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読書日記 | 6/10〜6/16

6/10(月)
歯医者から処方された痛み止めが切れた。歯が痛いのか、頭が痛いのかわからない。とりあえず熱がないことはわかった。今が明け方の4時。市販の残っていた痛み止めを飲んで、30分くらい経ってようやく眠った。
8時にアラームで目を覚まし、支度を始める。ぬるいシャワーを浴びる。温度が高いシャワーが好きだけど、血圧が上がって、抜歯した箇所の瘡蓋が剥がれる懸念があるということで、ぬるめで我慢する。
外はとても暑い。28℃くらいみたいだ。梅雨はいつくるんだろう。最近は梅雨がほとんどないまま急に気温が上がり、気づくと夏になっている気がする。

会社に向かう電車の中で「デザイン学 思索のコンステレーション」を読んだ。

必然的な因果関係の普遍性を前提とする西洋近代科学の対象からは排除されてきた「偶然性」やその「出会い・遭遇・邂逅」の問題です。現代では、自然科学の中心に自然現象全体のカオスやランダムや偶然性を含む非決定論の問題が台頭していますので、この問題群の重要性は、あらためて指摘するまでもないでしょう。しかし、「偶然性」はもともと東洋の伝統思想の本質をなすものとして、日本では、一九三○年代に、哲学者の九鬼周造によって西洋近代の知のパラダイムの転換へ向けて『偶然性の問題』が主題化され、西洋近代哲学に欠落している分裂、多様、混沌、無や、他者との偶然的出会いの根原性の意味などが追求されました。これは現代において再検討に値する論考です。しかも、現代では、「偶然性」の問題が、創造あるいは創発 (emergence)の契機として、また、創造の「他者からの恵み」の契機として認識されてきていることも、注目に値します。

デザイン学 思索のコンステレーション』(P402、向井周一郎著、武蔵野美術大学出版局)

仕事は平凡で、いつもと変わらない月曜日を過ごした。少し変わったことといえば、先週座席を移動した。先週までは窓際で外が見える席だったけど、今週からはシャッターが完全に閉まっていて、時間を確認しないと今が夜なのか、昼なのかわからない。なんだか慣れない。ずっとここで仕事をしていたら体調を崩しそうな気がする。

帰りの電車でも「デザイン学 思索のコンステレーション」を読んだ。途中に北千住にあるBook Firstに寄った。ミステリーを読みたい気分だったこともあり、文庫本コーナーをだらだらと眺めたかった。本屋にいると、本をたくさん抱えてる人を見るとなんだか嬉しくなる。それだけでその人がどんな人なのか想像してしまう。好きな本や気になっている本が手元にあるとそれだけで仲良くなったような気分に勝手になる。もしかしたらその他者からは僕は不審者に見えるかもしれない。気をつけなければならない…。
かがみの孤城 上」「平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版」「殺戮に至る病」の3冊を購入した。
ミステリーを読みたいと思い、本屋に来たはずなのに、気づくと1番読みたくなっていたのは「かがみの孤城」だった。帰りの少しの電車で読みながら帰った。

こじょう【孤城】
①ただ一つだけぼつんと立っている城。
②敵軍に囲まれ、援軍の来るあてもない城。
『大辞林』

『かがみの孤城 上』(辻村深月著、ポプラ文庫)


なんだかこの初めの引用文を読んだだけで、この本が本屋大賞に選ばれたことが嬉しくなった。きっと多くの人が心の中で孤独に戦っていて、援軍が来ないと思っている人は多いような気がする。可哀想な顔を作って(または見える顔をして)、手を差し伸べて援軍を待っているとうんざりとした気持ちになる。でも永遠に援軍が来ないという事実だけがわかることはとてもさびしく思う。
自宅に着いてからも布団の中で眠るまでの時間「かがみの孤城」を読んだ。


6/12(水)
向かう電車の中で「デザイン学 思索のコンステレーション」を読み終えた。

仕事はバタバタと10時〜19時まで予定をこなした。6月に新しいプロジェクトが増えてからカレンダー上でほとんど全て予定が埋まってしまって、うまく身動きをとれない時も多い。予定も会議が多い日もあり、そういう日はなんだか1日終わったな、というよくわからないまま1日を終えてる感覚になる。プロジェクトが1つだったときは暇に感じていた。バランスは難しい。
帰りの電車で「かがみの孤城」を読んだ。自宅に着いてからもすぐにシャワーをすませ、布団の中で「かがみの孤城」を読んだ。もうすぐ上を読み終える。朝は頭を使う人文書などを読み、夜は小説を読む。頭も疲れずに本はたくさん読めて充実感もある。


6/13(木)
喉が強く痛む。鏡で喉の奥を覗くと、ひどく腫れていて口内炎のような大きな炎症があった。とりあえず応急処置的に痛み止めを飲む。
支度をして8時すぎには自宅を出た。向かう電車で原研哉さんの「デザインのデザイン」を読んだ。

会社に着いて、少しばかりスケジュール調整の連絡をすませてから、近くの病院に向かった。病院の待合室にはテレビがあり、ニュースが流れていた。久しぶりにテレビを見た。実家にいた年始ぶりだと思う。ニュースでは旭川市で女性2人組みが女子高生を転落死させたというニュースが報道されていた。webニュースもテレビも避けて自分の世界にどっぷり浸かることに慣れきっている私は、世界でこんなことが起きているということを文字通り自覚する。どうにもできないことにどうにかしたい気持ちを抱く一方で自分の身が危うくなればきっと逃げてしまうであろう自分にどんよりとした気持ちになる。

診察が終わった。喉の炎症がひどいということだった。薬を4種類ほど処方してもらった。

仕事は難なく終え、19時を過ぎるくらいには会社を出た。
ふと、青山ブックセンターに行きたくなって向かう。今週の土曜から島根の海士町という場所に旅行に行く。離島ということもあり、大型書店は望めない。ということで旅行に向けて本を買おうということもあり、久しぶりに青山ブックセンターに向かう。
到着して念入りに隅から隅まで本棚を眺める。いつきても謎の落ち着き感がある。それは書籍の匂いが…とかそういうわけでもない。分類が気持ちがいい。青山ブックセンターの本の並びが好きなのだと思う。結局4冊ほど本を購入した。帰りの電車で買ったばかりの「日々の政治 ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化」を読んだ。

表参道から北千住を移動している間にサッと読み終えた。文字通りサッと。目次を見て買ったはいいものの、中身が想像と少し違った。なんというか例えの抽象度が高すぎてよくわからない。僕にはまだ早かったかもしれない。翻訳もなんだか僕にはしっくりこないように感じる。とにかく、初めにと中身をサッと読み、終わりにを読んで終わった。本に対する態度は難しい。傲慢のようにも感じる。でもどんな本でも間に受けるのはなんだか違うような気がする。

自宅についてからシャワーを浴びてすぐに布団に向かう。「かがみの孤城 上」を読んだ。昼に本を開いたときはしっくりこないような気がして本を閉じたけど、夜眠る前の時間はしっくりくる。きっと物語に入り込みすぎてしまうのだと思う。


6/14(金)
7時前にアラームで起きた。
頭がボーっとしながら、すぐには動けなかったので、8時まで布団で「かがみの孤城 上」を読んだ。ちょうど読了して、支度を始めた。朝に布団で本を読むことは、自分の生活リズムでは珍しいけれど、とても良い寝起きだと思う。特に小説は頭を急がせないから心地よく目覚めることができるように思う。

会社で少し仕事をしてから歯医者に行き、親知らずを抜歯するときに切開したから箇所を縫いつけた糸を取ってもらった。少し違和感がとれて、痛みもかなり和らいだように思う。会社に戻った後も仕事を19時すぎまで行った。今日はこれから会社の知り合いとご飯を食べに行く。とてもたのしみ。

***
久しぶりに人とご飯に行った。
帰り道は少し蒸し暑くて、夏が始まりそうな夜の匂いがどこか心地いい。いつもは布団にいる時間だけど、そんな時間に外を歩いていることが少しだけわるいことをしてるような気持ちになる。それがなんだか中学生の頃の夜遊びみたいな感覚に似ていてちょっぴり懐かしい。
ああ今日はこれから旅行の準備だ。ロフトからキャリーケースをおろして荷物を詰める。何も準備は終わってないのに昨日の自分を悔いるような気持ちは少しもない。これから準備を済ませてシャワーを浴びよう。
***


6/15(土)
島根県隠岐郡海士町にあるEntôというホテルに向かう———。
(次の内容は以下の記事からの抜粋)

4:00ちょうどにアラームで目を覚まして、寝ぼけ眼で支度を始める。旅行の支度は毎度大変で。色々なものをたくさん持っていきたいわけではない、ただ旅に本は付きもので、どの本をどんなときに読むか想像していると、途方に暮れる。ましてや選ぶのなんて大変極まりない。前日の夜にキャリケースの前に持っていく候補で出した本がずらりと並ぶ。ざっと20冊くらいありそう....。4:50には自宅をでなければならない。だからまずは支度をすぐに終わらせる。シャワーを浴びて髪を乾かし、身だしなみを整える。残った時間は15分ほど。荷物に忘れ物がないか最終確認して残った時間は10分。むむむ、結局どうしようもなくなり候補のいくつかをキャリーケースにしまい、リュックには5冊の本を忍ばせた。(全く絞れてない…)

最寄駅からバスで羽田空港に向かう。眠っている間にすぐに到着した。ゆとりを持った移動は好きだ。隙間時間に本を読むのも好き。
飛行機が離陸するまでの間、塩谷舞さんの「ここじゃない世界へ行きたかった」を読んだ。

 その日から、私自身の美しさの指針は、他者に薦められるものでも、憧れの人が使うものでも、企業が流行らせようとするものでもなく、自分自身の細胞になった。
 私が持って生まれた、枯茶色の瞳や、黄色くくすんだ肌、黒くて細い髪に馴染むもの………そうした基準を持って、世の中の美しいと感じるものを集めていく行為は、まるでわたし自身が生まれてきたことを肯定していくセラピーのようだ。何十年もそこにあった瞳なのに、本当の意味でちゃんと見たのは、生まれてはじめてのことだった。“Less is more.”ずっと外にあると思っていた答えは、武装を解いた内側にあったのだ。
 そこから、東アジア人のかたちをした自分の存在が馴染む空間をつくっていくのは、人生の愉しみにもなっていく。
 自らの細胞が馴染むものを手繰り寄せていけば、自ずと「日本の美」と呼ばれるものにぶつかることが多い。(…)
 でも、それはべつに大した問題じゃない。”じぶんの肌感覚”さえ信じておけば、ラベルなんてないほうがいい。むしろ言語化し、ラベルを付け、様式化した途端に、失われる感性だってあるだろう。
 けれども、次第に、惹かれるものの背景に一体何があるのか、そこに宿る思想や哲学 をもっと知りたくもなってきた。なぜこの色に、形に、心地よいと引き寄せられるのか。 家の中で靴を脱ぐ安心感の正体は一体何なのか…。
 そうした疑問の答えを探して古い本を読み、本の筆者に共感したり反論したりしているうちに、こんどは自分の側に思想が蓄積されていく。流行りの風が吹けばあっちに飛ばされ、こっちに飛ばされ……と翻弄されていた頃とは違って、ようやく脚が生え、地面に降り立ったような喜びに満ちた感覚だ。

ここじゃない世界へ行きたかった』(P47〜48、塩谷舞著、文春文庫)

隣の席になった人が、窓越しに外を眺めながらGoogleマップを開いて必死に土地を確認してるのはなんだか可愛らしかった。手元には「古代出雲へ行く」とある。地理を詳しく知りたい欲求を目の当たりにすると少しだけニッチな気がして嬉しい気持ちになる。

米子空港に到着した。これからタクシーで七類港まで向かう———。
タクシーを予約していなかった。東京の感覚のまま来てしまった僕は、空港で購入したカツサンドを食べながら、タクシーを待つ。10分くらいしてから予約をしないとタクシーが来ないことを知った。それはそのはずで、今の時刻は8:50である。こんな早い時間に常駐しているわけがない。普通の会社員は10時から仕事が始まる。
目的の海士町へ向かう方法は他にもいくらかある。これからJR境港線で境港まで向かい、高速フェリーに乗って、海士町がある菱浦港に向かう。とにかく今は電車を待つ。

駅は無人でローカル線の雰囲気を醸し出している。1時間に1本くらいで、次の電車が10:02ということで本を読んで待つ。「かがみの孤城 下」を読んだ。
17分くらい電車に揺られて、境港駅に到着した。

フェリーの切符を買おうと受付に行くとどうやら高速フェリーは基本的に予約が一般的らしく、スタッフに「満員のため、キャンセル待ちになるかと…」と言われ、絶句していた。これを逃したら島へのアクセスがない。泊まる場所もなければ、ホテルの費用も無駄になってしまう。言葉をなくしていると、奥から責任者らしき人が、「いいよ切符売って!」と担当の窓口スタッフに伝えてくれた。担当スタッフはおどおどしながらも、対応してくれてなんとか切符を買うことができた….。一旦一安心である。ただ直接海士町に行くのは無理らしく別府港という島前の港で別のフェリーに乗り換えが必要らしい(無事に乗り換えられるだろうか)。責任者らしい方に心からお礼を言いたい。フェリー乗り口付近を探しても見つからない。次にまた来る機会があるときは、忘れているかもしれないけど、しっかりとお礼を伝えたい。ありがとうございます!と伝えたものの、もっと感情的に感極まるレベルの感動があった。その気持ちをそのまま伝えたい。(迷惑だろうか…)

高速フェリーの乗船時間は約2時間15分。高速フェリーでもこれだけかかる。乗り物酔いしない体で良かった、と本当に思う。移動は好き。
乗船中の時間も「かがみの孤城 下」を読んだ。1時間くらい経った頃、「かがみの孤城」を読み終えた。満席のフェリーの真ん中で号泣した。声を押し殺して、すーっと涙が頬を伝う。帽子を被りサングラスをしていたので、周囲にはバレなかったと思う。(バレなかったと思う…。)残りの時間は外を眺めたり、船内で流れる野球中継を見たりしているうちに別府港に無事に到着した。

到着後にすぐにフェリーどうぜんという島前内航船に乗り換えて15分ほど、揺られて菱浦港(海士町)に到着。
目的地のEntôは菱浦港から3分ほどで近い。歩いて向かう。

Entôに到着して、すぐにフロントスタッフが対応してくれて、チェックインが15時だったのにも関わらず、30分以上も前に案内してもらった。部屋から海も、他の島々も、フェリーも眺めることができる。Webサイトで画像で見ていてよりも素敵すぎる部屋に感動して、何もしていないけれど、来て良かったと心から思った。

夕方までの時間はオンラインで予定があり、友人との雑談を楽しんだ。初めましての方もいて、少し緊張したけれど、話のリズムが似ている気がして、自然と話せたように思う。初見で波長が合う時、心踊る。それは文字通りの意味で。

Entô 隠岐ユネスコ世界ジオパーク 泊まれる拠点より引用

18時半くらいまでの2時間半ほど友人と話をした。終わってからは19時半の夕食まで時間があったので、館内にある温泉に入ることにした。温泉は湯に浸かりながら、海と向こう岸にある島を眺めることができる。

***
夕食はEntô Dinnerというホテルの準備しているコース料理をいただく。テーマは「地産地消」のようで、海士で採れた食材、近くの島々で育てられた牛や野菜を中心の料理。丁寧にどのように調理して、どこで採れた食材なのか説明してくれる。冗談抜きで今までの人生の中で1番美味しい食事だったように思う。気づくと頬がやわらぎ、顔がニヤついてしまう。特に鰤、隠岐牛、つなかけというパン屋で作ったパンが美味しかった。食についても改めて考えなければならないような気持ちになった。食事をしている間も自然と姿勢を正すような食事は、窮屈でなく、むしろ心地いい。東京でも同じような体験ができるだろうか。ずっとやろうと思ってできていなかった、友人を誘って月一に食事会をするという営みをしたいと思う。19時半から始めた食事は気づくと21時を少しすぎるくらいの時間になっており、少し明るかった景色も暗くなっていた。
***

食事を終えて、部屋に戻り、ベッドに寝転がる。食事の満足感と朝早くから起きていた疲れがどっと出たのか、気づいたら眠っていた。


6/16(日)
早朝5時に目を覚ました。昨日22時前に眠ってしまったからなのか、随分早く起きた。二度寝する気分でもなかったので、お風呂へ行き、ゆっくりと大浴場で過ごす。Entôは客室がものすごく多いわけでもないということもあり、基本お風呂は貸切である。その点も嬉しい。

6時に差し掛かるくらいには身だしなみも整えて、部屋に戻っていた。
朝食は7時からなので、少し時間がある。

今回Entôに来た理由は、ホテルとして気になっていたことがある一方でもう一つ理由がある。ゆっくりと離島で喧騒や日常から離れて、ライフスタイルについて、仕事についてなど、今後についてを考え直そうと思っていた。今年の初めに立てた抱負を振り返りたい。その上で習慣を見直し、行き届けば仕事での肩書きを定義していきたいと思っている。どこまで出来るだろうか。そんなことを考えているうちに1時間ほど経っていた。

朝食は夕食に負けず劣らず、地産地消である。地元の食材が多く並び、品数も多い。健康的な食事を食べれるのは嬉しい。1時間ほどゆっくりと食事をした。

Entôの客室やラウンジには時計やテレビがない。海士町の大切な価値観のひとつに、「ないものはない」という考えがある。ここ10年ほどで形成されていった価値観らしい。ないものはないけど、必要なものはもうすでにある。という考え方だそうで。とても素敵な考え方のように思う。
僕らの生活はいくつもの前提があり、成り立っているけど、実はその数々は考え直してみれば不要な価値観や不要なものも多く存在する。むしろ前提が多すぎて窮屈に感じるときもあれば、生きづらさになるときもあるように思う。

***
14時を過ぎるくらいまで、考えたいと思っていたことについてあれこれ文字を書いたり、マインドマップを作ったり、整理を進めた。
ずっと籠って作業をしようと思ったけど、館内をうろちょろしながら、体勢を変えて作業をしても疲れる。「疲れたなー」とぼんやり考えてるとき、「そういえば近くで自転車をかりられる」ことを思い出した。それも普通の自転車ではなく、E-bikeというロードバイク型の電動自転車である。大人になってから久しく自転車に乗ってなかったなーと思った。
小学生の頃はマウンテンバイクに乗って、山道を走り抜けたり、コースを決めて競争してたり、とにかく身体を動かすことが好きだった。そうやって想いを馳せていたら、勉強や考え事なんてしてる場合じゃないような気がして、自転車をかりに出かけていた。ホテルから8キロほど離れたところに明屋海岸という有名な海岸があるそう。とりあえず目的地はそこに設定して、走ることにする。

走り始めてすぐにE-bikeの驚異的なパワーに驚かされた。めちゃくちゃ速い。途中に下り坂を本気で漕いだらどうなるのかと思い、モードをHighとEcoがあるうちの本気を出してくれるHighにして漕いだら、45キロほど出た。正直怖かった。車と同じくらいの速度で走行するのはなかなか怖い。

海士町の内陸は、平坦な地が多く、田園風景が見られる。その多くはお米を作っているのが見てわかる。隠岐諸島の島々の中でも、海士町がある中ノ島だけで田園風景が見られるとEntôのスタッフに教えてもらった。理由は、中ノ島だけ、火山が噴火して、中ノ島の山々が崩れて平坦な土地になったらしい。確かに隠岐諸島の他の島々はゴツゴツした山で形成されていて、ほとんど平坦な土地がない。

気づくと明屋海岸についていた。大体25分くらいで到着した。疑うまでもなく海は綺麗で、目視で少し離れた離島も見える。
海岸といいつつも、1番感動を覚えたのは岩肌のかっこよさである。ただただ首を上にあげるしかなく、呆然と見ていることしかできない。
自然を感じる。生優しい心地よさよりも、圧倒的で暴力的な自然を感じたように思う。きてよかった。

海岸を後にしてからも隠岐神社を回ったり、ゆらゆらと呼び道しながら、Entôに戻る。

途中、漁港のあたりを通ったときに高校生か中学生くらいの子どもたちが10人くらい集まっていた。浮き輪をつけてる人もいれば、ゴーグルをつけている人がいた。何だかいいなとぼんやり遠くから眺めていると、1人の号令を後にして、海へ飛び込みをした。一斉にタイミングを合わせて飛ぶ姿は、ドラマで見るような光景にふと嬉しくなる。

海士町にある、島根県立隠岐島前高等学校には、島留学という制度があるらしい。隠岐島前高校のWebサイトに行くと、生徒たちの動画が見られる。また同じページに掲載されているメッセージも素晴らしい。

本校では『島留学』として、日本全国からの生徒を募集しています。
これまで北は北海道から南は鹿児島まで200人以上の受け入れをしてきました。中学時代を海外で過ごして高校から本校へ進学する生徒や中高一貫校から進学する生徒もいます。
都市と比較して、地域には「なにもない」と言われがちです。たしかにコンビニエンスストアもショッピングモールも映画館もおしゃれなカフェもありません。しかし地域には都市では失われてしまった「豊かな人間関係」や「継承されてきた伝統文化」、そして「不便さ」がまだ残されています。

「なければみんなでつくればいい」。

そこに創造性が育まれる余白があります。生まれ育った土地や地域は大切にしつつも、3年間の高校生活を思い切って島で学んでみませんか? ここにしかない3年間を私たちは約束します。

https://www.dozen.ed.jp/island/より引用

海士町は一時期過疎化が進み、島の借金の膨れ上がっていたようで、島自体の存続の危機が訪れたと、Entôのスタッフが教えてくれた。そのときにあらためて考え直し、「ないものはない」という価値観であったり、島の存続には高校の存在が大事ということを再認識して、あらゆる制度を取り入れたらしい。確かに高校が過疎化していたら、子どもがいる家庭は自然と、子どもの成長に合わせて本土や県外の選択を取る人が増える。
***

18時前にEntôに戻り、夕食を食べるために歩いて出かける。きくらげちゃかぽん MOTEKOIYOというお店で食事をする。お店は小さいながらも賑わっており、スタッフはワンオペのようでとても忙しそうにしていた。提供までゆっくりと待ち、食事をすませて、1時間くらいお店にいたと思う。ワンオペということもあり、店員さんは少し怖い顔をしながらバタバタとタスクをこなしていた。帰り際に「忙しい中ありがとうございます。とても美味しかったです」と一言伝えると、頬の力が抜けるみたいにやわらいで、笑顔になって、「お待たせしてしまって申し訳ございません。ありがとうございます」と口角を上げながら伝えてくれた。嬉しい。僕は飲食店で接客したことはないけれど、アパレルで接客をしていたことはある。こういう何気ない一言をもらうと嬉しくなる。相手が嬉しそうにしてくれる姿を見ると伝えた方も嬉しい。こうやって海士町の経済が回っていけばいいと思う。

身体を十分に動かしたからか、今度は頭を動かしたくなり、当初計画していた考え事に戻る。21時くらいまでぼんやりと文字を書いたり考えながら館内をうろうろしたりした。贅沢な時間だ。館内はどの時間も、早朝の雪の中を歩いてるときのように音が落ちていて、シンと静まりかえり、自然と目の前のことに集中できる。

23時を前にして、友人と少しばかり話をした。海士町行きの高速フェリーで「かがみの孤城」を読了した。涙をだらだら流し、感動を抑えきれなかった。読み終わって少ししてから、「映画もあったよな〜」と思って、ホテルでの隙間の時間で映画版のかがみの孤城を観ていた。
正直残念でならなかった。話は単純化されて、重たい問題扱う上で必要不可欠な話のディテールはすっぽりと抜け落ちていた。不登校という問題も、作品の中で取り上げられる暗い問題も、矮小化されてるような、軽く扱われているような気がして、納得がいかなかった。映画を初めて観て、作品を知ったと結論づけてしまう人も多くいることを想像するともやもやとした気持ちになる。本を読んでほしいという切実な想いが湧き上がってくる。そういうことを友人に話をしたら、同様に理解してくれた。どうにもならない感情だけど、職場の愚痴を言い合うみたいに作品について話をした。

満足して気持ちになり、少ししてから眠った。


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