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島根県隠岐郡海士町 Entô

島根県隠岐郡海士町にあるEntôというホテルに向かう———。

1日目

4:00ちょうどにアラームで目を覚まして、寝ぼけ眼で支度を始める。旅行の支度は毎度大変で。色々なものをたくさん持っていきたいわけではない、ただ旅に本は付きもので、どの本をどんなときに読むか想像していると、途方に暮れる。ましてや選ぶのなんて大変極まりない。前日の夜にキャリケースの前に持っていく候補で出した本がずらりと並ぶ。ざっと20冊くらいありそう....。4:50には自宅をでなければならない。だからまずは支度をすぐに終わらせる。シャワーを浴びて髪を乾かし、身だしなみを整える。残った時間は15分ほど。荷物に忘れ物がないか最終確認して残った時間は10分。むむむ、結局どうしようもなくなり候補のいくつかをキャリーケースにしまい、リュックには5冊の本を忍ばせた。(全く絞れてない…)

最寄り駅付近の朝日

最寄駅からバスで羽田空港に向かう。眠っている間にすぐに到着した。ゆとりを持った移動は好きだ。隙間時間に本を読むのも好き。
飛行機が離陸するまでの間、塩谷舞さんの「ここじゃない世界へ行きたかった」を読んだ。

 その日から、私自身の美しさの指針は、他者に薦められるものでも、憧れの人が使うものでも、企業が流行らせようとするものでもなく、自分自身の細胞になった。
 私が持って生まれた、枯茶色の瞳や、黄色くくすんだ肌、黒くて細い髪に馴染むもの………そうした基準を持って、世の中の美しいと感じるものを集めていく行為は、まるでわたし自身が生まれてきたことを肯定していくセラピーのようだ。何十年もそこにあった瞳なのに、本当の意味でちゃんと見たのは、生まれてはじめてのことだった。“Less is more.”ずっと外にあると思っていた答えは、武装を解いた内側にあったのだ。
 そこから、東アジア人のかたちをした自分の存在が馴染む空間をつくっていくのは、人生の愉しみにもなっていく。
 自らの細胞が馴染むものを手繰り寄せていけば、自ずと「日本の美」と呼ばれるものにぶつかることが多い。(…)
 でも、それはべつに大した問題じゃない。”じぶんの肌感覚”さえ信じておけば、ラベルなんてないほうがいい。むしろ言語化し、ラベルを付け、様式化した途端に、失われる感性だってあるだろう。
 けれども、次第に、惹かれるものの背景に一体何があるのか、そこに宿る思想や哲学 をもっと知りたくもなってきた。なぜこの色に、形に、心地よいと引き寄せられるのか。 家の中で靴を脱ぐ安心感の正体は一体何なのか…。
 そうした疑問の答えを探して古い本を読み、本の筆者に共感したり反論したりしているうちに、こんどは自分の側に思想が蓄積されていく。流行りの風が吹けばあっちに飛ばされ、こっちに飛ばされ……と翻弄されていた頃とは違って、ようやく脚が生え、地面に降り立ったような喜びに満ちた感覚だ。

ここじゃない世界へ行きたかった』(P47〜48、塩谷舞著、文春文庫)

隣の席になった人が、窓越しに外を眺めながらGoogleマップを開いて必死に土地を確認してるのはなんだか可愛らしかった。手元には「古代出雲へ行く」とある。地理を詳しく知りたい欲求を目の当たりにすると少しだけニッチな気がして嬉しい気持ちになる。

米子空港へ到着

米子空港に到着した。これからタクシーで七類港まで向かう———。
タクシーを予約していなかった。東京の感覚のまま来てしまった僕は、空港で購入したカツサンドを食べながら、タクシーを待つ。10分くらいしてから予約をしないとタクシーが来ないことを知った。それはそのはずで、今の時刻は8:50である。こんな早い時間に常駐しているわけがない。普通の会社員は10時から仕事が始まる。
目的の海士町へ向かう方法は他にもいくらかある。これからJR境港線で境港まで向かい、高速フェリーに乗って、海士町がある菱浦港に向かう。とにかく今は電車を待つ。

JR境港線 米子空港駅

駅は無人でローカル線の雰囲気を醸し出している。1時間に1本くらいで、次の電車が10:02ということで本を読んで待つ。「かがみの孤城 下」を読んだ。
17分くらい電車に揺られて、境港駅に到着した。

JR境港駅
高速船レインボージェット、フェリー乗り場

フェリーの切符を買おうと受付に行くとどうやら高速フェリーは基本的に予約が一般的らしく、スタッフに「満員のため、キャンセル待ちになるかと…」と言われ、絶句していた。これを逃したら島へのアクセスがない。泊まる場所もなければ、ホテルの費用も無駄になってしまう。言葉をなくしていると、奥から責任者らしき人が、「いいよ切符売って!」と担当の窓口スタッフに伝えてくれた。担当スタッフはおどおどしながらも、対応してくれてなんとか切符を買うことができた….。一旦一安心である。ただ直接海士町に行くのは無理らしく別府港という島前の港で別のフェリーに乗り換えが必要らしい(無事に乗り換えられるだろうか)。責任者らしい方に心からお礼を言いたい。フェリー乗り口付近を探しても見つからない。次にまた来る機会があるときは、忘れているかもしれないけど、しっかりとお礼を伝えたい。ありがとうございます!と伝えたものの、もっと感情的に感極まるレベルの感動があった。その気持ちをそのまま伝えたい。(迷惑だろうか…)

高速船レインボージェットの船内

高速フェリーの乗船時間は約2時間15分。高速フェリーでもこれだけかかる。乗り物酔いしない体で良かった、と本当に思う。移動は好き。
乗船中の時間も「かがみの孤城 下」を読んだ。1時間くらい経った頃、「かがみの孤城」を読み終えた。満席のフェリーの真ん中で号泣した。声を押し殺して、すーっと涙が頬を伝う。帽子を被りサングラスをしていたので、周囲にはバレなかったと思う。(バレなかったと思う…。)残りの時間は外を眺めたり、船内で流れる野球中継を見たりしているうちに別府港に無事に到着した。

別府港、西ノ島町

到着後にすぐにフェリーどうぜんという島前内航船に乗り換えて15分ほど、揺られて菱浦港(海士町)に到着。
目的地のEntôは菱浦港から3分ほどで近い。歩いて向かう。

Entôに到着して、すぐにフロントスタッフが対応してくれて、チェックインが15時だったのにも関わらず、30分以上も前に案内してもらった。部屋から海も、他の島々も、フェリーも眺めることができる。Webサイトで画像で見ていてよりも素敵すぎる部屋に感動して、何もしていないけれど、来て良かったと心から思った。

夕方までの時間はオンラインで予定があり、友人との雑談を楽しんだ。初めましての方もいて、少し緊張したけれど、話のリズムが似ている気がして、自然と話せたように思う。初見で波長が合う時、心踊る。それは文字通りの意味で。

Entô 隠岐ユネスコ世界ジオパーク 泊まれる拠点より引用

18時半くらいまでの2時間半ほど友人と話をした。終わってからは19時半の夕食まで時間があったので、館内にある温泉に入ることにした。温泉は湯に浸かりながら、海と向こう岸にある島を眺めることができる。

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夕食はEntô Dinnerというホテルの準備しているコース料理をいただく。テーマは「地産地消」のようで、海士で採れた食材、近くの島々で育てられた牛や野菜を中心の料理。丁寧にどのように調理して、どこで採れた食材なのか説明してくれる。冗談抜きで今までの人生の中で1番美味しい食事だったように思う。気づくと頬がやわらぎ、顔がニヤついてしまう。特に鰤、隠岐牛、つなかけというパン屋で作ったパンが美味しかった。食についても改めて考えなければならないような気持ちになった。食事をしている間も自然と姿勢を正すような食事は、窮屈でなく、むしろ心地いい。東京でも同じような体験ができるだろうか。ずっとやろうと思ってできていなかった、友人を誘って月一に食事会をするという営みをしたいと思う。19時半から始めた食事は気づくと21時を少しすぎるくらいの時間になっており、少し明るかった景色も暗くなっていた。
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食事を終えて、部屋に戻り、ベッドに寝転がる。食事の満足感と朝早くから起きていた疲れがどっと出たのか、気づいたら眠っていた。


2日目

早朝5時に目を覚ました。昨日22時前に眠ってしまったからなのか、随分早く起きた。二度寝する気分でもなかったので、お風呂へ行き、ゆっくりと大浴場で過ごす。Entôは客室がものすごく多いわけでもないということもあり、基本お風呂は貸切である。その点も嬉しい。

6時に差し掛かるくらいには身だしなみも整えて、部屋に戻っていた。
朝食は7時からなので、少し時間がある。

今回Entôに来た理由は、ホテルとして気になっていたことがある一方でもう一つ理由がある。ゆっくりと離島で喧騒や日常から離れて、ライフスタイルについて、仕事についてなど、今後についてを考え直そうと思っていた。今年の初めに立てた抱負を振り返りたい。その上で習慣を見直し、行き届けば仕事での肩書きを定義していきたいと思っている。どこまで出来るだろうか。そんなことを考えているうちに1時間ほど経っていた。

朝食は夕食に負けず劣らず、地産地消である。地元の食材が多く並び、品数も多い。健康的な食事を食べれるのは嬉しい。1時間ほどゆっくりと食事をした。

Entôの客室やラウンジには時計やテレビがない。海士町の大切な価値観のひとつに、「ないものはない」という考えがある。ここ10年ほどで形成されていった価値観らしい。ないものはないけど、必要なものはもうすでにある。という考え方だそうで。とても素敵な考え方のように思う。
僕らの生活はいくつもの前提があり、成り立っているけど、実はその数々は考え直してみれば不要な価値観や不要なものも多く存在する。むしろ前提が多すぎて窮屈に感じるときもあれば、生きづらさになるときもあるように思う。

***
14時を過ぎるくらいまで、考えたいと思っていたことについてあれこれ文字を書いたり、マインドマップを作ったり、整理を進めた。
ずっと籠って作業をしようと思ったけど、館内をうろちょろしながら、体勢を変えて作業をしても疲れる。「疲れたなー」とぼんやり考えてるとき、「そういえば近くで自転車をかりられる」ことを思い出した。それも普通の自転車ではなく、E-bikeというロードバイク型の電動自転車である。大人になってから久しく自転車に乗ってなかったなーと思った。
小学生の頃はマウンテンバイクに乗って、山道を走り抜けたり、コースを決めて競争してたり、とにかく身体を動かすことが好きだった。そうやって想いを馳せていたら、勉強や考え事なんてしてる場合じゃないような気がして、自転車をかりに出かけていた。ホテルから8キロほど離れたところに明屋海岸という有名な海岸があるそう。とりあえず目的地はそこに設定して、走ることにする。

走り始めてすぐにE-bikeの驚異的なパワーに驚かされた。めちゃくちゃ速い。途中に下り坂を本気で漕いだらどうなるのかと思い、モードをHighとEcoがあるうちの本気を出してくれるHighにして漕いだら、45キロほど出た。正直怖かった。車と同じくらいの速度で走行するのはなかなか怖い。

海士町の内陸は、平坦な地が多く、田園風景が見られる。その多くはお米を作っているのが見てわかる。隠岐諸島の島々の中でも、海士町がある中ノ島だけで田園風景が見られるとEntôのスタッフに教えてもらった。理由は、中ノ島だけ、火山が噴火して、中ノ島の山々が崩れて平坦な土地になったらしい。確かに隠岐諸島の他の島々はゴツゴツした山で形成されていて、ほとんど平坦な土地がない。

気づくと明屋海岸についていた。大体25分くらいで到着した。疑うまでもなく海は綺麗で、目視で少し離れた離島も見える。
海岸といいつつも、1番感動を覚えたのは岩肌のかっこよさである。ただただ首を上にあげるしかなく、呆然と見ていることしかできない。
自然を感じる。生優しい心地よさよりも、圧倒的で暴力的な自然を感じたように思う。きてよかった。

海岸を後にしてからも隠岐神社を回ったり、ゆらゆらと呼び道しながら、Entôに戻る。

途中、漁港のあたりを通ったときに高校生か中学生くらいの子どもたちが10人くらい集まっていた。浮き輪をつけてる人もいれば、ゴーグルをつけている人がいた。何だかいいなとぼんやり遠くから眺めていると、1人の号令を後にして、海へ飛び込みをした。一斉にタイミングを合わせて飛ぶ姿は、ドラマで見るような光景にふと嬉しくなる。

海士町にある、島根県立隠岐島前高等学校には、島留学という制度があるらしい。隠岐島前高校のWebサイトに行くと、生徒たちの動画が見られる。また同じページに掲載されているメッセージも素晴らしい。

本校では『島留学』として、日本全国からの生徒を募集しています。
これまで北は北海道から南は鹿児島まで200人以上の受け入れをしてきました。中学時代を海外で過ごして高校から本校へ進学する生徒や中高一貫校から進学する生徒もいます。
都市と比較して、地域には「なにもない」と言われがちです。たしかにコンビニエンスストアもショッピングモールも映画館もおしゃれなカフェもありません。しかし地域には都市では失われてしまった「豊かな人間関係」や「継承されてきた伝統文化」、そして「不便さ」がまだ残されています。

「なければみんなでつくればいい」。

そこに創造性が育まれる余白があります。生まれ育った土地や地域は大切にしつつも、3年間の高校生活を思い切って島で学んでみませんか? ここにしかない3年間を私たちは約束します。

https://www.dozen.ed.jp/island/より引用

海士町は一時期過疎化が進み、島の借金の膨れ上がっていたようで、島自体の存続の危機が訪れたと、Entôのスタッフが教えてくれた。そのときにあらためて考え直し、「ないものはない」という価値観であったり、島の存続には高校の存在が大事ということを再認識して、あらゆる制度を取り入れたらしい。確かに高校が過疎化していたら、子どもがいる家庭は自然と、子どもの成長に合わせて本土や県外の選択を取る人が増える。
***

18時前にEntôに戻り、夕食を食べるために歩いて出かける。きくらげちゃかぽん MOTEKOIYOというお店で食事をする。お店は小さいながらも賑わっており、スタッフはワンオペのようでとても忙しそうにしていた。提供までゆっくりと待ち、食事をすませて、1時間くらいお店にいたと思う。ワンオペということもあり、店員さんは少し怖い顔をしながらバタバタとタスクをこなしていた。帰り際に「忙しい中ありがとうございます。とても美味しかったです」と一言伝えると、頬の力が抜けるみたいにやわらいで、笑顔になって、「お待たせしてしまって申し訳ございません。ありがとうございます」と口角を上げながら伝えてくれた。嬉しい。僕は飲食店で接客したことはないけれど、アパレルで接客をしていたことはある。こういう何気ない一言をもらうと嬉しくなる。相手が嬉しそうにしてくれる姿を見ると伝えた方も嬉しい。こうやって海士町の経済が回っていけばいいと思う。

身体を十分に動かしたからか、今度は頭を動かしたくなり、当初計画していた考え事に戻る。21時くらいまでぼんやりと文字を書いたり考えながら館内をうろうろしたりした。贅沢な時間だ。館内はどの時間も、早朝の雪の中を歩いてるときのように音が落ちていて、シンと静まりかえり、自然と目の前のことに集中できる。

23時を前にして、友人と少しばかり話をした。海士町行きの高速フェリーで「かがみの孤城」を読了した。涙をだらだら流し、感動を抑えきれなかった。読み終わって少ししてから、「映画もあったよな〜」と思って、ホテルでの隙間の時間で映画版のかがみの孤城を観ていた。
正直残念でならなかった。話は単純化されて、重たい問題扱う上で必要不可欠な話のディテールはすっぽりと抜け落ちていた。不登校という問題も、作品の中で取り上げられる暗い問題も、矮小化されてるような、軽く扱われているような気がして、納得がいかなかった。映画を初めて観て、作品を知ったと結論づけてしまう人も多くいることを想像するともやもやとした気持ちになる。本を読んでほしいという切実な想いが湧き上がってくる。そういうことを友人に話をしたら、同様に理解してくれた。どうにもならない感情だけど、職場の愚痴を言い合うみたいに作品について話をした。

満足して気持ちになり、少ししてから眠った。


3日目

5時半に起床した。お風呂にいく。
旅行に来ているときしか朝風呂はしないけど、なかなか心地が良い気がする。ただお風呂そのものを気持ちよく感じているのか、お風呂に入ってるときに感じる朝日の光を心地よく感じているのかはよくわかっていない。

この2日でぼんやりと考えていた考え事をある程度まとまりを帯びていた。満足いくような気持ちになりながら朝食まで空いた30分くらいを過ごした。
朝はお茶漬けと多くのおかずだった。セルフサービスの牛乳がとても美味しい。乳製品が大好きな僕としてはとても嬉しい。お腹を壊すかもしれない可能性を忘れて2杯飲んだ。

今日はチェックアウトである。時間は11時でまだ時間がある。朝食を終えて部屋に戻ってから、帰る支度をする。今回考え事をするために必要そうな本を20冊ほどキャリーケースに詰めてきた。ただ実際に手に取った本といえば、2冊だけだった。考え事をするときに追加の情報はいらなかった。
東京で生活していると、毎日いやでも多くの情報を目にする。電車の広告も、30分刻みの仕事のスケジュールも、たくさんの読書も。海士町にきて思う。すでに自分の中にはたくさんの考えや思いが沈殿していて、静かな場所で、ゆっくりと過ごしていると、沈殿していたものたちが姿を表す。
次に旅行に来るときは5冊までにしようと思う。厳選して無理に持たない。

準備を済ませ、少し時間があるなーと思い、Entôの島に関する展示があるフロアをうろうろしていた。すると気にかけてくれたスタッフが話しかけてくれて、海士町のことや、スタッフの方について色々と教えてもらった。その方は大学4年生で1年休学して、インターンとしてここに来ているらしい。「物価が高くて…」という切実な思いも、島での人との日常的な関わりも、楽しそうに話してくれた。初めましての人と話すときにどうしても無言になってしまうときがある。そういう時に沈黙を律するように淡々と話題が振られるよりも、ただただ待ってくれたり、自分が待っていると、少し気まずいけれど、嬉しい気持ちになる。何か問いかけに即レスで返ってくる返答よりも、うーんうーんと考え込みながら宙を見上げて、沈黙の末に練り出されるぼんやりとしたまとまりのない言葉を聞けたときの方が嬉しい。スタッフの人はそういう時間を過ごさせてくれたように思う。島ならではのレスポンススピードはどこか心地いい。東京で3秒待つと、遅い!と心で思ってしまうときがある。速さを求めるよりも、遅いことに価値を見出したい。一般化して抽象化された最適解よりも、取り留めのない個人的な言葉を掬い上げたい。
客室にあった、お客様アンケートに回答する。熱烈な想いをひたすら書き殴り、その長文っぷりに読んでくれるだろうか…と心配になるほど書いた。

海士町から本土に向かうフェリーは15時から乗船可能。チェックアウトした後もまだまだ時間がある。フロントのスタッフに聞いたところ、チェックアウトした後も館内で作業などを続けてもいいと教えてもらった。お言葉に甘えて、13時を過ぎるくらいまで作業を進めた。PCに向かい、ちょうどのこの日記を書いていた。何文字書いたかわからない。島での静かな時間は繊細な心の動きを汲み取れるような気がする。覚えている限りを言葉にした。

午後に差しかかるくらいに、Entôを後にした。フロントのスタッフの方に「お世話になりました。」と伝えると笑顔で、でも凛とした顔立ちで送り出してくれた。プロフェッショナルとはこのことだ、と少ない所作の中でも見てわかる。


岩牡蠣春香

菱浦港(海士町)のすぐそばにある、レストラン船渡来流亭で昼食を食べた。寒シマメ(するめいか)漬け丼と岩牡蠣春香という牡蠣を生で、それから食後につなかけというパン屋の食パンを使用したハニーフレンチトーストをいただいた。食事はどれも美味しい。

食事を終えてから、本土の港から空港までのタクシーを予約していなかった。予約しようと電話をするも、人手不足でどこも予約でいっぱいだそうで。当日予約できるだろうと甘くみていた。公共交通機関で本土の港(七類港)から米子空港に行くには、七類港から境港までバスで行き、境港から米子空港駅までJR境港線で向かう。フェリーからバスの乗り換え時間が5分。バスから電車の乗り換え時間は3分。心配性の僕は、とにかく心配でそわそわしていた。特にフェリーからバスの乗り換えに失敗すると、今日東京に帰ることができない。手に汗握るとはこのことである…。

タクシーについて少し調べると、深刻な人手不足と高齢化で、年々タクシー会社が廃業しているらしい。確かに電話で対応してくれた方々もおじいさんが多かった。それに伴い、バスを増やしたと記載があった。それにしても5分は短過ぎるように思う。せめて10分待ってほしい。
フェリーでは3時間ほど揺られた。行きで乗船した高速フェリーとは違い、座席はなく、カーペットに横たわっている。その光景が何がか微笑ましく感じた。(体は少し痛くなったけど…)

船内では、引き続き考え事を少しばかりした。30分くらいして飽きて、Amazon Primeで「有村架純の撮休」の4話と5話を観た。前にも何回か見たことがある好きな作品。
下船の10分くらい前に準備万端にして、リュックも背負い、降下口に並ぶ。

降りて少し早歩きでバス停に向かうとすぐにわかった。なるほど、それほど広くない。一安心で胸を撫で下ろし、運賃500円を支払い、バスに乗った。
バスから電車への乗り換えも難なく終えて、空港に向かう。JR境港線には、僕と同じキャリーケースを抱えた乗客と、高校生が多く乗っていた。自分の全く知らない土地でも多くの人が生活しているという当たり前のことに改めてびっくりとしていた。籠って狭い世界で生きるよりも、交流して、人と関わり合いたい。今回の旅行を通じて、そのように思うことは多かったと思う。

米子空港から羽田空港までの飛行機は、梅雨前線の影響もあり、かなり強く、そして長時間揺れた。ジェットコースターを乗っている時に感じるような内臓をひゅっと持ち上げられる感覚を何度も感じる。少し怖い。座席にしがみつき、何とかすまし顔で過ごすけど、手はしっかりと汗をかいている。

飛行機が安定したくらいにPCを開いて、あらかじめ開いておいたクレジットカードの利用明細画面を眺めて、今回の旅行でいくらかかったのかを計算する。移動費と宿泊費、それから食費以外はほとんど、雑多な買い物もしておらず、かなり安く済んだ。海士町が掲げる「ないものはない」は全くその通りだと思う。コンビニはなければ、夜は早い時間にお店も閉まる。ましては日曜に関してはほとんどの店がしまっている。でも島に滞在しているときそれほど不便を感じなかった。それはもちろん短期滞在だったからかもしれないし、ホテルの設備や対応が充実していたからかもしれない。

羽田空港から最寄駅までのバスの帰り道、高速道路を走ってるときに外の景色をぼんやり眺めてて思い出す。子どもの頃、遠出したときの帰り道を。22時を過ぎると眠くなって、そのくせ助手席に乗りたがって、気づいたら寝てしまっていたときの記憶を、なんとなくぼんやりと思い出していた。

23時を少し過ぎるくらいに自宅に到着した。15時に海士町を出てから長い帰り道だったように思う。東京にいる感覚がまだよくわからない。
静かな時間を過ごせた。それでいて、人の温かさも同時に感じることができる体験はこれまでにはない距離感だったように思う。それはベタベタと近い距離で関わるわけではなく、節度がある距離で”個”を持続しながら、接続を感じることができる島。それが海士町だったのかもしれないと振り返る。

”地方”という抽象化した関わりではなく、”海士町”として関わりを保ちたいと思う。次は人を連れていきたい。この体験を共有したい。
また行きたい。強く思う。

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