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PCFを終えて思う

昨日、無事PCFを開催することができました。
まずは、PCAメンバー、YMCA関係者、音響スタッフ、報道関係者、来場者の皆様に感謝申し上げます。お忙しい中ご参加いただき、誠にありがとうございます。
PCFの詳細な内容については、PCAのブログにまとまっておりますのでそちらをご覧ください。(→https://note.com/pca_2021/n/nd63377ff9484)

自分は今回PCFの実行委員長としてPCFを引っ張っていきました。自分はここでは、自分のPCFに関わった経緯と感謝の気持ちをまとめていきます。


ここまで、PCFに力をいれたのには2つのわけがある。
1つ目。自分は大学1〜2年の頃、大学祭の運営をやっていた。大学祭を運営する団体は、2年生がメインで行っており、6月に本番を迎えるために、1年生の後期には新体制を作る必要性があった。そこで、何を思ったのか委員長に立候補したが、仕事を進める中で、周囲の人間との軋轢が生じ、新入生が入る前の2月に辞任する羽目となった。結果的に別の立場で大学祭の運営をすることはできたものの、自分の心にはぽっかりと穴が空いてしまった。

 だから、いつかこのときの経験を克服したいと思っていたし、「委員長」としての自分を全うすることで、辛い過去から新たな未来へと一歩を踏み出したかった。
 ただ、自分は途中まで「委員長」ではなくあくまでも実行委員会の1人としてやったつもりだった。実際、本番の2週間前まで委員長というワードを一切出すことはなく、人柄や知名度だけ先行する形で選ばれる出来レースで「委員長」に選ばれたくはなかった。けれども、本番数日前のミーティングで、「今、選挙やって選ばれるのは間違いなくイワソーだよ」って言われた時は、出来レースではなく、真の自分の努力を見てくれた点で本当に嬉しく、改めてここにいる仲間のために頑張りたいと思えた。


2つ目。ジュニアライターの時にやったイベントをまた作りたかったから。
そのイベントは平和に未来を作るために10代の若者ができることを考えるイベント「中高生ピースマイルフェスタ」である。→https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=22523

これを作ったときの僕は中2で先輩たちに圧倒されながらも、楽しみながらこなすことができた。いつか先輩のようにこんなイベントを作ってみたいと思ったが、23歳になったこの年に実現できるとは想像しなかった。

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2つの思い以外にも特大な才能を持ったCrewが生き生きと活動している姿が見たく、それらの思いを胸に半年間活動することができた。苦しいときがあっても自分のモチベーションを壊すことなく最後まで乗り越えることができた。無事、職務を全うできた。


ただ、当日、決して順風満帆に物事が進んだわけではなかった。音声がハウリングしてリハーサルの時間が押してしまったり、急遽YouTube配信を止めて全面的にZoom配信に切り替えたりもした。本当にハプニング続きだったけど、無事にイベントのプログラムをやりきることができた。裏で、オンライン配信やリハーサルの進行、ワークショップの統括をしていただいたPCA職員室の皆さんには本当に感謝しかない。

ここまでイベントを一緒に作ってくれた9人の実行委員会メンバーにも感謝したい。みんな他の活動や学業がある中でもPCFにコミットして共に良い場所を創り上げることができて本当に良かった。時には急かしたり、振り回したこともあったけど、それもこの日のための布石となってくれたはず。

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良き相棒としてここまで実行委員会を引っ張ってくれたあきちゃん。
アドバイザー役として僕に適切なアドバイスをくれたしのぴー先生。
会場決めるときや最初の頃のミーティングなど、辛いときはこの2人がいたからこそ乗り越えられた。お互いに全幅の信頼をおけるような人間関係を築けたのもここまでやってきたおかげ。
あきちゃんは音響のスペシャリストとして、当日は調光室からホールの指揮をしてくれただけでなく、PCF全般について一緒に議論してくれた。専門学校でライブをやって、そのときの経験をうまくPCFに活かしていた。同じ委員の中で1番話し合っていて、1番信頼できていたし、PCFを作る上で上手く「共創」できていた。

しのぴー先生は、職員室メンバーの1人で自分とは親子ほど年が離れているけど、少年のように楽しむことを忘れない人だ。東京で11月に飲んだとき、「イワソーが中心になってPCFを引っ張ってほしい」と言われたことは自分を奮い立たせてくれた。そこから、若者だけで判断しかねることはしのぴー先生に聞くようになった。時には深夜に連絡を送ったりして、ご迷惑をおかけしたこともあったけど、しのぴー先生を尊敬し、背中を追いながら、頑張ることができた。


PCAでの盟友、「ぐっさん」こと河口悠介氏も忘れてはいけない。
0期で同じユニットを組んで一気に仲良くなり、今では夜遅くまでふざけあったりする仲になった。彼の平和活動に対する思いと知識は一級品で、多くのことを学んでいる。
音楽チームで演奏する彼の姿は、真摯に音楽に向き合っている音楽家の姿そのものであった。彼ら音楽チームが演奏する間に、PCF参加者に感謝を述べる場面があったが、スピーチ中に感極まって、舞台袖で号泣してしまった。その涙をぐっさんは「頑張ったからこそ出てきた涙。今までPCAに参加してきた中で一番美しい涙」と言い、我慢できずに涙していた。彼はこのあと泣きながらベース弾く羽目になってしまい、申し訳なく思ってます。
彼はPCFへの思いをかなりの長文でまとめてくれたので、こちらも是非ともご覧ください。(→https://ameblo.jp/primogyk/entry-12729308101.html)

改めてみんなありがとうございます!!!!



そして、PCAもPCFも続いていく。これから新しいメンバーを迎え入れるたびにグレードアップした内容になり、自分が今回やったPCFが10年後、20年後にはちっぽけに見えるかもしれない。実際次にPCFを作っていくサポーターは、我々ができなかったコンテンツを次々とやってほしい。

でも、PCFがより魅力的になるほど、自分はより誇りに思うだろう。
こんなに素晴らしいイベント「PCF」の最初の実行委員長を務めることができたことを。

今回関わったすべてのメンバーも誇りに思ってほしい。
最初のPCFに関われたことを。


最後に、自分にとても大きな経験をさせてくれて

本当に

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本当に

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ありがとう。

イワソー

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