【生活を豊かにする方法を行動経済学的に考えてみた】002〜飲み会の場ではおごれ

心理学と経済学の両面から人間の行動を読み解くのが行動経済学です。
いまもっとも注目を集めているこの研究の視点から、日々の生活を見直してみるnoteです。
第2回目は、飲み会では割り勘よりもおごれ、です。

 同じおカネを使うのでも、豊かさが増える不思議な例を紹介します。それが「おごること」です。
 親しい友人数人と集まった飲み屋で、会計は割り勘、普通はそうしますね。4人で1万円ならば、ひとり2500円です。

 ではこの場合の、参加者全員の満足感を「カネ、モノ、心」の3つの面に分解して考えてみましょう。
 カネは支払い総計の1万円です。モノも同じで、飲み食いした料理と酒の総量です。心は、楽しいひとときを過ごした、より親しい関係になった、その場でしか知り得ない情報を得たという割り勘2500円分を手に入れたことになります。


 さて、その中のひとりが、突然「今日は私がおごります」と1万円出したらどうなるでしょうか。
 払ったカネは1万円、モノがお腹の中に消えたことには変わりありません。ポイントは心です。2500円分の充足に加えて、おごられた3人の「ありがとう」「得をした」といううれしい気持ち、おごった人には「喜んでもらえた」という利他の気持ちが生まれます。つまりカネ、モノ、心の総計は「うれしい」「利他」の分だけ増えており、「カネ、モノ、心」の総計は増えているのです。
 集団全体での利益のことを経済学では社会的厚生と呼んでいますが、この例では、4人の間での社会的厚生が向上したことになります。
 そして4人の間で飲み会を開催するたびに順番を決めて「おごり役」を回せば、金銭的負担も割り勘と同じになって不公平は生まれません。


 日本の一部地域には、頼母子講、無尽講、模合という江戸時代に広まった習慣が残っています。個人や企業などでグループを作り、毎月一定額を出し合い、順番に集まった総額を給付するという相互扶助システムです。昔は金融システムが未発達だったので、こうした助け合いの機能が必要だったのです。
 しかし、講がそのまま残っている地域もあるのはなぜでしょうか。
 講や模合は毎月、おカネを出し合うだけで、利息という利益、付加価値が付くわけではありません。これだけ公的私的金融サービスが充実した現代においては、金融機能だけでは説明できません。
 毎月のおカネを出し合う場は、多くは飲み会です。また講全体での旅行やスポーツなども盛んだと伝えられます。人とのつながりから生まれてくる喜び、そして一時金を手にした気持ちの高揚や安心感、その喜んだ姿を我がこととする利他の気持ち。これらの心の部分のプラスが、講全体の社会的厚生を向上させていると考えれば、存在意義が明らかになってきます。

 飲み会の場で気が大きくなって、「えぇぃ、今日は俺のおごりだ」とやらかしてしまっても、じつはまったく損はしていないのです。
 ただし、おごられた相手が覚えていれば、の話ではありますが。

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