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【乱読一考】結局聴き始めちゃった、ルドルフ・シュタイナーの 『ルシファーとアーリマン』 第1章

昨日、神智学協会本部にあるというシュタイナーの巨大な彫刻のことを聞いて興味を持った『ルシファーとアーリマン』の本 "Influences of Lucifer and Ahriman: Human Responsibility for the Earth"

私には難しそうだし、しばらく読まないでおこう・・・と思ったんですが、今日引き続きこのコンセプトのことを考えていて、「やはりルシファーとアーリマンについてもっと知りたい」と考え直し、オーディオブックを聴き始めました。

シュタイナーのオーディオブックサイト


みなさん、ご存知でしょうか。ルドルフ・シュタイナーの本は、日本で出版されている本は限りがあるんです。というのは、シュタイナーは超多作な人で、生涯に6000回もの講演を多岐にわたるテーマでこなし、その多くが本になっているんです。

6000回! 1日1講演聞いても、16年以上かかります! 

そして、シュタイナーの本や講演は、ドイツ語から翻訳されていることもあると思いますが、とにかく難解なものが多いです。あるいは、下地となる知識ががっつりないと、何を言っているのか分かりません。

私も、あれやこれやの本を手にとってはみるものの、よくわからなくて読み返したり、単語を調べ始めたりして、あまりに何度も立ち止まってしまうために、途中で読むのをやめてしまうことがしばしば。結局読めないんです。

しかし、私は最近、突破口を見出しました。それはオーディオブックです! 退屈な部分の多い本(←旧約聖書のことを言ってます・・失礼!)でも、オーディオブックならば、無理やりでも最後まで行けることは実証済みです! 

そして、シュタイナーの本は、大量に英語で「無料のオーディオブック」になっているんです!!!! 

もう、これを発見したときには感動しました。死ぬまで聴くものに困りません(笑) サイトはふたつあります。

Youtube のRudolf Steiner Press Audio (https://www.youtube.com/channel/UCTuPXQlrmPfDB7YLJWywnAg

ウェブサイト Rudolf Steiner Audio (http://www.rudolfsteineraudio.com/

どうやら同じ人が読んでいるらしいです(凄い)。

今日、検索したら、ありましたよ、ルシファーとアーリマンのオーディオブック! 早速ダウンロードして聴き始めました。

アーリマンの登場

この本は、シュタイナーが1919年11月、スイスのドルナハで行った5回の連続講演をまとめたものです。

この1919年という年は、とても重要な意味を持ちます。まず、第一次大戦が終わった翌年であるということ。そしてこの年の9月に世界で初めての「自由ヴァルドルフ学校」がスタートしているということです。

したがって、シュタイナーの頭の中では、戦争の記憶が新鮮であり、同時に新しい時代を担う子供達へ何を伝えるかを考えていたのではないでしょうか。

そんな中で語られた、人間の進化を妨げるふたつの存在、ルシファーとアーリマン。

私が今日聴いた「第1章」の中で印象に残ったのは、「これから必ず(転生し、受肉した存在の)アーリマンが現れる」と語り続け、そして「科学や統計のみを信じる者」も「ゴスペルを一字一句信じる者」も、どちらもアーリマンの登場の準備をしていることに気づいていない、と言っていることです。

当時のキリスト教会に対しては痛烈に批判となる言葉であって、よく粛清されなかったな!という気持ちになりました。

さらに、何度も「アーリマンは本当に肉体として現れる」ということを言っていました。2001年から始まるこの世紀に、なのですが、もう現れているのでしょうか!? 誰なんだろう? 

そして、ルシファーはアジアに生まれた、と語っているんですが、これは誰のことを指しているんでしょう!?

また、人類のタイムランを語る時に、ポスト・アトランティスという区切りが何度か出てきましたが、これは私はよくわかっていないので「今後の宿題」となりました。

なぜ数学や統計が意味をもたないか


シュタイナーは、科学偏重の態度を批判していますが、その時に「3+8、というような計算をして、それで納得させたつもりになっているが、これは幻想に過ぎない。なぜならば、その3とか8とかの量は示せても、質は示せないからだ」というようなことを言っています。

これは、確かにその通りで、私もそういう議論は聴いたことがあるのですが、「質を表していない」という表現ではなかったなあ、と思います。

例えば、りんご3個と8個で11個、としても、そのりんごが果たして熟した美味しいりんごなのか、酸っぱいのか、フジなのか、紅玉なのか、赤いのか、緑なのか、ということは、情報から除外されているわけです。

しかし、これが現実世界では重要になってくることが多いので、確かにそうなのかもしれません。

幻想、というよりは、概念と言ったほうがいいかもしれません。こういう概念の世界も必要だとは思いますが、実際に世界に生きる私たちにとっては、統計とか数学が「現実世界を全部反映しているわけではない」ということをもっと知っておくべきなのかもしれないな、と思います。

例えば、人口統計などを読む時に、「ああ、この中のひとりが私なのか」と思っても、嬉しい気がしませんものね。私はただの数字じゃないー!と叫びたくなることもあります。

本題に関係してないかもしれませんが、私が「今日ひっかかった」のはこうした話のところでした。

引き続き、2章を聴いてみたいと思います。

最後までお読みいただいてありがとうございました! 

昨日の記事はこちら↓



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