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生真面目で何が悪い?

こんにちは、あずま泉@人生を楽しくするメンタルコーチです。

今回のお話しは、「生真面目で何が悪い?」です。

これは、わたしが結構感じていたことを含めて話したいと思います。

生真面目?
真面目と何が違うの?

真面目はポジティブな感じですよね。

生真面目は?
「生」がつくだけでイメージ変わります。
字面だけでも
「真面目ですね」「生真面目ですね」
比べるとなにか違う意味に聞こえます。

「真面目」とは、
「物事に対して真剣であること、本気であること」や
「誠実であること」といった意味があります。

「生真面目」とは、
「非常にまじめである人、その思考」や
「融通がきかない状態、その様子」といった意味があります。
良い意味も悪い意味も含まれている言葉であることがわかります。

その昔、わたしは「正直者が馬鹿を見る」と考えていた人間でした。

目の前の物事にしか目が向かなかったので、
正直な人は損をしているように見えたのです。

なので、真面目は損をする!って思っていたんですね。

だからわたしは真面目を避ける、
つまり正直にはならず本心を隠す人間になった方がいいだろうと考え、
そのように過ごしてきたつもりでした。
ズルイ部分も持ち合わせていたので、
真面目の部分は演じたりもしていました。

だからそれに慣れてくると、
わたしは真面目は演じている!
と思い込むようになったんです。

今でもわたしは
「真面目そう」「誠実そう」
と言われることが多いんですが、この頃の影響でせっかくの褒め言葉を
いや、本当はズルイ人間なんだよ・・・
ホントは不真面目なんだよ・・・」と認めようとはしませんでした。

基本的に自分のことを真面目じゃない!と認識しているので、
真面目にやろうとすると度を超えた真面目になるんです・・・
すると、「生真面目」の出来上がりです。

わたしは、「真面目は演じている!」と思い込んでいましたが、
実はもともと真面目だったということです。
でも真面目になんかなりたくない!と抵抗しているうちに
こじれてきてしまった・・・・

真面目はカッコ悪い・・・そう思っていたんですね。

「真面目」に対するイメージがネガティブだった、
もしくは「真面目」を「生真面目」と認識していたのだと思います。

イジメの対象も真面目な人がバカにされる構図が多かったので、
イジメに対する恐れもあったのでしょう。

その小さいころの記憶をしっかり消化しないまま大人になり、
社会人になり役職がついてくると、
社員として模範にならなければ!という想いが強くなります。

しかし模範とは「社会人として組織人として真面目であるべき!
みたいに、模範の姿を生真面目に捉えすぎたため、
サラリーマン時代は販売業だったので、わたしの任された店舗のスタッフはやりにくかったと思います。

そして、いろいろな経験をして少しづつ柔らかさも取り入れられるようになって行きます(すごく長い年月をかけてw)

最初に生真面目を指摘された時は、
「は?わたしが生真面目?その目はふし穴か?」くらいに傲慢でした。

でも、生真面目の意味を調べれば調べるほど、それは自分のことでした。

今ではその生真面目な部分を認め、そんな部分をうまく利用することで信頼も得ることができています。

生真面目もしっかり認め、使い方を分析すれば長所になります。
生真面目のいい部分は、
責任感が強い!きっちりしている!我慢強い!思考が深い!
理詰めができる!
です。
まあ理詰めがいいかどうかはクエスチョンですがw

子どもの頃の自分の心や自分が好きになれない自分と向き合うと、
思わぬところから自分らしさが生まれて、それで自分の信頼度が増すような強みが発見できたりします。

強みを知る!これはすごく大切です!

わたしのこの経験、お役に立てたら幸いです♪

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