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サモア島の生き方に学ぶ:「パパラギ」

「パパラギ」とは何か

これは書店のフェアで偶然見つけた一冊だった。これはサモア島の酋長ツイアビの演説集という形で現代文化の見直しを図った作品である。変わったタイトルだが、「パパラギ」とは主に白人を指す現地の言葉である。

ちなみに、語り手である酋長はヨーロッパで暮らした経験があるといっているが、実際はこのような人物は存在しなかったというのが定説らしい。ただし著者のエーリッヒ・ジョイルマンがサモアに一年滞在していたのは事実である

おそらく自分のヨーロッパでの生活を話したときの島の人々の反応などを参考にしただろうから、完全に想像というわけではない。文化人類学者や文献学者は腹を立てるだろうが、このように外部の目に託した形で現代文化をみることは意義深い試みである。

現代批判

内容は島の人々から見たヨーロッパの批判といったものである。文明や技術の高さに驚きながらも、一方でその裏にある欺瞞を次々に明るみに出していく。1920年出版の古い本だが、現代でも耳の痛いものばかりである。

たとえば、パパラギたちの街では「何にでもお金」が必要になるといい、無料なのは「息をすることだけ」。巻末の解説でも触れている通り、二酸化炭素排出権の議論を見れば、息をすることも怪しくなってくる。

こんな一節もある。何について書かれたものかわかるだろうか。

パパラギは非常な情熱をかたむけて、このまやかしの暮らしにふける。そのために自分の本当の生活を忘れてしまうほどだ。この情熱はもう病気に近い。というのは、もし本当の人間なら、暗い部屋の中のまぼろしの生活などを追おうとはせず、明るい太陽の下、暖かい本当の生活を求めるはずだから。

文庫版p124 

これは映画のことをいっているのだが、当時はまだトーキー映画のみで、音声すらなかった。今ではこれと比べ物にならないほど進化した映像をスマートフォンでみることができる。「まやかしの暮らし」はずいぶん幅を利かせるようになったらしい。

本書の洞察の中には、このように年月を経ることによって鋭さを増したものもある。

なぜ読み継がれるのか

もっともこのように現代文化の批判というだけの内容ならありふれた本になっていただろうし、ここまで読み継がれることもなかった。書店を見れば現代に警鐘を鳴らす本ばかりでうるさいくらいだが、ほとんどはその批判対象よりも短命である。

この本の魅力は対置されている鮮やかな島の生活にあるだろう。広がる空と太陽のもとで行われる踊り、透き通った海に船を漕ぎ出す様子。部屋で暮らす窮屈なパパラギとは大きな違いがある。

確かにいくらか理想化されたものかもしれないが、しかし、素朴さへの憧れとは決して心を去らないものである。程度の差こそあれ「自然派」、「ていねいな暮らし」といった風潮もこれに通ずるものがあるのではないか。

島国に暮らして

ヨーロッパと対比される島の生活。しかし私たち日本の文化とは、島の生活をもとにしながらヨーロッパに倣ったものである。

ツイアビは文明と対置した自然を「大いなる力」と表現している。しかし、繰り返す災害の中で、良くも悪くも自然の「大いなる力」といった感覚はまだ日本の現代人にも色濃く残っているものではないだろうか。

読書とは単に情報や知識を得るだけの受身の作業ではない。新たな文脈で読み進めて、その裏にある思想を高めていくのも一つの誠実さである。20世紀の名著というだけでなく、同じ島に暮らす人間として読むのも一興かもしれない。


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