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シュレディンガーはたぶん猫。[第12話]

第12話 

 

 登校直前の朝食中。まだ寝ぼけ眼のまま、朝番組のキャスターの声を聞き流しながらパンを食べていると、突然、凄惨な事件のニュースが流れてきた。

 ――次のニュースです。昨晩未明、S市〇〇区□□町のマンションの一室で女性の遺体が発見されました。女性は腹部を激しく損傷した状態で発見され、その後病院に運ばれましたが、死亡が確認されました。女性は妊娠中だったということです。警察は女性が何らかのトラブルに巻き込まれたものと想定しており、現在行方不明中の夫が詳しい情報を知っていると見て、夫の行方を捜索しています。

「□□町って。兄ちゃんの学校のすぐ近くじゃん」
「本当だ。めっちゃ近いな」

 真由美の指摘に俺も頷く。その画面にババーンと映されているのは、まさしくこれから通る予定の俺の通学路だったりする。そして片山の自宅アパートはその□□の隣町にある。

「いやだわ、人を殺すだけでも怖いことなのに、妊婦さんにそんなひどいことするなんて……」

 母さんはその点が強く気になったようだ。つい想像してしまったのか、自分のお腹を押さえて曇った顔になっている。

「政信、真由美。お前たちも不審者には気を付けろ」

 全国区のニュースになっていると知り、新聞を読んでいた父さんも心配になったのか、顔を上げて注意してきた。

「はぁい」
「分かった」

 いつもは別々に登校するが、不安を募らせた母さんに言われて真由美と一緒に家を出ることになる。真由美の学校は現場からは少し離れているが、それでも心配になってしまったらしい。ひとまず真由美を最寄りのバス停まで送り、そのまま自分の通学路に戻る。

 すると、うちの学校の周辺は騒然となっていた。校門には既にマスコミが来ていて「さて、どいつを取っ捕まえてインタビューするかな?」とでも言いたげにギラギラとその目を光らせていた。なので、「うわっ、捕まったら囲まれそう、ヤバいぞ」と気付いたその辺りにいた生徒たちは、特に声まで出して連携したわけではなかったが、十人ぐらいの群れ状態にまとまってダッシュして学校の敷地内に逃げ込んだのだった。俺も「今だ」とタイミングを合わせて一緒に逃げた。

「いや、これ絶対夫が犯人だろ。浮気とかさ」
「でも夫婦仲は良かったって聞いたよ?」
「夫の人、うちの学校の卒業生らしい」
「あー、だからあんなマスコミ集まってるんだ?」
「第一発見者のマンションの管理人さんが言うにはね、妊婦さんのお腹、ナイフで刺された、みたいな傷じゃなかったんだって。まるで腸とか赤ちゃんごと、ぽっかり溶けてるみたいだった、って……」

 校舎に生徒が集まって来るにつれて、素人探偵の見立てやら、現場の近所に住んでいる奴提供の噂やら、SNSあたりで集まってきた情報なんかが、まことしやかに口々に囁かれ始める。真偽不明のままに妄想と思い込みが暴走していく。

 ひょいと覗いてみると、さっきより更にマスコミの数が増えていた。この分だと思っていたよりもかなりインパクト強く次も報道されそうだ。昼のワイドショーでも特ネタとしてやる予定なのかもしれない。

 遠慮なく校舎にカメラを向けてきているので、「うわ、めっちゃ撮られてる」と誰かが声を上げて以降、自発的に全てのカーテンが閉められた。以後は外が気になった奴だけが、たまにこっそりと顔だけ出して動向を監視している。

 とまぁ、そんな状況だったので、結局、その日は授業なんてまともにやれるわけがなかった。あんまりにも騒ぎが大きくなって収まりそうになかったため、一限目は自習・教師は緊急の職員会議に。そして三限からは急遽休み、生徒は全員帰宅。明日のことは今からまた職員会議をして確定させてから連絡します、と決まったらしかった。

「怖いね、宮本くん……」

 帰りの荷物をまとめていると、隣の席の岡田さんが話しかけてきた。最近は前よりいくらか話す頻度が増えたような気がする。こんなに友好的に話しかけられると、本気で好きになっちゃうかもなぁ、なんて考えてしまう。単純なので。

「物騒だよね……岡田さんも、帰り気を付けてね」
「うん。宮本くんも」

 まぁ、今日に限ってはことがことなので、「誰でも、宮本くんでもいいから、とにかく周りの人と話したい!!」と思ってしまうくらいに怖くて不安だったのかもしれない。こっちとしてはタイプの子と話せて嬉しいというのは紛れもない事実なので、声をかけてもらえて大歓迎だ。

 そのまま岡田さんと今後ある期末テストのことなんかを話していると、片山がやって来た。呼んでるぞ、とクラスメイトに知らされたので見ると、ヒラヒラとその手を振っている。

「あ……。じゃ、そろそろ行くわ、俺」

 一応岡田さんに断ってから、席を立つ。そのさも「俺たちトモダチです」ってやりとりに、園田さんはしみじみと、驚き混じりの口調で言ってきた。

「本当に、あの片山くんとすごく仲良くなったんだね……」
「うん、まぁ、今は別に悪い感じじゃないかな」
「そっか。……本当、気を付けて帰ってね」

 その気を付けて、というのが、単に猟奇事件に対してだけでなく、対片山も含んでの発言のように感じられる。

 片山はイケメン属カテゴリーに含まれた、比較的女にもモテる容姿の奴だけども、岡田さんの好みではないっぽい。むしろ、かなり苦手なタイプのようだった。その視線の泳がせ方から、あまり接触したくはなさそうなのが、何となく伝わってきた。小柄な岡田さんから見る片山は、背が高くてがっしりしているその体型や、目つきにも圧があり過ぎるところが、結構怖いのかもしれない。

 何にせよ、俺の身を心配してくれるのは嬉しいと感じる。

「うん。ばいばい、岡田さん」

 俺は手を振って廊下に出た。すると片山がすぐに寄ってきて、肩を組む形になりながら少し声をひそめて、他の人には聞こえないようにとこっそり言ってきた。

「宮本、朗報だぞ。こないだの、女紹介する話な。会えるからお前の都合聞いてくれ、って向こうから連絡来てる」
「はぁっ!?」

 そういえば、以前、そういう話をした。けど、それは単に俺の童貞をからかうための冗談じゃなかったのか。

「じょっ、冗談だろ?」
「いや。マジで」

こちらの、あえてのヘラリと笑っての確認に、しかし片山は真顔のままだった。全くふざけているつもりはないらしかった。しばしの間、沈黙が落ちる。

「……や、やっぱり、いいわ。俺」

 ちょっとだけ、ついふらっと心が揺れてしまったが、すぐさま正気に戻った俺はブンブンと首を横に振る。

「お前、あれだけ『こんな触ったり一緒にいるのなら、絶対女がいいのに』とか、俺に言ってただろが」

 確かに、対消滅や登下校のたびに、俺はずっと片山に文句を言っていた。まるで熱に浮かされたように、何度も何度も。

 しかし、だ。こうして実際にその機会が巡ってきたぞと宣言されると、さすがに正気に戻る。

「そうだけど!!リアルの女子を、さ、触れるとか、想定してねぇから!!」

 俺は小声で叫んで。しかし、ついつい、自分の両手を見てしまう。そうして、指先をそわそわと動かしてしまった。

「相手の人って、どういう人……?」
「んだよ、興味あるんじゃねーか」

 だったらいいとかゴネてねぇで素直に話聞けよな、と片山は呆れているが、いやいや、そこはさぁ、やっぱ、気になるだろ。するにしても、しないにしても、相手がどんな人なのかくらいはさ。なぁ?などと、俺はソワソワする。

「子供の頃に、俺と同じ施設に一時期いた、二つ年上のお姉ちゃん的な女子。あっちは義理の両親に引き取られたからしばらく会ってなくて、再会したのは……確か三年くらい前か」

 俺の隠し切れないドキドキを悟ったのか、片山はさくっと情報を開示してくれた。

「へ、へえ~……」

 年上のお姉さんかぁ、お姉さんね……ともやもや想像してしまい、また俺はちょっとソワソワする。妹がいるので年下の女子への耐性はまだあるが、お姉さんは全くの未知だ。

「遠慮してんだったら、ぶっちゃけ、するだけ無駄だぞ。そういう配慮がいる女じゃないからな」

 いや、でもな……とモゾモゾ尻込みしていたら、きっぱりと片山が言い切る。なので、さすがにそのもの言いはどうなんだ、と少し奴の雑過ぎる態度にドン引く。

「うわ、お前、そんな言い方……」
「妖怪・童貞食いみたいな人なんだから。アッコ姉ちゃんは」

 けれど、全く思いもよらない単語が耳に届いて、思わず変な声が出てしまった。妖怪に、童貞食いって。

「ほえっ?」
「童貞紹介すると喜ぶんだわ」

 そう淡々と片山は言ってくるが、俺は固まってしまって動けない。何しろ、免疫の欠片も持たない童貞なので。

「お前、今日暇か?俺らもう学校上がりだろ?これから二時間くらい後になら、時間取ってくれるって」

 片山はもうそうすることが確定みたいに言った。しかもそのまま流れるような動きでスマホから直で相手に連絡しようとしているのに気づいてしまい、ヒュッ、と俺の喉が鳴る。

「いやいやいやいや、そんな、いきなりっ、そりゃ、特に用事はないけども!!」
「そんじゃ、決まりな」

 あれよあれよと言っているうちに、その噂の「アッコ姉ちゃん」に会うことになってしまう。

「待て、待てって!!」

 俺は必死に片山のスマホを持つ手を止めようとした。
 ……した。のだが。

 結果として、俺は一度家に帰った後、少し綺麗めの服に着替えて、家を出てきている。ダチの片山に会う、すぐ帰るから、と母さんに言って。

 いや、親に嘘をついたのではない……。確かにここは片山が住むアパートでもあるし、奴の仲介でその人と顔を合わせて紹介されるまでは、実際に俺は片山の部屋にいたのだから。

 ここは片山の部屋から、二軒分隣に住む女性のお部屋なのだ。間取りはそっくりだが、家具やカーテンの色合いが違っているからか、全く異なった印象だ。女の人の部屋、だ。

「あの、なんか……スミマセン、急に、こんな」

 ベッドの、横に並んで横に座るお姉さんに、恐る恐る話しかける。顔はまだろくに見られなくて、下を向いて。

「いいよ~、気にしないで」

 それはとても明るい口調の、妙にあっけらかんとした声色だった。「気にしないで」と俺に言っているわけだが、いっそお姉さんの方こそ、俺のことを全く気にしていないのかもしれない、と感じるほどの気軽さだった。



[つづく]

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