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読書日記 | 4/8〜4/14

4/8(月)
天気も相まって、身体が少し重く感じられる。午前中は自宅で休むことにした。仕事に行かなければ————。

12時すぎに目を覚まし、支度をはじめる。
会社に向かう電車で「水中の哲学者たち」を読んだ。

 哲学って何するんですか。専門を聞かれ答えると、必ずされる質問だ。質問してくれたひとは「哲学です」と言うと、たいてい「て、てつがく」と口の中でつぶやき、失礼のないようにと怪訝な顔を少し整えて「哲学って何するんですか」と聞いてくれる。すると、哲学研究者たちは、はい! アプリオリな能力としての純粋構想力が産出する図式をめぐる議論です! などと、嬉々として自分の専門について語りだしてしまう。テツガクってそもそも何ですか、という質問であったにもかかわらず。
 本屋に行き哲学のコーナーを見ると、事態はより悪化する。『純粹理性批判』のように、 いかにもテツガクというものもあれば、『国家』のように壮大すぎて結局内容がわからないものもある。かと思えば、『存在と時間』『差異と反復』『物質と記憶』など、青春アミーゴの修二と彰さながらコンビ名っぽいものもある。地元じゃ負け知らずだったかもしれないが、いずれにせよ、よくわからない。
 だから、多くのひとに哲学はあまり受け入れられていない。哲学者は変人を気取っていると思われる。難しい用語を並べ立てて悦に入っていると解釈される。もしくは、役に立たないことに時間を費やしていると冷笑される。

 たしかに、哲学の用語は難しい。純粋悟性概念とか。現象学的還元とか。(…) 専門用語とは、物事を円滑に進めるための、ただの道具だ。哲学者が何百ページもかけて説明したことが、たった一言「超越論的統覚」で済むなら楽ちんだ。だから、まず用語の難しさで哲学に壁を感じているひとがいたら、専門用語は、ギャルが「精神が非常に高揚している状態」を「テンアゲ」で済ませるみたいなものだと理解してほしい。 その程度のことだ。

 哲学は意外とシンプルである。哲学とは、「なんで?と問うこと」だからだ。だから、 学問というよりは、行為や営みと表現したほうがいいかもしれない。

水中の哲学者たち』(P129〜130、永井玲衣著、晶文社)

仕事は20時くらいまで行った。手を動かすことよりも、人と話をすることが多かった。楽しいと思う仕事は、人と人とのつながりを心地よい場になるようにデザインしたり、客観的に再定義するときに楽しく思う。これを客観的に定義するなら「リレーショナルデザイナー」のような言葉になるだろうか。でもそう考えると、僕が出すアウトプットとは何だろう。そして会社に、組織に、どのように意味を持って、関われるだろうか。

帰りの電車で「水中の哲学者たち」を読了した。

 研究室を出てエレベーターに乗れば、男女グループが大騒ぎしながら乗り込んできて、男性が女性の気を惹くために、エレベーターをグラグラ揺らす。仲間たちは、おまえやめろよー、こいつマジウケる、と彼を英雄扱いしてはしゃいでいる。
 それを見たわたしはうつむいてその時間を耐えながら「帰りの電車でこいつらのお腹がめちゃくちゃ痛くなりますように」と心の底からお願いする。
 観念の中でほほえむのっぺらぼうの他者はすべすべしていいにおいがするのに、どうして現前した途端に、果てしない、おどろおどろしい、よくわからないものになってしまうんだろう。どうしてあなたを全身全霊で愛せないんだろう。カントだってびっくりの、道徳的な人間になりたいのに、なぜできないんだろう。

水中の哲学者たち』(P248、永井玲衣著、晶文社)

「どうしてあなたを全身全霊で愛せないんだろう。」烏滸がましいことだけれど、僕もよく思う。
満員電車に乗っているとき、僕よりも身長がひと回り小さい女性に足を踏まれ続けるという場面に遭遇した。その足を見つめて少し嫌な気持ちになる。なんで気づかないのだろう……。電車が揺れるのに合わせて足を踏む力が強くなる。ムッとした気持ちが立ち上がり、目線を足元からその人の顔に向ける。するとぎゅうぎゅうに押しつぶされている彼女がいる。顔はとても辛そうで、苦しそうであった。その瞬間、心の中で罪悪感がぽっこりと立ち上がる。きっと苦しくて身動きが取れなくて、足元を気にしている場合じゃないのだろうと思う。ここで僕のムッとした顔に彼女が気づいたらどう思うだろう。逃げ場がなく、余計に首を絞めてしまう行為になりかねない。怪訝な顔を表情として発露してしまってからでは反省をいくら繰り返しても遅い。
「道徳的な人間になりたいのに、なぜできないんだろう。」


4/9(火)
仕事はそれなりに忙しかった。バタバタと仕事をこなし、19時半くらいまで働いた。最近は心地悪さを心地よく感じるときもあれば、心地悪い空間に嫌悪感を覚えるときもある。果たして、その差異がどこにあるのかあまりわかっていない。

帰りの電車で「苦しい時は電話して」を読了した。

知らない人に向けてタメ口を使うとき、どこか気持ち悪さや嫌悪感を感じる。でもなぜタメ口に対して、気持ち悪いと感じたり、嫌悪感を抱いたりするのだろうか。例えば、あるショート動画で警察官が職質をするときに動画投稿者に向かってタメ口を使っていた。コメント欄には「タメ口なの上から目線みたいでキモい」とあった。またあるときは、駅の改札で駅員が女子高生に向かってタメ口を使っていた。その場で客観的に現場を目撃するときや、ショート動画などで現場を見るとき、その前後の文脈は切り取られわからない。僕らはその前後を推測する。
でもよくよく考えてみれば、「敬語を使わなければならない」というルールはどこにも存在しない。そこにあるのは、敬語を使う”べき”であるという道徳だけである。道徳とは時に刃物の正義になりうるにも関わらず。
自分も人に無意識にタメ口に”なってしまう”瞬間がある。僕が今感じたように同じように嫌な気持ちにさせているかもしれない。それが意識的になり自覚的に反省するときもあれば、無意識的に気づかず傷つけていることもあると思う。”正しさ”なんてわからないけど、平和な日常の中では、尖った部分を削ぎ落とした言葉を使いたい。

自宅に帰って、お風呂の時間と眠る前の布団の時間で、アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」を読んだ。


4/10(水)
「SCIENCE FICTION」という宇多田ヒカルの新しいアルバムを聴きながら会社へ向かった。宇多田ヒカルは、母親の影響で好きになった。
僕が小学生くらいの頃に軽自動車の中で宇多田ヒカル、ドリカム、中島美嘉が流れていたことをよく覚えている。

仕事を16時くらいまでこなし昼食にする。食事が終わったあと本屋に寄ると、本屋大賞が発表されたすぐあとだった。去年も水曜だった気がする。書店内は、本屋大賞を受賞した、「成瀬は天下を取りにいく」が多く並べられていた。結局「成瀬は天下を取りに行く」と「百年一日」の2冊の本を購入した。

帰りの電車で「そして誰もいなくなった」を読んだ。

自宅に着いてお風呂をすぐに沸かし、湯船に浸かりながら「さびしさについて」を読んだ。

 娘と一緒にいるときは、この日の昼間に感じたあの遠さなど嘘だったみたいに娘が近く、そこで自分が発する言葉も、思うことも、目の前の娘とその周囲にしか向かっておらず、全然距離がない感じがします。娘が声や表情や動作を使って表そうとすることの届く範囲に、親である自分の言葉や思いも自然ととどまろうとするのかもしれません。それはなにかを思い出したり、どこかに向かって半ば闇雲に、相手任せに言葉を投げるような、ふだん小説を書くときの言葉の使い方とは違って、いまこの一瞬にだけ現れて、すぐに消えてしまうような言葉ばかりです。

さびしさについて』(P164、滝口悠生・植本一子著、ちくま文庫)

眠る前に、旅行の計画を立てていた。島根の「Entô(エントウ) 」というホテルに行きたい。6月上旬くらいに行こうかなと考えていた。

布団に入ってからまた少しだけ「さびしさについて」を読んだ。


4/11(木)
会社に向かう電車で「そして誰もいなくなった」を読んだ。

仕事は数名のチームメンバーへのフィードバックを入力することをメインに進めた。人の評価をするというのは、今だに慣れない部分がある。
最近は初めましての人と話す機会も増えてきた。

帰りの電車でも「そして誰もいなくなった」を読んだ。
自分の仕事は、役割が明確に決められてないことが多い。だから不安になることもあるけど、チームのためになっていると願いたい。

自宅に着いてからすぐに食事とお風呂を済ませた。
21時くらいには布団に入った。そこからはひたすら「成瀬は天下を取りにいく」を読んだ。とにかく夢中になった。

「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」
 一学期の最終日である七月三十一日、下校中に成瀬がまた変なことを言い出した。いつだって成瀬は変だ。十四年にわたる成瀬あかり史の大部分を間近で見てきたわたしが言うのだから間違いない。
 わたしは成瀬と同じマンションに生まれついた凡人、島崎みゆきである。私立あけび幼稚園に通っている頃から、成瀬は他の園児と一線を画していた。走るのは誰より速く、絵を描くのも歌を歌うのも上手で、ひらがなもカタカナも正確に書けた。誰もが「あかりちゃんはすごい」と持て囃した。本人はそれを鼻にかけることなく飄々としていた。わたしは成瀬と同じマンションに住んでいることが誇らしかった。 しかし学年が上がるにつれ、成瀬はどんどん孤立していく。一人でなんでもできてしまうため、他人を寄せ付けないのだ。意図的にそうしているわけではないのに、周囲からは感じが悪いと受け取られてしまう。
 小学五年生にもなると、成瀬は女子から明確に無視されるようになる。わたしは同じクラスだったにもかかわらず、我が身かわいさに成瀬を守ることはしなかった。

成瀬は天下を取りにいく』(P6、宮島未奈著、新潮社)


4/12(金)
10:18、起床した。寝坊だ。アラームをかけ忘れた。
11時から立て続けに2つの会議がある。1つはオンライン、もうひとつは会社で行うもの。このままだとどちらも参加しようとするとどちらか間に合わない———。

結局、オンラインの会滅を移動しながら参加して会社での会議はなんとか無事に間に合うことができた。そのあとも18時までバタバタと仕事をこなした。人と話すことが多い日だったように思う。

帰りの電車で「成瀬は天下を取りにいく」を読んだ。

なんだか今週は何か特出したことをしたわけではないけれど、少し疲れた気がする。自宅に着いてから2時間くらい横になった。
お風呂の時間と、眠る前の時間に「成瀬は天下を取りにいく」を読んだ。

「膳所ガールズとか?」
 わたしは成瀬のネーミングセンスに感動していた。なんでもこなす成瀬がこんなダサいネ ーミングしか思いつかないのか。この様子ではネタ作りも危ぶまれる。
 わたしが思うに、コンビ名は一度で覚えられるような、単純でインパクトのあるものがいい。漢字で膳所は読みづらいから、ひらがなかカタカナで入れたほうがいいだろう。
「思いついた。カタカナで『ゼゼカラ』。膳所から来ましたゼゼカラですー って言って、ネタをはじめるの」
 わたしが提案すると、成瀬は「いいじゃないか」と目を丸くした。もっと練りたいところ だが、これぐらい適当なほうが力が抜けていていい気がする。
成瀬はコンビ名の欄に「ゼゼカラ」と書き込んだ。

成瀬は天下を取りにいく』(P43、宮島未奈著、新潮社)

読んでいると、背中を押されるわけではなく、気づくとやる気が出てきて、身体を動かしたくなる。ゆっくりと眠れそうだ。おつかれさま。


4/13(土)
9:00のアラームで起床した。ゆっくりとたくさん眠れたように思う。
眠れたけれど、布団をなかなか出る気になれず、のたうち回る。

11時くらいまでYoutubeを見たり、「成瀬は天下を取りにいく」を読んだりした。少し作業をしたかったので、カフェに行く下度をする。

13時前には数駅離れたカフェに到着した。
作業は、今年の初めに立てた抱負の振り返りと今後についてを考え直す作業を進めた。16時前くらいまで3時間くらい手を動かした。ある程度は整理ができたように思う。

家に帰るまでの電車で電手で「成瀬は天下を取りにいく」を読み終えた。

「わたしのおすすめは近江牛コロッケ定食だ」
近江牛コロッケ定食という響きだけでご飯一杯はいけそうだ。出てきたのはご飯、漬け物、 味噌汁、コロッケ、だし巻き玉子、きんぴらごぼうという百点満点の内容だった。

成瀬は天下を取りにいく』(P161、宮島未奈著、新潮社)

近江牛コロッケ定食。引用を見た瞬間、口の中がよだれでいっぱいになった。好きなフレーズというよりもただ美味しそう、食べたいという理由だけで、本の角を折った覚えがある。

うまく言語化できないけど素直に面白かった。ひとりで声を出して笑った箇所もあった。「成瀬」という主人公のことがすごく好きになった。

夜は、20〜23時すぎまで友人と雑談をした。今後についてを聞いてもらったり、互いの近況を報告したりして、充実した時間だった。
この雑談会の命名を、日常的なエピソードを共有し合うなかで少しだけ俯瞰した視点に立てるようになることを目的にするということで「俯瞰会」と命名した。


4/14(日)
5:30、目を覚ました。喉が渇いていた。自宅の冷蔵庫に冷えた飲み物がなかったので散歩ついでに、近くのコンビニに向かった。炭酸飲料を購入して自宅に戻った。すぐにもう一度寝ることを試みたけど、なんだか眠れずにボーッとしていた。気づくと気を失っており、次に目を覚ますと、9:06だった。

8時からオンラインで予定があるのに寝坊してしまった。謝罪しながら、Discordのグループに入った。
最近観たという「すずめの戸締り」の話をしていた。2人の感想を聞き、自分の感想を述べた。そのあと各々の近況と今後の話をいくらかした。
この雑談会のような営みは、今「沈殿物共有会」という命名だけど、そろそろ改名した方がいいかもねというような会話を交わして、11時すぎに解散した。

その後は自宅でゆっくりと過ごした。コナンの映画を観て、ボーッとして…を複数回繰り返して、気づくと18時半すぎになっていた。

少し作業をしたかったので、30分で支度を済ませ、近くのスターバックスへ向かった。読書日記を書いて過ごした。1時間すぎたくらいでPCの充電がなくなった。どうやら昨日の夜に充電するの忘れ、充電器を持ってくるのも忘れたらしい。スマホの充電も13%だったこともあり、仕方なくカフェを後にした。

北千住のBook Firstという本屋に向かった。
15分くらい店内をうろうろして、「成瀬は信じた道を行く」を購入して店を出た。帰りの電車で読みながら帰った。

自宅へ着いてから21時には、食事もお風呂も済ませて布団にいた。
0時すぎには「成瀬は信じた道を行く」を読み終えていた。
満面の笑みであった。なんだか満たされた気持ちになり、口角が上がったまま眠った。

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