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2019年夏カザフスタン・キルギス旅行~アルマトイ編~

 

 アルマトイも大都市であった。1997年までは首都だったところで、現在はビジネス、文化、学問の中心地として栄えている。冬季スポーツ国際大会が開催されることも度々ある。首都ヌルスルタンは特徴的建造物が多く未来的な雰囲気があったがまだ開発途中の部分も多かった印象で、出来立ての都市という印象だった。一方アルマトイは、特徴的なものはあまりない普通の都市といった感じだが、ヌルスルタンと比べると、以前から栄えている成熟した都市といった印象を受ける。また、道行く人々は、アジア人的顔をした人の割合がヌルスルタンより多いような気がした。


〇駅に到着 

 翌午前にアルマトイに到着。アルマトイ駅も二つあるので利用する人は注意しなければならない。駅は混雑しており、荷物検査のところはとくにごった返していた。欧米人旅行者の他、現地風の人が多かった印象である。

 駅をでると、おびただしい数のタクシーの客引きが待ち構えている。旅行者を見ると実にしつこく「どこへ行くのか」などと言いながらついてくる。聞こえないふりして通り過ぎようかと思ったが、それは甘い考えだった。彼らは行く先をふさぐようにして喚きながらずっと付いてくる。私はついに声を出し、駅前すぐそこにあった巨大な銅像を指さし、「あれを見に来たのだから、タクシーにわざわざ乗る必要はない」と主張し、何とか引き下がってもらった。

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※駅前の銅像

〇中央バザール


 実は初めに見たかったのはバザールと呼ばれる市場である。アルマトイには大きなバザールがあるので、それをめがけて歩いていくことにした。私は市場というものが好み、盛岡に住んでいた時は「土日ジャンボ市」によくいっていた。街中は暑いが空気は乾いていて、日差しが明るかった。バザールに近づいてくると道端に露店が出現し、人通りが増える。また客引きに引っかかると面倒だと思い、あまり店をのぞくことはせず、バザールへまっすぐに向かった。
 

 バザールがある建物に入ると真っ先に、店店が整然と並んだ大空間に入る。野菜や果物、ドライフルーツ、ハチミツなど多種多様なものが置いてあって、見ているだけでとても楽しい。韓国製品コーナーもあった。2階に上がると服など日用品コーナーになるが、1階とは違ってあまり人はいない。
あるハチミツ店を覗くと、濃い色から薄い色のものまで何種類もおいてあり、女性店員がなにやら花の写真とか畑の写真を見せながら熱心に説明してくれ、試食をさせてもらったが、悲しいかなロシア語と思われる言語で、何一つわからなかった。しかし、ここまで熱心に説明してくれて試食までさせてくれたところで、「では不要也」と言って去ることは私には到底できないことである。試食して気に入ったものを3種ほど小さい瓶詰で買った。
 

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※バザール内(本来撮影禁止です)

 このバザールはもっと敷地が広いはずだと思い、そこらをウロウロしていると、地下や、建物の軒下などに、食品のみならずあらゆる生活雑貨がそろうのではないかと思わせるほどの店店が並んでいた。特に地下などはスリにでも遭いそうな雰囲気で、より雑然としたところであったので、そういうところにより興奮してしまう私にとって実に興味深かった。別の建物には大量の肉が売られているところがあり、見たことないほど巨大な肉の塊がいくつもぶら下がっていたり、羊の頭がゴロゴロと売られていたりで、壮観な肉の風景であった。客はどんな単位で肉を買っていくのだろうか。私は羊の頭や半身みたいな肉の塊を豪快に買いたい衝動に駆られたが、旅行中に持ち歩くことは非現実的なので何とかこらえた。

〇パンフィロフ戦士公園


 バザールを出て街を歩き、大きな公園に出た。28人のパンフィロフ戦士公園というそうだ。第2次大戦中のドイツ戦の際、カザフから出征しモスクワ防御し戦死した、パンフィロフ将軍率いる28人の戦士を記念して作られた。パンフィロフ将軍たちのモニュメントは大きく、描かれている戦士の顔の表情など大変躍動感があって、迫力がある。付近には火がともっている石でできた墓などがあり、戦士を慰霊し、讃える荘厳な雰囲気であった。

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※モニュメント

 
 歩いていると、元気な日本語が聞こえてきた。見ると、おしゃれな格好をした女子大生らしき日本人2人組がいた。「日本人ですか」と尋ねると、「そうです。やばっ」などと言っており、お互いに日本人の存在に驚きあった。

〇カザフ民族楽器博物館


 公園の端には、ここらでは珍しいであろう木造の建築物がある。カザフはコンクリート製の建物ばかりだったので、貴重な木造建築の存在に少し嬉しくなった。中へ入ると、民族楽器博物館で、ドンブラと呼ばれる弦楽器をはじめ、おびただしい数の民族楽器が展示されている。英語での説明書きがあり、何と写真が撮り放題であった。

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※ドンブラなど

〇コクトベ


 再び街を歩きだし、南方向へ坂を登り始めた。実に暑かったが、大きな開放的な水路が道路脇を結構な勢いで流れており、坂を登る徒歩者にとっては有難い存在だった。遠くに見える高い山々由来の水であろうか、清らかな水に思えた。


 目的は、コクトベという、市街を見渡すことができる展望台にロープウェイで登ることである。行きたかった国立博物館は火曜日が定休日で、急遽ここに登ることにした。頂上は意外にもしっかりした施設群で、売店やレストラン、動物園や遊園地まであり、カップルの他、ベビーカーを押す家族などが楽しんでいた。天気は良かったので景色は実に良いものであった。スキージャンプ台が見え、ここは夏は暑いが、冬は寒くて雪が多いのだと改めて認識させられた。市街と反対方向には山脈(天山山脈か?)が美しく見える。ここでは私の携帯電話に日本の知り合いから電話が来た。今カザフスタンにいると述べると大変驚いておられた。

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※アルマトイ市街

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※山脈


 帰りのロープウエイ内で2人組の男と一緒になったが、なんと彼らは日本語を話し始めた。カザフには日本人に似た顔立ちの人も多いので、日本語を耳にするまでは日本人だとは思わなかった。話をすると、彼らは大学生で長期間旅行しており、中国から24時間バスに乗ってきたりと、壮大な旅の途中で2人は知り合ったらしい。


 ロープウエイを降りて近くの広場に行くと、銅像があり、周りで少年たちがチャリやスケートボードに興じていた。私は少年たちに「この像はナザルバエフか?」と尋ねると「アバイだ」とのことで、知らない名前だったが記念に写真を撮ってもらうことにした。実に元気な少年たちで、少なからず元気をもらった。

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※アバイ像

〇宿へ

 ところで、街を歩いていると、街路樹の幹が高さ1mくらいまで真っ白に塗られていることに気づく。これは何だろうか、防虫剤だろうかなどとずっと気になっていた。後で出会った人に聞くと、正体はやはり防虫剤で、5月ごろに一斉に塗布するそうだ。塗布したては薬のにおいが結構するらしい。それにしても公園や街路には樹木が多いので、大変な手間がかかっていることだろう。

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※防虫剤塗布後の樹木(ヌルスルタンにて撮影)


 この日の宿は、翌朝使うバス停の近くの安ホテルを予約した。向かう途中に「共和国広場」や「独立記念碑」を歩いて見た。これらは広くて壮大な建物であるが、なんだかあちこち工事中であった。記念塔のてっぺんには動物に乗った戦士らしき像があり、根元には何某かの手形があった。金属だったので触ると熱かった。

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※共和国広場、独立記念碑付近

 歩くのも飽きたので途中でトロリーバスに乗ると、車内で現地の人に現地語で話しかけられた。どうやら私も地元民だと思われたようだが、カザフには見た目が日本人のような人も多いので、無理はないだろうと思う。私はリュック一つしか持っていなかったので、旅行者と思われることのほうが少なかったかもしれない。

〇宿にて


 宿にチェックインし洗濯をしようとすると、有料らしく、穏やかな表情をしたおばさんが乾燥までやってくれるそうだ。値段を聞くと1アイテムごとに料金がかかり、かなり高いのでズボンなど乾きにくいものをおばさんに頼み、手洗いでも一晩で乾きそうなものは自分でやることにした。


 夕飯と翌朝の朝食は近くの惣菜屋で調達した。女性店員にあれこれ聞こうとすると、彼女は英語が話せないとのことで申し訳なさそうにしていた。しかし丁度入ってきた店員の知り合いの男性客が英語を話せるとのことで、彼が懇切丁寧に説明してくれた。中華料理っぽいものやロシア料理っぽいものいくつか勧められて買った。どれもおいしかったが、春雨サラダのようなものが気に入った。

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※惣菜たち


 洗濯物は、きれいに畳んで仕上げてくれた。おばさんには心から感謝している。

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