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「月」を観て

※ネタバレあります。

涙が出る映画ではありませんでした。
私は映画を見るといつも共感して泣いてしまうことが多いのですが、この映画はそういう感情の揺さぶられ方はしなかった、ただ目を見開いてしまう瞬間はいくつもありました。
一番に目を見開いてはっとしたのは、宮沢りえさんが言った「本当に自分事として考えてる?」という言葉です。磯村さんが演じる"さとくん”がいらないものを捨てるのは普通のことでしょ、だから。というか、そもそも人って何?(大筋としてそういった内容のことを言っていたが、正確なセリフは覚えていない)と言っていた時、私がもし宮沢りえさん演じる”堂島洋子”だったら、なんて返すのか考えながら観ていました。
そうじゃない!絶対にそうじゃない!って言いたいけど、でも本当に私はそう言い切れるのか、そうじゃない!と言って「なぜ?」と返されたときに私は理由を説明できるのか、理由を説明できたとしてそれはきれいごとで、さとくんと堂島洋子が働く施設の現実とはかけ離れているのではないか、、

私も最近は月に1,2回程度ですが、障害者の施設で働いています。実習で別の障害者の施設にも行きました。私が行った施設はどこも障害者を障害者として捉えるのではなく、”人”として捉えています。
もちろんその方の弱みや苦手さに応じてサポートはされていますが、できないことベースでその人を見るというより、どんな方法がその方に合っているのかをベースに支援を考えます。
障害をもった子といわゆる健常発達の子が一緒に通う保育園にも行きました。そこでは制度で無理やり作った多様性ではなく、本当のインクルーシブが存在していました。難しさもありますし、職員の方の関わり方もすごいですが、何よりも子どもって本当にすごいと感じました。

このように、これらが全て最善の正解ではないにしろ理想的な環境であったり、支援のあり方を私は見て、体験して、感じてきました。この私だから?こそ、(この言い方がいいのかわかりませんが)不適切な支援を経験した堂島洋子には言えない、さとくんに言える言葉が何かあるのではないかと、あのシーンを見たとき必死に考えました。

でも、「本当に自分事として考えてる?」と心の奥底の声の堂島洋子に言われたとき、あ、そういうことかと思ってしまいました。
自分だって聖人じゃない。いつも落ち着いて穏やかに支援をしているわけじゃない。
利用者の方がトイレを失敗してしまったとき、私は自分の心を守るために、何も感じないようにします。できるだけ何も感じないように、自分の感情や感覚のスイッチをオフにします。
また、別の方で力の入れ方が苦手というか、緊張していると力が入りやすかったり、目の前のものが気になったら掴んでしまったりされる方がいて、(今は関係性もできて仲良くなってそうでもないのですが、)最初はとくに手を掴まれると爪が食い込んで離してくれなくてけがをしてっていうのを繰り返して、私は けがをするために働いてるのかな って思っていました。
その人の靴ひもを結ぶためにしゃがんだら髪を引っ張られて、あなたのためにやろうとしてるのになんで!あなたは私に痛いことをするの!とけっこうイラっとすることも何度もあります。
また、言葉でのコミュニケーションができるのとできないのでは、やっぱりわかる情報に大きな差があって、実習でほんの数日、数時間会うだけでは本当に何もわからない。
時間をかけて一緒に過ごすことだけがコミュニケーションの手段であり、関係性のつくり方である人もたくさんいました。

そして、高畑淳子さんが演じる、障害をもった子どもを施設に預けていた親は、「どこも預かってくれるところがないから仕方がない。」と言っていました。確かに、それは現実だと思います。ある時、障害者のきょうだいが集まる会に参加したことがあり、そこではもう本当にどうしようもなくなって、助けを求めて探している時に、その会を見つけて参加したという方がいらっしゃり、入れる施設が本当にないことで困っておられ、自分の生活もある中でどうすればいいのか悩んでおられました。
もっと施設が必要だという考えには、賛成の意見が多かったように思います。(主観です)

確かにそう、そうなんだけど、直近の困り事の解決策として施設はあった方がいいのはもちろんそうなんだけど、
じゃあそこにずっと住み続けるのか、それが長期的な解決策になり得るのか、そして本人の意思とは何なのか、別の視点で考えると、きれいごとかもしれないけど、施設に入って終わり、あとは仕方がないで解決するのでいいのかと感じつつ、
それは私が問題に直面していないから言えるだけで、実際に私がその悩んでいる方の状況になったら、同じことは言えないだろうなとも思いました。

さとくんに言いたいことはたくさんあるけど、でもそれって全部きれいごとで、自分に置き換えて考えてみれば、そう思えないだろう、嫌だ、臭い、気持ち悪いと思ってしまう瞬間がないとは言い切れない。
現実って何なんだろう。
でも、なんか通じたな、わかりあえたなっていう瞬間もある。それも絶対にある。マイナスもいっぱいあるけど、プラスなことも確実にある。
それも現実だと思う。思いたい。

あと、普通って何なんだろう。とも思いました。
さとくんが精神科病院へ行ったとき、「私よりずっと普通な人だと思っていたのに、まさか」というセリフがありました。
普通と普通じゃないの評価が変わっていくのを感じました。
障害という名前ができて、診断されるようになって、障害と普通にはパキッと分断されて違うものであるという認識が大きいのかな。
普通じゃないから精神科病院に行くってのは、自分的には何か違うような気がしていて、
そもそも普通なんてもの存在していない
たくさんの人の間の平均を普通の線?軸?にしておいて、そこから前後10くらいの範囲にいる人を普通ってことにして、そこから大きく離れている人を障害者、普通の範囲ではあるけどけっこう離れている人はグレーゾーンってことにしてるだけじゃないかなと思っているけど、
そんな捉え方している人は珍しいのかな。
自分と障害者は全く別だと思っている人の方が多いのかな。

その上で、誰だって揺らぎがあって、いつもは普通寄りだけど、何かがあったタイミングで普通から大きく離れてしまうこともある。そういうものじゃないのかな。

今の社会から求めらていることが普通であることなのかもしれないけど、普通っていう一つの誰でもない基準があることって、本当にそれってみんな生きやすいの?
少なくとも私は生きにくい。普通であろうとすることは苦しい。

そんなことを考えているひまな大学生です(笑)


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