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シュレディンガーはたぶん猫。[第20話]

第20話

「どう、したの?」

 何をどうしたのか、は俺の方がよくよく分かっている。けれども、少し岡田さんが気付かないところで、意地が悪い言い方をしてみた。

「ちょ、ちょっと、びっくり、して……」

 岡田さんは、当然、俺に何をされたのか、全く分かっていない。ただ、パチパチと瞬きを繰り返している。本当にびっくりしてしまった様子だった。

「そう?大丈夫?」
「だ、い、じょう、ぶ……」

 真っ赤な顔で、ぷるぷると肩を震わせている。すがるみたいに抱き着いてくる腕、きっと足に来ているからだ。可愛い。

「きもち、よかった、だけ、だから……」

 呟くなり、とろ、と融けきったふたつの瞳が俺を見返してきた。もっとして欲しい、と言いたげだった。

 けれど、これ以上はいけない。ほんの少し素粒子体の表面を撫でた程度でさっきの反応だったのなら、きっとガッツリと触れたなら「過剰すぎる」ことになる。同じことで自分が全く動けなくなった事実があるので、あれを岡田さん相手に再現するのはさすがにまずいと、分かってしまう。

 俺は岡田さんとは、今後は肉体のみを触れ合わせることに決めた。しかし自分でそう決めておきながら、ちょっとした物足りなさを感じることに、少しいらつく。

 なんで物足りないなんで思ってるんだ……?

 彼女はちゃんと、ずっと可愛い。俺が触るたびに嬉しそうで、今も気持ち良くなってくれてると分かって、嬉しい。好きだし、好かれてる。「順調なお付き合い」をやれているはずだ。デートも、いや、一緒にいるだけで楽しい。

 こうして触れている感覚も、しっかり気持ちいい。幸せだ。
 なのに。どうして俺はそんなことを考えてるんだ?

 あの「圧倒的で暴力的な快感に翻弄される、素粒子体特有の感覚」が足りない、なんて。

 今、ぞわぞわと背筋が溶ける感覚がある。岡田さんの死角になる場所に変異が集中するように心がけてコントロールしながら、俺はゆるゆると手を動かして岡田さんの背中から腰にかけてを撫でている。

 無意識のうちに、首筋に強く歯を立てようとしていることを自覚して、はっとする。意識して、かわりに触れるだけのキスにすると、くすぐったそうにされた。

「気持ちいい……?」
「ん……」

 こくこくと頷く岡田さんは、どこまでもけなげだ。

「かわいい、好き……好きだよ、岡田さん……」

 何も知らなくてか弱い岡田さんは、俺の素粒子体に触れたり、俺の素粒子体に触れられたりする術を全く持たない。

 そのことが、どうしても、物足りなかった。
 

 セーブしたつもりだったけど、ちょっとやり過ぎてしまった、かもしれない。あの後、岡田さんはひとりで立てなくなってしまったので、お姫様抱っこをしてベッドに座らせることになった。「俺にもできるんだな、お姫様抱っこなんて漫画とかアニメくらいでしか見たことなかったものが」と自分のその行動に驚いた。岡田さん自身が華奢で軽いから、というのもあるが、俺もここ最近は修行してもろもろハードに動いているだけあって、数か月前よりはいくらか体力がついた気がする。

 お姉さんが帰宅するまではこのまま少し休むと言っていたので見送りは断って、頼まれた通りに玄関の鍵をしっかり閉めてから、ドアのポスト部分に借りた鍵を落とした。キーホルダーには「マジカルアニマル」のリンちゃんの、変身用の杖を象ったチャームがついていた。

 アニメのリンちゃんの杖はネックレスの鎖に小さくくっついていて、変身する時に五十センチくらいの大きさまででかくなってたな、などとぼんやり思い出しながら歩いて。

 そうして、俺は現在、片山のアパートにいる。片山本人は朝からバイトで、十八時過ぎるまでは帰ってこないと聞いている。事前に鍵を預けられていたのでそのまま普通に開けて入って、いつも片山が鍵を置いているフックに戻しておく。

『おお。お前の方がカタヤマ本人より早かったな』
「みたいだな」

 座椅子の上で丸くなって昼寝していたシュレが起きて、素粒子体的な意味での伸び?らしき動きをしながら話しかけてきたので、俺は窓の鍵を開けて換気しながら応える。

 そのままほぼ自宅のような自然なやり方で冷蔵庫に向かい麦茶を出すと、適当に棚から取ったグラスに注いで、一気に飲み干した。

 冷たいものを口にして少し落ち着いたので、「さて、片山がいないうちに、今日の観察日記をメモっておこうか」と俺は始祖の虫入りの虫かごを取り出す。

 最近の俺はトレーニングの甲斐あって自力で虫かごを作り維持する能力が完全に身についているので、自宅で始祖を育てている。そして通学かばんの中に潜ませた状態で一緒に行動しているのだ。片山の部屋に置いているとナチュラルに殺される可能性があるので、基本持ち歩くことにした。

『その虫……まだ殺していなかったのか。もうとっくに自力で処分していると思っていたぞ』

 俺の目の前に置かれた始祖入りの虫かごに気付いたシュレが、意外そうな声を上げる。

 俺に自力で虫を処分する能力が身について以降、シュレも片山も始祖のことはノータッチだった。ほぼ存在を忘れかけていたくらいだと思う。それだけ俺たちはあれから大量の第二世代を殺してきたのだから。

「ああ、うん。コイツに関しては、ずっと観察日記、つけてるからな」

 人をも食う物騒なやつだが、コイツは「基本、素粒子なら何でも食う」という虫だと聞いているので、俺はあえて「地球上の生物じゃないもの」のみを餌として与え続けている。

 つまり、コレが食った人間は、地球上最初の被害者である片山のヤンキー仲間、「ミサワ」が唯一となる。いや実はその前に食われている奴が他にいるのかもしれないのだが、少なくとも、俺たちが知っているのはたった一人だけだ。

 その後は、俺が学校で片山と殴り合いした直後に、汚れた包帯をシュレがデモンストレーションとして食わせた。次に食わせたのが、左手の片山の口にも食わせたオレンジの飴玉を二個ほど、個装ごとだ。あとは、岡田さんとデートした時に見た映画の半券とかも試した。マジで、「何でも素粒子にして食う虫」という前評判通りだった。餌によって食わないとかためらう様子も見られず、さして好き嫌いはないようだ。

 さて、このまま無機物のみ食わせていくと、第二世代以降とはどういった差が出てくるのだろうか。変異の差が表れてくるその日が、正直、とても楽しみだ。待ち遠しい。

『まぁ、第一世代で今のところ一番弱いから、何かあってもすぐ殺せるし、よっぽどの突然変異でも起こらん限りは、特に脅威にはならんだろうが……』

 ウキウキと観察ノートを書きつける俺を、シュレは呆れ混じりでありながらも、一応は放置してくれている。ありがたいことだ。

『ま、カタヤマにはバレないようにな。怒られるぞ』
「そうする」

 シュレの指摘通り、「本当に片山にバレたら、ガチで怒られるんだろうなぁ」と俺は想像する。また半殺しの目に遭うかもしれないよな……と。ミサワの敵、なんだもんなぁ。

 とはいえ、隠し通して、無事変異を確認したら、その時点でしっかり殺せばいいのだ。大丈夫だろう。

 俺は気楽に考え、観察日記への書きつけに精を出す。そうやってしばらく熱中してノートに書きこんでいた俺だったが、ふと顔を上げてシュレに質問したくなった。そういえば、確認したいことがあったなと思い出して。

「なぁ、シュレ。俺ら人間の変異の影響っていうのは、肉体だけでなく、メンタルにも出るものなのか?」

 最近、そのことが妙に気になっている。少しだけども、前とは自分の性格が変わっていくような、メンタルが大きく揺れるような、そういう言動を自分がしているように感じる。

 ちょっと片山っぽい、衝動があるように思う。片山のことを取り込んでいる、混じっているから?と強く感じてしまう。

『そうだな……肉体のことは基本、吾輩には分からんが。しかし、素粒子体を動かす作用というものこそ、意思の力に大きく依存しているわけだからな。逆にメンタルに出ずにどこに出るんだ?というのが答えになる』

 シュレのその回答が、いやに腑に落ちると感じた。意思とはメンタルそのものだろう。

 やっぱり、以前とは全体的に「体の感覚」が違っているせいで、気持ちまで引きずられている気がするな……。

『吾輩の感覚では、地球の人間の場合にはその肉体にも作用するものなのだな、という……極めて神秘に触れた認識だな』
「そう、か」

 シュレにとっては、逆にこういう人間特有の肉体の機能の方が、よっぽど異様で珍しくて奇妙なものなのかもしれない。



[つづく]

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