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シュレディンガーはたぶん猫。[第24話]

第24話

 

 二学期に入ると、想定よりも段違いに「受験生」っぽさが増してきた。俺もいよいよ受験先について確定していかなければならない。が、最近はこのまま例の予定通りに私立の大学への進路を確定していいものか、悩み始めている。

 文系の学部、商学部や経済学部を滑り止めとして受けるとして。でも俺は、現状では商業や経済にはあまり興味がなかったりする。やっているうちにいずれ興味が出るかもしれない、というのはあるけど、こんなふうに進路を決めていいものか、なんて思っていたりする。

 たぶん、ここ最近は量子力学関連への興味が強めに出てきているからだ。きっかけはシュレと虫と変異だったけど、素粒子について色々考えているとわりと楽しかったりする。

 ただ、そっちは完全に理系。親にも担任教師にも全く「実は俺、その辺のジャンルに興味があって」みたいな話はできていない。いきなり方針転換するなんて、大丈夫なのか。

 そして、ガチでやる場合は、現状での理数系での学力が足りな過ぎて、浪人生になる可能性も出てくる。そしてそういう量子力学をやれる学部がある大学が我が家の近くにあるかどうかも、今は全然分からない。まだ調べられていない。もし県外なら、ということになると、一人暮らしも想定内に入ってくるかもしれない。そんな大きな人生の予定変更について、「出資者」となる父さんは、何と言うだろうか。

 父さんはわりといつも仕事で帰りが遅いし寡黙な人で、あまり腰を据えた会話をしたことがないから、「なんか、何考えてんのかよく分かんねーな、この人」と思ってしまう。

 あと、「一番色濃い父さんとのこれまでの記憶」自体が、蝉を殺したあの小四の時と直結してしまっているので、余計に話すのが気まずい感はある。

 とりあえず、近場で量子力学をやってる大学の有り無しを調べてみるかな……パソコン室にでも行って。

 なんてちょうど思っていたタイミングだったので、その噂はとてもタイムリーに耳に入ってきたのだった。

 俺は「パソコン室周辺で突然赤い幽霊を見たとか、襲われそうになった」と語る生徒の噂を聞くこととなった。シュレが生み出したこの学校の怪談は「パソコン室の黒い幽霊」だったはずなのに、新学期になった途端、いつの間にか「赤い幽霊」までもが出てきていた。

「シュレさ。お前、最近、赤いもの出してパソコン室に来る生徒のことを無駄に怖がらせたりとか、してないよな?」

 念の為、俺は直接シュレ本人にも確認する。

『赤?はて……?そもそも、ここ最近はあまり学校には来ていなかったからな、吾輩。端末はどこにでもあるのだし』

 当然、奴も不思議そうにしていた。

 そもそも俺らが毎日学校に通うからこそシュレも便乗してついてきていて、単に授業中に暇だからとパソコン室にいただけなのだ。そんな俺らが夏休みってことは、シュレも基本片山の家にずっといた。そもそもこの学校にあるパソコンから「しか」ネットにアクセスできない、ってわけでもない。

 確か休みに入る前に「夏季休暇中の図書室ほか、各特別教室の利用について」というお知らせプリントが生徒に向けて配られていた。そこに基本の解放時間帯と、その他の時間でも部活や個人でも使う人がいる場合は問い合わせしてね、という旨が布告されていたと思う。おそらく、そういう利用者の人たちから、件の「赤い幽霊」の噂は出てきているのだと思われる。

「シュレや俺らがあまり学校に近づかなかった隙に、別の怪異がパソコン室に入り込んでる……?」
「つまり、『シュレや俺らがいなかったから』、あえてそこを根城にした奴――あのクソ虫がいるかも、ってことだな」

 考えられるのは、やっぱりそれだと思う。あの一軒家の現場からもわりと近い位置にあるこの学校に、逃げた虫の一部が入り込んでしまった可能性がある、ということだ。

 以前に「俺と片山の混じり」と「虫がミサワを食い殺した件」が、片山目線だと一つの事件に見えていたという。今回も、それと同じなのかもしれない。シュレ本人が夏前に起こした怪異と、休み中に発生した全く別の、虫による新しい赤い怪異。その二つが「学校の怪談」として一体化した状態で今は噂されてしまっているのかもしれない。

『む、吾輩は人間を驚かせたことはあっても、決して襲ったことなどないのだぞ!!虫め、冤罪だッ……!!これは紛れもなく、冤罪であるッ!!』

 シュレはピリピリと微弱に発電しながら、強めに憤慨している。何やら奴なりのプライドがそこにあったらしい。

「ちょっと、行ってみるか」
「だな」

 俺らは放課後を待ち、すぐに揃ってパソコン室へ向かうことにした。シュレも片山の通学かばんの中にしっかり待機している。特に何もなければ、改めて普通に知りたいと思っている「比較的家から近場で量子力学を学べる大学」についてでも、調べて帰ればいい。

 ちなみにみずきちゃんは、たまたま今日は家の用事があるとかで、別行動だ。お姉さんが車で近くまで迎えに来てくれるという話で、俺はバリアーだけしっかりかけ直してから彼女を見送った。

「まだ虫退治するには人多いな……」
「もうちょっと待たねぇと」

 そんな話をしながらパソコン室に近づいていくと、ふと目線の先、廊下に山瀬と松岡が揃って立っていることに気がついた。奴らもパソコン室に用事があったらしい。もう松岡の右手がドアノブにかかっている――。

「っ、ヤバい、あいつら……っ」
「片山、入る前に引き留めろ、俺とシュレで封鎖する!!」

 すぐさま俺たちはダッシュした。片山は例のやり方で2人の襟首を後ろから強引に引っ掴む。

「入るな、お前ら!!」
「オワアッ、いでっ、何だよ片山!?」
「うえっ、なん、いってぇ!!」

 勢い余って廊下に転がることになった二人分の驚愕の声を聞きながら、俺は操った電磁力をドア周辺に纏わせ、シュレは教室全体を「虫かご」の要領で封鎖する。

 キンッ、とその場の空気が変わったことで封印が成ったことを察して、俺と片山は目配せし合う。これでもう、普通の人間はどんなに頑張ってもこの空間には入れないはずだ。

「な、何なんだよぉ~、お前らぁ……」

 かなり痛かったらしく、山瀬が涙目になりながら俺たちに文句を訴えようとした。が、しかしその顔が、瞬時に怯え一色になった。松岡もそんな山瀬の視線を追って目線をそちらに動かし、すぐに真っ青になる。

「あ、赤い、幽霊だ……」

 呟いた松岡の声は、完全に上ずったものになっていた。

 パソコン室の中が窓を通して見通せるのだが、シュレ製作の「虫かご」の作用で教室全体がグレーみを帯びて見えている。そのグレーの奥、赤い光が無数に、ぼやーっと光りながら飛んでいた。それは不吉な黒い霧の中で、どす黒い赤色の人魂がゆらゆらと飛んでいるふうにも、見える。

 俺たちにとっては、その赤はとうに知っているものだ。あの構造色を持つ虫が夕日に輝くことでそう見えているのだと分かっているが、松岡たちにとってのそれは、今回初めて見た異様で不吉な赤い光でしかない。

「何だよ、これ……っ」

 信じられないと、松岡が俺らの顔を見てきて。そしてもっと驚愕した顔つきになる。ほぼ同時に、山瀬も息を飲んだ。

「か、片山、宮本。なんか黒いのが、憑いてる、お前ら」

 それはパソコン室の中の怪異ではなくて。俺たち二人分のこの身の変異の方、だった。

 っ、バレ、る。

 俺たちは揃って沈黙して、意識的に変異を抑える。じわじわと広がる黒を、あたかも「幽霊に攻撃されたふう」に装う。

「……き、消えたっ、やったっ、助かったな俺ら!!」
「よ、よかった、宮本、片山~!!お前ら、幽霊に呪われたかと思ったよ~!!よかったぁぁぁぁ!!」

 山瀬と松岡は、完全に泣きそうな顔になっていた。しかし制服の下まで俺らが何とか変異を抑え込んだところで、ふたりして心底安心した様子で頬をほころばせて笑いかけてきた。

「ああ、そうだな……」
「助かった……な」

 俺たちも応えて、ホッとしたふうの笑い顔を作る――本当に、こいつらは「いい奴ら」なのだ。ああ、そんな優しい奴らを、こんなふうに偽装して、すっかり騙してしまった。罪悪感が半端ない。ただ、それでも奴らを守らないという選択肢だけは選びたくなかったのだと思う。片山も俺も。

 その後、騒ぎを聞いて駆けつけてきた教師たちは、どうやってもドアを開けることはできず。全くどうすることもできない、せいぜい職員会議を何度も開きながら「自然と元の状況に戻るまで待つ」くらいしかできないだろう。

 そんなことを絶対に言いそうになかったあの学年主任までもが「やはり我が校は、呪われているのか……?」などと青くなりながら弱気に小声で呟くのを、俺たちは聞いた。生徒のみならず、教師陣までもが消耗しているようだ。それさえもあざ笑うかのように、パソコン室の中ではゆうらりゆうらりと虫たちが飛んでいるのが見えた。

 そしてこの事件が瞬く間にまだ残っていた生徒たちによって周知された結果、それまで以上の勢いで「学校の怪談・開かずのパソコン室の赤黒い幽霊」は学校中を恐怖に陥れることとなったのだった。

 校内各地から物見遊山の人が集まってきているため、俺たちは「さすがに今ここで動くことは無理だな」と、諦めざるを得なかった。改めての虫退治はもう数時間後、夜間に学校にこっそり忍び込んで行うことにする。俺たちはまだ怯えが残っているままの松岡と山瀬を優しめに促して、一度帰宅することにした。

 帰り着いて、俺が家に用意されていた夕飯のナポリタンをモソモソと食っていると、目の前に座っていた真由美が、ダイニングテーブルの上にあるものを「そういえば、コレ」と思い出したような口調で、スッと差し出してくる。

 それはリンちゃんの存在がひときわバーンと目立つ、マジカルアニマルのシールシートだった。

「押し入れのシール入れの中に中に入ってたの、昔集めてたシール。彼女さん、いるかな?」
「どうだろ。持ってるかな?一応、訊いてみないと」

 とりあえず、受け取るだけ受け取っておく。俺は自室の勉強机の上、それを飛ばないように曲げてしまわないように丁寧にクリアファイルに挟んでから、外に出かけた。



[つづく]

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