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【寄稿】小林隆児|なぜ私は『右脳精神療法』を訳することを思い立ったか

昨年(2022年)の10月に弊社からアラン・N・ショア 著『右脳精神療法——情動関係がもたらすアタッチメントの再確立』が発売されました。

本書は発売以降、さまざまなお声をいただいております。
・個人的には今年一番のお勧めしたい本となりました。
・読み始めた途端にわくわくが止まらない。
・立ち止まってじっくりと体験することの大切さを再考させてくれた良書で した。何度も読み返したい本です。

このたび、本書を翻訳されました小林隆児先生から「なぜ私は『右脳精神療法』を訳することを思い立ったか」という題にてご寄稿いただきました。
本書を訳するに至った経緯をはじめとし、精神医学が抱える問題意識を振り返りながら語っていただいております。
本記事の末尾に本書の詳細もございます。ぜひそちらも、併せてお読みいただけますとありがたいです。

なぜ私は『右脳精神療法』を訳することを思い立ったか 

 精神科医になって13年目に、私は研修医時代に入局した福岡大学精神医学教室を離れ、単身赴任で大分の地に転勤した。医学部から教育学部に移ったために、臨床の場を探さなければならず、なんとか伝を頼って民間精神科病院の外来で週1日の外来診療の場を確保することができた。気軽に相談できる指導者から離れ、文字通り独り立ちを余儀なくされた。

 福岡と違って大分には児童精神医学を標榜する精神科医はほとんどいなかったが、自閉症ボランティア活動を通して親しくしていた仲間がいたおかげで、彼らが困っている事例が次々に紹介されるようになった。福岡で診ていた子どもたちとは病像が随分異なることに驚くことも少なくなかったが、それは未治療ゆえと想像された。彼らとの面接は毎回とても刺激的であった。ただ次々に疑問が生まれ、次第に膨れ上がっていった。

 そんなさなかに5年も経ち、ある人から関東の新たな職場の誘いを受け、転勤を決意した頃、集中講義に外来講師として発達心理学者の鯨岡くじらおかたかし氏(当時島根大学教育学部教授)をお呼びすることになった。

 氏には別府の温泉宿(といっても職員宿舎ではあったが、鉄輪かんなわという有名な温泉地にあったので、温泉の質は極上であった)に泊まっていただいたが、私も同宿して夜遅くまでゆっくり談話する機会を持った。そこで日頃の疑問をぶつけた。ある高校生女性で自閉症の事例の話になった。彼女は幼い頃から漢字を見るのが大好きで、漢字博士との異名を持つほどであったが、高校生になってからいたく「九州電力」の文字が気に入り、様々な「九」「州」の漢字を新聞や雑誌から切り抜き、台紙に貼っては、面接の場でそれを私に得意げに見せてくれるようになった。そのとき、驚かされたのは、この「九」君は「泣いている」、この「州」君は「怒っている」などと、まるで漢字に表情があるかのようにして説明することであった。本人はいたって真面目で本気なのが見て取れた。彼女は高校を卒業して就職することができた。1年が経つと、新人に自分の持ち場を侵されたのが契機となって一気に不安定になった。すると、彼女はそれまで後生大事に持っていた、寝台特急富士号の「富士」という漢字の切り抜きを指さして、富士の「士」がこちらを睨んでいると真顔で訴えたのである。明朝体の漢字「士」の右端の山型が眼に見えて、こちらを睨みつけているように見えたのであろうが、彼女の反応に私はいたく驚かされた。薬物療法でこの不安定な状態はすぐに改善したが、この反応を目の当たりにした私はこの現象には重要な意味があると直感したが、当初その明確な理由は分からなかった。こうした疑問を氏にぶつけたところ、即座にそれは発達心理学者ウェルナーの「相貌的知覚 physiognomic perception」による現象だろうと教えていただいた。早速ウェルナーの『発達心理学入門』(園原太郎監修、鯨岡峻・浜田寿美男訳、ミネルヴァ書房、2015年)を読んだ。そこでこの現象は病的なものというよりも、発達早期段階での未分化な知覚体験を示していることがわかった。このような現象を捉えて、発達精神病理学的考察を論じている者は誰一人いなかったので、私は早速論文にして投稿した。他の事例でも類似の現象をいろいろと見ていたので、3年間で4本の和論文にまとめ投稿しすべて受理された。この体験は非常に貴重だと直感したので、ぜひとも英論文にもしなければと考え、3本投稿し、こちらもすべて受理されたが、最初のJournal of Autism and Developmental Disordersに投稿した論文では随分と苦労させられた。数回の書き直しを要求されたが、なんとかものにすることができた。

 その後次第に、この現象は発達早期段階で顕在化するが、まもなく通常の五感による知覚体験が優勢となっていく。しかし、自閉症の子どもではいつまでもこのような知覚体験が持続している。だとすれば、この種の知覚体験が優勢な状態にあっては、われわれも同じような体験世界に身を置くことによって、彼らとの関係世界を少しずつでも構築していくことができるのではないかと考えるようになった。以来、この体験世界でのコミュミケーションを情動的、原初的、あるいは感性的コミュミケーションなどと称するようになり、以後私の最大の関心事であり続けた。

 当時の思いを私はその後の自著で以下のように綴っている。

私たちは常日頃、心的過程(こころの働き)としての情動、知覚、運動などを別々の概念として分けて考えていますが、(略)原初の知覚を考える時に、まるで知覚過程そのものが独立して機能しているかのように扱うこと自体、発達論的視点に欠けた見方といわざるをえないのです。(略)運動過程、知覚過程、情動過程各々が一体となった原初的形態にあるということは、<運動―知覚―情動>過程として未分節な形でもって捉えなければならないということを示しています。(略)私たちのこころの働きの底流に、このような知覚が働いているのです。私たちはこのような原初段階でのコミュニケーションそのものを実際に意識化することは非常に困難なのですが、その最大の理由は、このコミュニケーション過程では意識が介在しないからなのです。(略)この段階のコミュニケーション世界は、これまで精神分析学の領域で前意識、無意識といわれていたものとほぼ同じことを意味しています。(略)原初的な心的過程にあっては、<自―他>という未分節な状態にあるというところから出発しなければならないことを意味しています。その後の成長過程で高次精神機能である言語認知機能などの人間の多様な心的機能へと分節化(分化)の過程をたどっていくのです。その過程では知覚の分化を初めとする様々な身体機能の分化が起こり、心的機能の高度化を支えていくことになるのです。(略)人間の発達過程は、本来備わっている様々な本能的な心身の機能が、養育者との濃密な対人交流の蓄積の中で、次第に人間にふさわしい心身の機能へと分化し、成熟していく過程だともいうことができます。生まれた当初から今の私たちの知覚の特徴を有しているのではなく、対人交流という刺激を受ける中で、それに相応しい機能を持つように分化と統合を繰り広げていくものなのです。

(『よくわかる自閉症——関係発達からのアプローチ』(法研, 2008, pp.78-81)

 まもなく新しい職場で母子ユニット(MIU)を創設して乳幼児と母親を対象とする臨床研究の場を持つことになったが、このような行動に駆り立ててくれたのが、大分での臨床体験と氏からの学びに依っていると痛感する。

 その後の14年間のMIUでの臨床研究を蓄積する中で、最大の収穫は、1歳代で母子間に「甘えたくても甘えられない」独特な関係病理が見出されるが、2歳代になると、「甘えのアンビヴァレンス」ゆえに生じる強い不安と緊張への多様な対処行動が出現するということであった。さらには驚くべきは、この多様な対処行動には、われわれの知る精神病理の大半が含まれていることである。したがって、生後2年間で生まれるアンビヴァレンスへの対処行動としての防衛メカニズムが働く以前に早期介入することが生誕直後に生じる母子関係の修復へと繋がるということである。

 このように考えてきた私にとってショアの『右脳精神療法』との出会いは、その内容にあまりにも共鳴することが多く、私にとって力強い応援歌になった。

 ショアは『右脳精神療法』の姉妹編として『無意識の心の発達 The Development of the Unconscious Mind』を同時刊行しているが、後者を読むと、彼の今後の関心事が自閉スペクトラム症に向かっていることが語られている。ただ、彼はいまだ自閉症臨床の経験がないためであろう。彼の論は調整理論をもとにした推論の域を出ていない。ただ、彼は、自閉症の成因を、素質と環境のダイナミックな相互作用とするエピジェネティックな考えを述べるとともに、早期介入で大事な時期は生後2年間であることも強調している。ここでも彼の考えと深く共鳴するのを実感している。

 世界の動向がこのように「関係」と「情動」に焦点が当たりつつある現状において、わが国の児童精神医学、ならびに精神分析学の世界はどこに向かおうとしているのであろうか。

 発達障碍が疑われる乳児を目にしても、診断がはっきりしないと何もできないので様子を見ましょう、などと言うしか能のない児童精神科医など存在の価値はあるのだろうか。わが国で1980年に始まった操作主義的国際診断基準(DSM)の導入は大きな曲がり角に差し掛かっている。さて今後わが国の(児童)精神医学はどこに向かおうとしているのであろうか。

小林隆児(コバヤシ リュウジ)
感性教育臨床研究所代表。
1949年鳥取県米子市生まれ。1975年九州大学医学部卒業。福岡大学医学部精神医学教室入局後、福岡大学医学部講師、大分大学教育学部助教授、東海大学健康科学部教授、大正大学人間学部教授を経て、2012年より西南学院大学人間科学部教授。児童精神科医、医学博士。日本乳幼児医学・心理学会理事長。
HP: http://kansei-kobayashi.com
Email: kansei.kyouiku@gmail.com

目次

「右脳精神療法」日本語版の序文 アラン・N・ショア
謝辞
読者のための水先案内 小林隆児

第1章 精神療法の対人関係神経生物学的パラダイムにおける神経科学の最近の進歩の意味

第2章 精神療法では右脳が優位である
 アタッチメントに関する対人関係神経生物学:双方向的調整と右脳の成熟
 治療同盟内の右脳によるアタッチメント・コミュニケーション
 相互エナクトメント内の転移‐逆転移コミュニケーション
 治療的変化における右脳の関係メカニズム

第3章 深い精神療法における相互退行の成長促進的役割:第1部
 適応的および病理的退行の精神分析的概念化
 局所論的および構造論的退行の神経精神分析
 相互退行の臨床的応用:初期のアタッチメント外傷の自然発生的再エナクトメントにおける解離された感情の扱い方
 治療的エナクトメント内の同期した相互退行
 適応的な相互退行という二者間の無意識的精神力動

第4章 深い精神療法における相互退行の成長促進的役割:第2部
 感情防衛:解離対抑圧
 相互退行の臨床的応用:自発的相互退行における抑圧された感情の扱い方
 抑圧の精神力動:左右の前頭葉の状態移行に関する神経精神分析
 深い精神療法の初期段階における相互退行
 深い精神療法の後期段階における相互退行
 精神療法的退行と大脳半球の創造的な再平衡化

第5章 早期の右脳の発達を通して,愛は創造性,遊び,芸術をどのように切り開くか アラン・ショアとテリー・マークス‐ターロウ
 愛の歴史的科学的研究
 愛,アタッチメント,そして情動調整
 互恵愛の3つの段階
 一次間主観性:互恵愛,創造性,および対人的遊びの始まり
 芸術化仮説
 精神療法における愛の情動

第6章 展望:右脳に関する新発見と精神分析における意味──アメリカ心理学会精神分析部会2017会議の基調講演──
 右脳,局在性研究,および面接室内の変化:精神分析理論
 右脳,局在性研究,および面接室内の変化:精神療法
 右脳,局在性研究,および面接室を超えた変化

第7章 同じ波長で:情動脳は人間関係によってどのように形作られるか   
 ダニエラ・F・シエフとのインタビュー

第8章 アラン・ショア,精神療法という技芸の科学を語る デヴィッド・ブラードとのインタビュー
 精神分析の再興
 半球性
 外傷と発達
 愛,修復,そして深まる愛
 自己調整,共同調整,そして仏教
 第3の主観性
 イメージ
 他者の存在下に一人でいること
 関係の修復,そして愛の問題に戻る

第9章 回顧と展望「われわれの専門性と個人的旅路」──2014年UCLA会議 基調講演「感情調整と自己治癒」──

 参考文献
 解題とあとがき 小林隆児
 索引

☟小林隆児先生による既刊本☟


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