お父さんがいればなぁと思ってしまったアラサー


日曜日の初めての沢歩きで、
鈍臭いわたしはいろんなおじさん達に手を引いてもらって助けてもらった。
1人じゃとても登れないような高さのところで、
2人のおじさんに両手を引いてもらって何とか登れたときは思わずきゃあきゃあ言ってしまった。
(めっちゃ怖かった)


その後もいろんなところで助けてもらい、
笹を折ると後ろの人が歩きやすくなるとか、
川を渡るときは底が見えている浅いところを歩くようにするとか、
いろんなことを教えてもらった。


おじさん達もすっかり少年に戻っていたからかもしれないけれど、
いつも女として生活している中で感じている、
異性への危険や不安や心配なんて何もなくて、
わたしはただただ弱い生き物として守られている感じがしてすごく安心した。


この日はスタッフのおじさんの娘さんも来ていた。
お父さんと同じ顔をした、
わたしより一回りくらい年下っぽい女の子。
いつも明るく声をかけてくれるおじさんの娘さんは、
素朴な感じの可愛い女の子で、
「もし〇〇さんの娘さんがギャルだったらびっくりしたけど、真面目そうでいい感じのお嬢さんだったね」とわたしは母親と話していた。


そんな中にいたからかもしれない、
わたしは一瞬だけ、

「自分にもお父さんがいたらどんな感じだったんだろう」


と思ってしまって自分でも驚いた。
そろそろ母子家庭になってからの人生のほうが長くなるので、
普段はそんなことは全く考えないのに。


わたしにとって父親は、

もう全く関係のない人だ。


わたしの両親はわたしが高校生の頃に離婚していて、
父親にもそれ以来会っていないので、
生きているのか死んでいるのかも知らない。
「ずっと会ってないからもし父親がその辺を歩いてても絶対気づかないです!」
と普通の家庭の主婦の人に話したら、
すごく可哀想な顔をされたことがあるけれど、
わたしにはよくわからなかった。
父親は生きていたら50代半ばだろうか。
女好きだったので、
新しい家庭というか別の子供はいるに違いない。
わたしは今さら父親に会いたいとも思わないし、
もし死んでいてもお墓参りに行こうとも思わない。


父親はとにかくキレやすい人で、
わたしも弟も小学生の頃からずっと、
家でも出先でも休みの度に、
怒鳴られたり叩かれたり髪を引っ張られたり物が飛んできたりしていた。
わたしは精神的ストレスからか、
週末になると風邪でもないのに変な咳が出たり、
チック症みたいな症状が出ていた時期もあった。
父親はわたしが嫌なときにわざと変な咳をしていると思っていたため、
わたしの症状が出ると父親はひどく怒り出し、
また怒鳴られたり殴られたりしていた。
父親が暴れるといつも優しい母親が毎回、
「子供に当たることないでしょ!」
と声を荒げていた記憶もある。
子供の頃の週末はいつも修羅場だったのだ。
(トラウマなんだろうか、
この文章を書いていても無意識に涙が出てくる)


高校生になって父親が家を出ていくとき、
どうしてか全く記憶にないけれど、
最後に言っておこうと思ったのかもしれない。
わたしは子供のときから父親に怒鳴られたり叩かれたりした話を直接本人にしたことがある。
そのときも父親は低い声で、


「俺が虐待してたって言うのか?」


と実の娘相手に本気でキレてきて怖かったし、
この人とは本当に話にならないから、
話すだけ無駄だと悟ってしまった。
こんな父親が他の家庭にもいるのだろうか?


父親が家を出ていってわたしも母親も弟も、
貧乏だけど平和に伸び伸びと暮らせるようになった。
もうお金を使ってもお菓子を食べてもテレビを見ても嫌味を言われなくていいし、
変な時間に帰って来て団らんを邪魔する人もいない。
わたしは高校生の頃、
無職の父親に朝学校まで送ってもらっていたけれど、
毎朝父親の車を降りた後、
「この後事故ってあいつが死んでくれますように」
と本気で念を送っていた。
それくらい家族にとって父親は邪魔な存在だった。


わたしに結婚願望も出産願望も全く無いのは、
女が子供を産んでしまったら、
どんな酷い男でも一緒にいなきゃいけなくなるのを見て育ったからだ。
母親は片親になったらわたし達が可哀想だと思ってしばらく一緒にいたらしいけれど、
わたしは女でも手に職がないとあんなゴミみたいな男も家から追い出せないのかと毎日絶望して育った。
絶対にあいつがいないほうがみんな幸せなのに、
どうして追い出せないのかと物凄い無力感を毎日感じていて本当に辛かった。
だから手に職を付けなければと思ってはいたけれど、
なぜか何も付いていないので、(痛恨のミス!)
わたしは今のままなら絶対に子供だけは産んではいけないと未だに思っている。


だから川で笑って手を引いてくれるおじさん達が、
自分の父親と同じ生き物とは思えない。
いやこのおじさん達だけじゃない、
運送会社のドライバーさん達も、
会社のおじさんも、
タイミーで会う男の人達も、
いつも笑ってわたしを助けてくれるじゃないか。
あの優しい男の人達も、
家に帰ったら実の娘に手を上げているのだろうか。
わからない。でもたぶん違うような気がする。

もしこんなおじさん達がわたしのお父さんだったら、
人生違っただろうなと思ってしまった。


わたしは運転ができないので、
いつも母親と遠出していて、
沢歩きも一緒に行ったけれど、
もしお父さんとだったらどんな感じなんだろう。
母親と行くときみたいに、
わたしが道を覚えて案内しなくてもいいんだろうか。
このおじさん達なら、
わたしが行程を考えたりランチの場所を調べなくても面白いところに連れて行ってくれそうだ。
わたしが喜んでいるのを見て喜んでくれそうだ。
(なぜかわたしの写真を撮るおじさんも何人かいる)
世の中にはそんな男の人もいるのか。信じられない。


でもどう頑張ってもわたしはあのおじさん達の娘にはなれなくて、
おじさん達だってわたしが近づけば、
間違いなく女として見てくるに違いないのだ。
だってわたしはよその女だもん。娘じゃないもん。

わたしがこの先出会う男の人達は、

絶対にわたしを女として見てくるのだ。


だから父親の代わりなんて絶対にいない。
どんなに優しい男の人と出会ったって、
初めて車に2人で乗るときはきっと警戒するだろう。
1度も身の危険を感じないなんてことはないだろう。
初対面から安心できる異性なんて、
世の中には存在しないのだ。


地球上にたった1人しかいない、
わたしを女として見てこない唯一の男性で、
誰よりも安心して甘えられるはずだった男性に、
わたしは怒鳴られたり殴られたりしていたと思うと、マジで終わってるなと思う。
後にも先にもキレてわたしの髪を引っ張ったのは自分の父親だけだ。
そんな男の人には他に会ったことがない。
どうして世界で一番安心して甘えられるはずだった男性が、
自分の髪を引っ張るような酷い男だったんだろう。
わたしはこういうふうに育った女だから、
ずっと彼氏ができないのかもしれない。

たぶんそうだ。わたしには男の人がよくわからない。


昔わたしが大好きだった妻子持ちのホテルマンは、
自分の娘達を溺愛していた。(※不倫はしていない)
幼稚園に入る前の娘に、
「お父さんとかパパじゃなくて"とと"って呼ばせてるの、可愛いから」
と言って穏やかに笑う好きな男に、
子供嫌いのわたしは何も言えなかった。
大事な娘を温泉街の小さい幼稚園に入れてコミュ障になったら困るからと言って、
彼は市街地に引っ越して転職もして会えなくなってしまった。
最後に彼と会ったときにそんな話を聞いて、

わたしはきっと無意識に、

彼の父性に惹かれたんだなと思った。


わたしが一番欲しかったけれど、
どうもがいても絶対に手に入れられないもの。
きっと彼のお嬢さんはわたしと違って、
すくすくと育って普通に男性とお付き合いができて、
あと20年もすれば彼は当たり前のように孫の顔を見ることができるんだろうなと思った。
かなわない。わたしにはどうにもかなわない。
だからあんなに好きになったのだ。
哀しいけれど自分でも妙に納得してしまった。
彼はわたしが一番欲しくて欲しくてたまらなかったものを持っていそうに見えたのだ。
でもわたしは残念ながら彼の娘ではないから、
「女はやれるかどうかしか興味ない」と言われ、
ホテルに連れて行かれて断ったら音信不通になり、
わたしの男性不信はますます深まってしまった。


そして今わたしには好きな人がいるけれど、
きっと今回の恋も上手くいかないだろう。
わたしには男性に愛された土台が無いから。
男の人をどう信頼してどう付き合っていったら良いのかわたしには全くわからない。
実家暮らしで彼氏も友達もずっといなくて、
自分の好き放題に生きてきた30過ぎの女を、
手懐けられる男性なんてそうそういるはずがない。
こんなこじらせおばさんに興味を持ってくれて、
安心して甘えさせてくれる男性なんて、
きっと世の中に存在しないのだ。

頭ではわかっているのに、
気持ちをなかなか断ち切れないのが、
人間の厄介なところだなと思う。
わたしにも優しくて頼りになるお父さんがいれば、
きっと人生違ったはずなのにな。