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【連載】岩波文庫で読む 「感染症」第1回|古典の小宇宙に問いかける|山本貴光

 なにかのテーマについて考えたり書いたりする必要が生じると、とりあえず岩波文庫の棚 の前に立ってみる。

 全部を揃えるには至っていないものの、この二十余年、毎月の新刊と、折々に遭遇した既刊書を手に入れて読んでいるので、それなりの冊数になっているのだった。

 なぜそんなことをしているのかといえば、シリーズものの本を集めるのが好きだ というのは置いておくとして、学術の歴史に関心があるからだ。ここで「学術」とは学問と技芸術のこと。もとになった英語で言えば、サイエンスとアートがこれに対応する(★1)。各種の学問や技芸術の歴史に興味がある者にとって、岩波文庫はうってつけなのだ。

★1 ――気になる人のために記せば、いまではサイエンスといえば自然科学を指すことが多いが、その原義は「学問」「知ること」。自然科学(ナチュラル・サイエンス)はその一部。 なお、片仮名では示しづらいのだが、英語ではSciences and Artsというふうに複数形で考えられている 。諸学問と諸技芸術という次第。

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 というのも、この文庫には古今東西の古典が集められており、 古代のインド、中国、ギリシア・ローマから20世紀まで、さまざまな言語から訳されたものが含まれている。もっとも「古典」という言葉には文脈によっていろいろな使い方がある。ここではさしあたって「過去の価値ある典籍(本)」というほどの大まかな意味で捉えておこう。

 その岩波文庫は1927年(昭和2年)に、ドイツでやはり 古典を集めたレクラム文庫(1867年創刊)をお手本として創刊された(★2)。以来、今日に至るまで、かれこれ6150 冊近くを刊行している。ちょっとした知の小宇宙だ。

★2――レクラム文庫の正式名称は、Universal-Bibliothek(万有文庫)。同文庫については、戸叶勝也『レクラム百科文庫――ドイツ近代文化史の一側面』(朝文社、1995)に詳しい。また、岩波文庫の歴史については、岩波文庫編集部編『岩波文庫の80年』(岩波文庫別冊18、岩波書店、2007)に収録されている「岩波文庫略史」をご覧あれ。

 そうはいっても、学術全体を満遍なく網羅しているわけではない。手厚い分野もあれば、手薄な方面もある。例えば、ヨーロッパの哲学は手厚い一方で、音楽や数学は手薄だったりする。あるいは欧米の文学に対して、中東やアフリカの文学は少なかったりする。また、刊行から時間が経って、その間に日本語も変化したため、訳文が読みづらくなっているケースもある。

 とはいえ、それでも日本語の出版物で、世界の古典をこの規模で集めた叢書は、私の知る限りでは他になく、ものを知るきっかけとしては十二分。実際にどんなものが入っているかを知りたい向きは、岩波文庫編集部編『岩波文庫解説総目録1927~2016』 (岩波書店、2017)をご覧になるとよい。創刊から2016年までの90年分の目録は、それ自体が学術のマップのようなものなのだ。

 そんなわけで、なにか手がかりが欲しくなると、出発点として岩波文庫を眺めてみるのだった。


 ところで、この連載では「感染症」をテーマとして岩波文庫を読んでみようと思う。 2019年末に端を発して現在まで、私たちの暮らしや営みに影響を与えている新型コロナウイルスのパンデミックを受けてのこと。こうした出来事に遭遇したとき、そのつもりで見直すと、先人たちが残した記録やものの見方のなかに、現代の私たちがよりよく考えるための手がかりが見つかるものだ。古典に問いかけてみるわけである。

 出版の方面では、すでにこの1年のあいだにも、現在進行中の出来事に関わるものや、過去の感染症にかんする記録や文学作品など、さまざまな本が刊行・復刊されている。なかにはアルベール・カミュの『ペスト』(1947)やダニエル・デフォーの『ペストの記憶』(1722)、歴史家ウィリアム・H・マクニールの『疫病と世界史』(1976)のように、この機会に改めて注目され、読み直されている本も少なくない。

 それで思い出すことがある。何年か前に、トランプ大統領の就任後、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』(1949)やハンナ・アーレントの『全体主義の起源』(1951)がネット書店のランキング上位に顔を出して話題になったのをご記憶だろうか。いま直面している現実に対して、人びとが半世紀以上前の本を手にとり直している様子が、ネットを通じて目に見えた出来事だった。

 ひょっとしたら、こう思う人もいるかもしれない。目まぐるしく情報が行き交う現代において、そんな昔のものを読んでなんになるのかと。無理もない。他方で、古典と呼ばれる書物が、時代や場所や言語を超えて読まれ続けるのには、いろいろな理由が考えられる。そのひとつは、そうした過去の書物が、現在の状況を映し出す鏡のように機能することだ。例えば、当局によって記録や歴史が改竄される『一九八四年』の世界で起きていることやそれをもたらしている仕組みをモノサシのようにして、自分たちが置かれている現在の状況を見てみる、という具合である。

 では、同じように「感染症」というテーマを念頭に古典の宝庫である岩波文庫を見直してみると、なにが目に入るだろう。 文学に限らない。そのつもりで読めば、歴史や科学、あるいは政治や社会といったさまざまな分野の本にも、ペストやスペイン風邪をはじめ、過去に人類が経験した感染症の痕跡が見つかる。では、そこにはどんな思索の糸口が見つかるだろう。そんな関心でもって目に入ったことをご報告してみよう。こういう心算である。

 先に進む前に、岩波文庫についての基本を少々。この文庫では、帯の色によって全体を大きく六種類に分類している。概ね次のような分類である。

:日本思想、東洋思想、佛教、歴史・地理、音楽・美術、
  哲学・教育・宗教、自然科学
:日本文学(古典)
:現代日本文学
:法律・政治、経済・社会
:東洋文学、ギリシア・ラテン文学、イギリス文学、アメリカ文学、
  ドイツ文学、フランス文学、ロシア文学、南北ヨーロッパ文学その他
:岩波文庫別冊

 大きく言えば、青帯が 人文学と自然科学と芸術。白帯が 社会科学。黄・緑・赤帯が文学。別冊は、岩波文庫編集部によるアンソロジーなどが収録されている。この連載 では帯の色に関係なく取り上げるつもり。

 というわけで、次回から具体的な本に注目してみることにしよう。 

山本貴光(やまもと・たかみつ)
文筆家・ゲーム作家。
コーエーでのゲーム開発を経て、文筆・翻訳、専門学校・大学での教育に携わる。立命館大学大学院講師を経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。
著書に『記憶のデザイン』(筑摩書房)、『マルジナリアでつかまえて』『投壜通信』(本の雑誌社)、『世界が変わるプログラム入門』(ちくまプリマー新書)、『文学問題(F+f)+』(幻戯書房)、『「百学連環」を読む』(三省堂)ほか。共著に『人文的、あまりに人文的』(吉川浩満と共著、本の雑誌社)、『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』(吉川との共著、筑摩書房)、『高校生のためのゲームで考える人工知能』(三宅陽一郎との共著、ちくまプリマー新書)、『脳がわかれば心がわかるか』(吉川との共著、太田出版)ほか。
twitter @yakumoizuru   

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