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私と私の思想(1)

誕生

200X年、泉明鏡 誕生
身長体重共に平均より少し大きく生まれるも、仮死状態‥。
すぐさま私は入院したらしく、母は私を抱くことはなかったそうな。
ちなみにその時の入院代は40万円ほど。これは今でもグチグチと言われる(あんたのせいでお金が〜等)。

その後は特に何事もなくすくすくと育った。
然し、喋りだす時期が遅かったらしく、これは知的障害なのではないかと疑われて市内の施設でテスト?を受けさせられた。
それは職員の女性と二人で個室に入れられ、私の名前を聞かれ、次には名前を書かされ、部屋の中にあるもの(ボールや鉛筆等)を指で指され、それの名称を答えるというものだったと記憶している。
私がやらかしたのは「」と言わねばならないところを「テーブル」と言ったのであったようだった。更には、部屋の隅の職員の見えないところから「僕、速い球を投げられるよ」といって壁にボールを投げつけた。
これらのことからは知的障害ではないとはされたが、保護者による観察を要すると言われたそう。

机」と「テーブル」の間違いくらいで知的障害って一体…
   
そんなこんなで少し「難あり」の子供として幼少期を育てられていくのだった。


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