしています。おそらくnoteよりも更新頻度は高いと思うので本紹介がたくさん見たい!という方はこちらがおすすめです。


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