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人の「希望」と「絶望」について言葉を調べつつ自分のイメージを膨らませる

ちょっと希望がないって言葉を使っていることが多いのだけれども自分で自覚的に理解するために調べてみた。


「希望」とは

「希望」とは、一般的に、将来に対する肯定的な期待や願いを表す言葉です。
希望は、何か良いことが起こることを望んでいる状態や、目標を持ってそれを達成しようとする気持ちを指します。
人々は、個人的な目標や夢を持っていることが一般的であり、希望は人生のさまざまな面で前向きなエネルギーを生み出す原動力となります。
イメージとしては、希望は明るい未来や成功への道筋、困難な状況を乗り越える力などを連想させることが多いです。
希望は、人々が自分の人生や社会に対して前向きな態度を持ち、積極的に取り組むことを助ける重要な要素です。

明るい未来を感じられること。村上龍さんのエッセイで日本には「希望がない」という発言が目立っていた。
楽しいなどの感情があっても明るい未来を描けない日本。それはなぜなんだろう。
明るい未来など自己の成果に関わってくることなのに、と思っていたがやはり世間性などの息苦しさも目立つからなのかなと。なんだかんだと思考停止でも生きられるんだけどさ、そんな人は追い込まれた時に弱いのよ。
自分で切り開く力がないから。これ。明るい未来を切り拓けないのは暗いよ。教育なのかなぁ。
逆にね、「絶望」も調べてみた。


「絶望」とは

絶望は、希望が失われた状態や、困難な状況からの脱出が不可能であると感じる状況を指します。
絶望的な状況は、個人が自分の力で何も変えられないと感じるときや、状況が悪化していく一方であると感じるときに生じます。
イメージとしては、絶望は暗い未来、失敗、挫折などを連想させることが多いです。
絶望感は、人々が自分の人生や社会に対して消極的な態度を持ち、行動を起こすことをためらう原因となることがあります。
しかし、絶望的な状況から立ち直ることも可能であり、困難を乗り越えて成功を収めるストーリーは、人々に勇気と希望を与えることがあります。

未来が明るくないこと。楽しい、って思えないこともかな。自殺率も高いしね。
人々が塞ぎ込むような「何かが」が多い。これは空気感に没入してしまった人が陥りやすい気がする。
難しいのはその選択ってさ基本的に自分で選んでいるのよ、自覚的に。「考えないこと」を選んでしまった。
思考停止なら誰のせいでもない、ってね。分かっているのかね、それも選択なのよね。


自分のイメージで

こうやってみると自分のイメージが足りていないところもわかった気がする。
自分は「自分」だけで成り立っていないことを自覚する必要がある。
けっこう空間的なことを考える癖があるのだけれども誰かがそこの空間に「在る」だけで何かが変わると思っている。
自分は、といえば「希望」「絶望」共に含めつつ、人生をサーフィンのように楽しんでいきたい。
たまに落ちることになるけど死にたくなら必死にボードの上に立つ。

人はいつか死ぬ。
それが終わり。

ちゃんちゃんってね。