【寄稿】小林隆児|なぜ私は『右脳精神療法』を訳することを思い立ったか
なぜ私は『右脳精神療法』を訳することを思い立ったか
精神科医になって13年目に、私は研修医時代に入局した福岡大学精神医学教室を離れ、単身赴任で大分の地に転勤した。医学部から教育学部に移ったために、臨床の場を探さなければならず、なんとか伝を頼って民間精神科病院の外来で週1日の外来診療の場を確保することができた。気軽に相談できる指導者から離れ、文字通り独り立ちを余儀なくされた。
福岡と違って大分には児童精神医学を標榜する精神科医はほとんどいなかったが、自閉症ボランティア活動を通して親しくしていた仲間がいたおかげで、彼らが困っている事例が次々に紹介されるようになった。福岡で診ていた子どもたちとは病像が随分異なることに驚くことも少なくなかったが、それは未治療ゆえと想像された。彼らとの面接は毎回とても刺激的であった。ただ次々に疑問が生まれ、次第に膨れ上がっていった。
そんなさなかに5年も経ち、ある人から関東の新たな職場の誘いを受け、転勤を決意した頃、集中講義に外来講師として発達心理学者の鯨岡峻氏(当時島根大学教育学部教授)をお呼びすることになった。
氏には別府の温泉宿(といっても職員宿舎ではあったが、鉄輪という有名な温泉地にあったので、温泉の質は極上であった)に泊まっていただいたが、私も同宿して夜遅くまでゆっくり談話する機会を持った。そこで日頃の疑問をぶつけた。ある高校生女性で自閉症の事例の話になった。彼女は幼い頃から漢字を見るのが大好きで、漢字博士との異名を持つほどであったが、高校生になってからいたく「九州電力」の文字が気に入り、様々な「九」「州」の漢字を新聞や雑誌から切り抜き、台紙に貼っては、面接の場でそれを私に得意げに見せてくれるようになった。そのとき、驚かされたのは、この「九」君は「泣いている」、この「州」君は「怒っている」などと、まるで漢字に表情があるかのようにして説明することであった。本人はいたって真面目で本気なのが見て取れた。彼女は高校を卒業して就職することができた。1年が経つと、新人に自分の持ち場を侵されたのが契機となって一気に不安定になった。すると、彼女はそれまで後生大事に持っていた、寝台特急富士号の「富士」という漢字の切り抜きを指さして、富士の「士」がこちらを睨んでいると真顔で訴えたのである。明朝体の漢字「士」の右端の山型が眼に見えて、こちらを睨みつけているように見えたのであろうが、彼女の反応に私はいたく驚かされた。薬物療法でこの不安定な状態はすぐに改善したが、この反応を目の当たりにした私はこの現象には重要な意味があると直感したが、当初その明確な理由は分からなかった。こうした疑問を氏にぶつけたところ、即座にそれは発達心理学者ウェルナーの「相貌的知覚 physiognomic perception」による現象だろうと教えていただいた。早速ウェルナーの『発達心理学入門』(園原太郎監修、鯨岡峻・浜田寿美男訳、ミネルヴァ書房、2015年)を読んだ。そこでこの現象は病的なものというよりも、発達早期段階での未分化な知覚体験を示していることがわかった。このような現象を捉えて、発達精神病理学的考察を論じている者は誰一人いなかったので、私は早速論文にして投稿した。他の事例でも類似の現象をいろいろと見ていたので、3年間で4本の和論文にまとめ投稿しすべて受理された。この体験は非常に貴重だと直感したので、ぜひとも英論文にもしなければと考え、3本投稿し、こちらもすべて受理されたが、最初のJournal of Autism and Developmental Disordersに投稿した論文では随分と苦労させられた。数回の書き直しを要求されたが、なんとかものにすることができた。
その後次第に、この現象は発達早期段階で顕在化するが、まもなく通常の五感による知覚体験が優勢となっていく。しかし、自閉症の子どもではいつまでもこのような知覚体験が持続している。だとすれば、この種の知覚体験が優勢な状態にあっては、われわれも同じような体験世界に身を置くことによって、彼らとの関係世界を少しずつでも構築していくことができるのではないかと考えるようになった。以来、この体験世界でのコミュミケーションを情動的、原初的、あるいは感性的コミュミケーションなどと称するようになり、以後私の最大の関心事であり続けた。
当時の思いを私はその後の自著で以下のように綴っている。
まもなく新しい職場で母子ユニット(MIU)を創設して乳幼児と母親を対象とする臨床研究の場を持つことになったが、このような行動に駆り立ててくれたのが、大分での臨床体験と氏からの学びに依っていると痛感する。
その後の14年間のMIUでの臨床研究を蓄積する中で、最大の収穫は、1歳代で母子間に「甘えたくても甘えられない」独特な関係病理が見出されるが、2歳代になると、「甘えのアンビヴァレンス」ゆえに生じる強い不安と緊張への多様な対処行動が出現するということであった。さらには驚くべきは、この多様な対処行動には、われわれの知る精神病理の大半が含まれていることである。したがって、生後2年間で生まれるアンビヴァレンスへの対処行動としての防衛メカニズムが働く以前に早期介入することが生誕直後に生じる母子関係の修復へと繋がるということである。
このように考えてきた私にとってショアの『右脳精神療法』との出会いは、その内容にあまりにも共鳴することが多く、私にとって力強い応援歌になった。
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ショアは『右脳精神療法』の姉妹編として『無意識の心の発達 The Development of the Unconscious Mind』を同時刊行しているが、後者を読むと、彼の今後の関心事が自閉スペクトラム症に向かっていることが語られている。ただ、彼はいまだ自閉症臨床の経験がないためであろう。彼の論は調整理論をもとにした推論の域を出ていない。ただ、彼は、自閉症の成因を、素質と環境のダイナミックな相互作用とするエピジェネティックな考えを述べるとともに、早期介入で大事な時期は生後2年間であることも強調している。ここでも彼の考えと深く共鳴するのを実感している。
世界の動向がこのように「関係」と「情動」に焦点が当たりつつある現状において、わが国の児童精神医学、ならびに精神分析学の世界はどこに向かおうとしているのであろうか。
発達障碍が疑われる乳児を目にしても、診断がはっきりしないと何もできないので様子を見ましょう、などと言うしか能のない児童精神科医など存在の価値はあるのだろうか。わが国で1980年に始まった操作主義的国際診断基準(DSM)の導入は大きな曲がり角に差し掛かっている。さて今後わが国の(児童)精神医学はどこに向かおうとしているのであろうか。
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