母との写真
昨日のお話会で出た話。
話というか、ワークというか。
母親との思い出の一枚
母親との思い出の中で写真を残すとしたらどんな場面か?
そこから自分の才能だったり、やりたいことだったり、すべきことがわかるというもの。
「残すとしたら」なので、実際の写真でなくてもよい。
ちなみにばなな先生は、お母様とキャッチボールをしている風景と、ミシン越しにお母様の話(愚痴)をひたすら聞いている風景を挙げていた。
→そこから「真剣に受け止める」ということをしていくのだなぁと仰っていた。
印象深い出来事
私の場合はどんな風景だろうと考えてみる。
母との思い出なんて死ぬほどあるのに、何故かすごく印象深かった出来事がある。
小学6年生の時、陸上の大会に出場した。
種目はハードル走。
決して足が速かったわけではなく、実は補欠で、出場予定ではなかった。
補欠といっても、そもそも人数の少ない学校だったため、全員何かしらの選手or補欠にはエントリーしているような状況。
補欠な私が何故出場したかと言うと、出場予定だった子が急に腹痛をおこしたからだ。
急遽出場したその競技は圧倒的ビリ。
びっくりするぐらいのビリ。
悔しさよりも恥ずかしさでいっぱいだった。
そこに追い討ちをかけるように、同級生の男の子から「〇〇ちゃん(選手だった子)ならもっと速かったのになー」とイヤミを言われた。
恥ずかしいやら悔しいやらで、何も言い返せず帰宅する。
家に帰ってベッドに突っ伏して凹んでいたら、夕飯を作っていた母が話しかけてきた。
「どうしたの?」
「何かあったの?」
私は顔を上げることなく、ただただ頷いた。
でも話したくなかったので何も言わなかった。
もっと何か突っ込まれるかなー?
根掘り葉掘り聞かれたらイヤだなー
と思っていたら
何も言わずに母は台所へ戻った。
前にも書いたけど、とにかく口うるさい母だったから、絶対何か聞かれると思ったのに、何も聞かなかった。
ちょっと拍子抜けしたけれど、でもそれがすごくありがたかった。
その後何事もなかったように夕飯を食べて
何事もなかったように過ごし
結局今に至るまで何も聞かれなかった。
私の一枚
理由を聞かないけど、別にどうでもいいって思われてたんじゃなくて
心配しつつ距離感をとりつつ見守る
みたいな
あの時の母のスタンスが忘れられないし
本当に救われたなぁって思う。
励まされたとか、慰められた、とかじゃなくて
言葉じゃない何か。
確かに感じた何か。
まぁ意外な出来事でもあったという理由で印象に残っているっていうのもあるのかもしれないけれど。
私の母との一枚はこの時の写真かなぁと思った。
母は台所で夕飯を作り、私はベッドに突っ伏しているという
全然映えない風景だけど(笑)
(しかも超広角w)
言葉じゃないもの
この一枚から思うのは、言葉じゃない何かを大切にするってことかなぁ。
そもそも写真もだし
自分科の絵を描くワークも好きなのも
非言語な部分を大切にしているのは大きいと思う。
…って言いながらめっちゃ文章書いてるけど(笑)
言葉は言葉で大事だし、もっと言葉で伝えたい欲が最近ハンパない。(故にnoteを再開した)
でも根底にはそういう非言語的なモノを大切にする自分、大切にしたい自分があるんだなぁと思うし
そこは忘れちゃいけないところなんだなぁとも思う。
自分の真ん中にあるもの。
そんなふうに思う。
お話会、ご参加ありがとうございました。
シェアしてくださったみなさんもありがとうございました。
何もできなかったなぁと思うけれど
終わるとやっぱりホッとしますね。
次はオンラインでありますよ
ばなな先生の著書を持ってる方限定のお話会です。
無料です。
ただ本を読むより全然面白いです。
基本深いです。
お子さんだけじゃなくて
自身の自信の付け方(ダジャレかw)にも繋がりますよ。
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