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理由や動機はなくていい

昔から、理由や動機を聞かれることに違和感を感じていた。

「結婚の決め手は?」
「弊社を選んだ理由は?」
「なんでその趣味を始めたんですか?」

人となりや、目指しているもの、
人物像をつかむキーワードとして、
または一般的な会話のありかたとして、
必要なのだということは理解できるけど、

いつもそれらしき理由や、動機を考えて
質問者に納得してもらう一連の流れが、あまり好きじゃなかった。

もちろん、人と関わり会話をする上では
それらしきことを言い、コミュニケーションをとることは大切だし、
相手を困らせない、尊重するうえでも、必要なやり取りだとは思う。

でも、何かを決めたり、始めたりするときに、
自分の中で理由って本当に必要だろうか?

別に、これといった理由が明確にあるわけでもなく、
ふとした時に突然、
「なんか好きだ」
と思ったり、
「ピンときた」
と感じたり、
「気づいたら心地よくて続けていました」
となっていたるするんではないだろうか。

何が言いたいかというと、

頭で考えるより、心が「こっち!」という方に流れてみればいいのではないか。

ということ。

大きな決断をするときほど、
理由や周辺情報を並べ立てて、
自分に、または誰かに納得してもらうために
「こうこうこうだからこうなのです。」
と納得、説明したくなるけど、

「なんかよくわからんけど、これだと思う。」

という心の声に従ってみると、面白い方向に進んでいけるんじゃないかと思う。
理由なんて後付けで、その時は必要ないんじゃないかなーと。

今日のメモ:なんか良いなに理由なんていらない


ここまで読んでくれてありがとうございます。
今日もいい一日をお過ごしください♡

「その言葉が必要な方に、メッセージが届くように。」発信のための自己投資につかわせていただきます。