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#03 宮崎 / チキン南蛮

3投稿目。自身では首位タイ。
これを越えれば脱三日坊主です。

今回は宮崎県。
人生で1度しか行ったことないんですが、すごく良いところだったな。社会人になりたての頃、大学サークルのみんなとレンタカーでぐるっとまわった九州。いやーあれはほんと楽しかった。

新しい環境にまだ馴染めなかった頃、大学の友だちの存在はほんとにありがたかった…。それもあいまってほんと良い思い出。

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宮崎県庁(wikiより)

素敵な建物だったな。(ん、行った…?はず…)
そういえば京都でも建物の正面にヤシの木おいてるところときどき見かけるけど(旧鴨沂高校とか)あれは何かそういうスタイルがあるのだろか。わからんが、ゴシックな建物に亜熱帯の植物たち…ああ宮崎に来た!!とすごく興奮したのを覚えてます。(行った…?はず…)

九州といえば自然と食べ物!
宮崎に行ったらぜったい食べたいと思ってたコレが今日のお題です。

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#03 宮崎 / チキン南蛮

トンカツに見えるよね…
絵を描くとリアルになるのが個人的に悩みで、いかにキャッチーに、識別もできて、個性も匂うものが描けるか、それがこのnote企画の目的でもあるのです。

その上で、トンカツに見えるよね…
肉を切ればもう少しそれっぽく見えるのかもしれないのだけど、そう、どうしても「おぐら」のチキン南蛮が描きたかったのです。

「チキン南蛮」は宮崎県延岡市で料理店「ロンドン」で働いていた二人の料理人により生まれたといわれています。一人は食堂「直ちゃん」の創業者である後藤直氏で、もう一人は「おぐらグループ」の創業者の甲斐義光氏です。

このときは「おぐら」に行ったんですが、すんごいボリュームで、でもすんごい美味しかったなあ。お店もすごく可愛かった。そいや胸肉だったことに驚いたのを覚えてるけど、揚げ&タルタルでも胸肉だと罪悪感が半減するのは不思議なものです。

それにしても「南蛮」はポルトガル&酢漬けっていうイメージがあるけど、もう少しちゃんと調べてみたいと思います。

チキン南蛮の「南蛮」というのはもともと戦国時代の頃に日本にやってきたポルトガル人や、そのカルチャーを指していた言葉
「南蛮」の名前は,彼らの食文化にもつけられるようになりました。その中で,メジャーなものが「南蛮漬け」で、これは唐辛子入りの甘酢に食材を漬けてつくられるもの

ポルトガル人って酢漬けのものよく食べてたの…?知らなかった。なんだ、どんな料理だ。そもそもポルトガル料理って何だ。

「南蛮漬け」の起源は「エスカベッシュ」

はーーーなるほど!マリネか。

室町時代から江戸時代にかけて、ポルトガルやスペインのことを「南蛮」と呼んでいた

なるほどなるほど、繋がった。

ん?でもスペインやポルトガルって全然「南」じゃないよね、真西だよね。なぜだ。

南蛮は、四夷のひとつであり、中国大陸を制した朝廷が南方の帰順しない異民族に対して用いた蔑称である。日本でも当初は同様の意味で用いられていたが、15世紀にヨーロッパ人との南蛮貿易が始まって以降は、主にヨーロッパや東南アジア・スペインやポルトガルの文物や人物を指す語となった
本来は人に対する蔑称であった「南蛮」が、日本では、「侮蔑語」というよりは「異国風で物珍しい文物を指す語」として、使われるようになりました

なるほどな〜〜〜〜〜〜。

そうか、鴨南蛮は別に酢漬けじゃないもんな。これは、スペインやポルトガルから来た人たちがネギを好んで食べてたことが由来らしい。あ、チキン南蛮も南蛮酢(ネギや鷹の爪をあわせた酢)に漬けてるところから来てるんか。はーーーなるほどなるほど。

琉球ガラスも、チキン南蛮も、名物や名産を掘り下げていくと日本史や世界史につながるのですね…この企画、深いわ…。

さいごに、おぐら本店のメニュー載せておきますね。

あーー九州行きてえーー!!

次は熊本に進みます。


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