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駐妻の英語問題



留学ではない。仕事でもない。
自分の意思で来たわけではなく、
海外で生活をする人たち、駐妻。

最近は「現地でMBAを取得します」
「フリーランスとして働いています」
「日本で起業してるので二拠点生活です」
という、神々しくて直視できないほどの
バリキャリ駐妻さんが沢山いらっしゃいますが、

私はそれとはかけ離れた、
夫が駐在するとのことなので、
英語は出来ませんが、ついて来てみました駐妻
』です。

今となっては、生活に苦労しない程度の英語を
話すことができるようになりましたが、
言葉が話せなくて、とても苦しかった、昔の思い出を綴ろうと思います。

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「あなたとはコミュニケーションをとることができないので、口座開設はできません」
私が、最初に移住した国で、
銀行口座を開設しようとしたときに
言われた言葉です。
と言っても、これさえ聞き取れなかったので、
通訳でついてきてくれた人に、後から聞きました。
「すごく失礼なバンカーでしたね!この国の女性は気が強くて失礼なことをいう人がいるから、気にしないで下さい!」
と通訳さんは言ってくれましたが、
『話せないなら、人間じゃない』という、初めて受けた扱いは、トラウマでした。
何を言っているか、理解できなくてよかった。と今では思います。
結構辛辣なことを言われていたみたいなので...。

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「私はせっかく英語で言ってあげてるのに!(なんでわからないの?)」
同じく、最初の駐在国で、7歳ぐらいの女の子に言われた言葉です。
この国は、英語が第二言語だったので、私が外国人だから英語で話してやってんのに、それすらわかんないのかよ。と小学生ぐらいの子に言われてしまいました。
『透明人間になりたい。いや、人間ではなくて空気になってしまいたい。』
と頭から血がスーっとひいていった、あの感覚を今でも覚えています。

その他にも、電気が止まって、対処方法を確認しようと電話するも
言ってることが理解できずに諦めて、2日間真っ暗な夜を過ごしたり、
オンラインショッピングで注文したものが
届かないけど、テキストのやり取りで
意思疎通が出来ず、泣く泣くお金をドブに
捨てたりと、英語が話せない、聞き取れない、
わからないせいで、どんどん消耗していきました。


言いたいことが言えない、
相手が言っていることがわからない、
ということは、なんとも言えないストレスと
焦燥感、無力感を感じます。


これまで30年ほど生きてきたのに
一人の大人として、
もっと言うと、人間として
扱ってもらえない虚しさ、情けなさが
積もっていき、外出すること、
人と話をすることが
どんどん億劫になっていきました。

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予想に違わず、私は引き籠りがちになり、
「この国嫌い!
日本に帰りたい!
私の希望で来たわけじゃない!」
と、泣いて夫に当たり散らしました。


でも、ちゃんと気づいていました。
言葉さえ喋れればこの地でのストレスは緩和されると。
英語が出来るようになれば、生活が楽しくなると。
この状況をどうにかできる人は自分しかいないと。


それから私は悔しさをバネに毎日毎日、猛勉強しました。
目標をTOEIC 850点取ることに決め、
パートタイムで6時間働いた後、
(英語が喋れない私を、なぜか雇ってくれる会社がありました)
3時間、休日は6時間ほど勉強していた気がします。

2年ほど勉強を続けた結果、大学生の頃は600点台だった点数が
925点まであがり、
リスニング、発音が飛躍的に伸び、
生活するのに困らない程度の英語が喋れるようになりました。



今もし、昔の私と同じように
言葉の問題で苦しんでいらっしゃる方、
わかります。
その苦しさ、虚しさ、情けなさ。

私もそうでした。

そして、
アドバイスさせてもらえるなら、
少しずつでも、その言語の勉強を
頑張って下さい。
言語の習得は終わりが見えず、
限られた時間では、どうせ話せるようにならない...
と投げ出してしまいがちですが、
それでも大丈夫です。
完璧に話せるようになれなくても、
少しの進歩が、あなたの未来を楽しくし、
自信に繋がります。

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私は海外で生活し始めて7年経ちました。
周りの人の英語が凄すぎて挫けそうになることも
終わりが見えずに途方に暮れることも、

疲れて休憩することもありますが、
ストレスなく、違和感なく、
英語で生活できるようになる日まで、
これからもきっと、英語の勉強を続けていくと思います。


ここまで読んでくれてありがとうございました。
今日も素敵な1日を下さい。


「その言葉が必要な方に、メッセージが届くように。」発信のための自己投資につかわせていただきます。