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女性の生き方・働き方を自分で体現。そして、稼げないママ起業家たちを支援

私が社長になった理由-野村美由紀さん-
明るい笑顔からは想像もつかないほどパワフルな人生を歩んできた野村さん。ママたちを対象としたイベント受託や起業家セミナーなどを開催しています。4世代同居だった子ども時代から、夫婦とも連れ子再婚。何も隠さないオープンマインドな姿勢。私が目指したい真のダイバーシティを体現しているようで、息をのみながらお話をおうかがいしました。

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

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野村 美由紀(のむら みゆき)さん

株式会社Woo-By.Style 代表取締役社長
石井法務グループ理事
2008年2月 Woo-By.Style 創業
2009年1月 ハンドメイドショップ ウッビー 開業
2009年3月 石井法務グループとの業務連携開始
2011年7月 ハンドメイドショップ ウッビー 直営店OPEN
(2014 年10 月 CLOSE)
2012年4月 企画運営業務開始
2013年7月 株式会社Woo-By.Style 設立 / 代表野村: 石井法務グループの理事就任
2016年 Home town Fes.実行委員会発足
(2018年1月  Home town Fes.プロジェクトへ移行)
2016年11 月お仕事自立女子シリーズ 運用開始
(2018年10月 稼女セミナーへ移行)
2019年1月 『コレカセ』リリース2019年1月
2019年9月 横浜リビングラボサポートオフィス事務局就任

将来は何かしら創業するのが運命
子どものころから、そう思って成長した

 私の親戚一同、みんな一代で創業してその代で終わるっていう商売をしている家系なんです。しかも4世代で同居していただけでなく、祖父母の仕事を手伝っている、昔でいうでっち奉公のような方もいて、にぎやかな家庭環境でした。同居していた母方の祖父母は地元の薬局をやっていて、父は司法書士をやっています。親戚にも不動産業を営む人がいたり、農機具販売をしている人がいたり。だから、なんとなく自分も何か創業しなくちゃいけない、って幼心に感じていていました。
 高校生の時、父の仕事を垣間見て「司法書士の娘なんだ。人の財産を動かすような仕事なんだ」ということに恐怖を感じるようになって、ちゃんと経営できるようにならないといけない! と思い込むようになりました。大学では好きだった建築学科に進み、忙しい学部ながら普通にキャンパスライフを満喫していました。就職活動のとき、このまま独立しても難しいだろうと考え、一度は社会に出て学ぶつもりで就職しました。

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▲「サステナブル・ブランド国際会議 2020 横浜」に登壇し、サーキュラーエコノミーについてお話しました。

 住宅メーカーに内定をもらうとすぐに、その会社に無理を言ってお願いしてアルバイトとして雇ってもらいました。入社後、すでに他の新入社員より経験値があるので、有利に働けます。少しでも早く独立するための開業資金を貯めるために、めちゃくちゃ働きました。1年働いてお金を貯めて、でも辞める理由は起業ではなく結婚でした(笑)。
 会社を辞めてすぐに高校時代の同級生で、簿記ができる子がいたので一緒に起業準備を始めました。ただ、私は妊娠していたこともあり、フルコミットが厳しい状況でした。そのころ、ちょうど男女共同参画が謳われるようになっていて、行政が行っている勉強会で“週末起業”というものを教えてもらったので、これなら私たちにもできるだろうと思いました。

入社して1年で退社
結婚&出産&起業を一気にスタート!!

 たぶん、私たちと同じように子どもがいて思うように働くことができない女性たちが日本中にいるだろうと思い、当時盛んだったミクシィに呼び掛けてハンドメイド商品を集めて売るウェブショップをスタートさせました。驚くくらいの応募が届いて、毎日毎日選考に追われていました。素人っぽい商品では売れないと思い、なるべくプロっぽいものを審査し、それらをブランディングして商品化しました。
 同時にイベントに参加してそこで売ったりもしました。いろいろなイベントに参加するようになると、主催者が引退するのを機にイベントを引き継ぐ形で運営側になりました。そうすると、出店者を募ることで、出店料をいただくビジネスも始めました。

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▲多くのイベントを主催、運営しています。手作り作品を販売するイベントは初期のころから継続しているもののひとつ。

 とはいえ、これらのビジネスは手間がかかる割にマネタイズがかなり厳しいんです。それでも、とにかく夢中になってやってきたイベントが1000回にもなってくると、今度は地域やショッピングモールなどからイベントの相談や委託をされるようになりました。それまでは自分たちでイベントプロデュースして、プロモーションしてひとつひとつ自力でやっていたのですが、ディベロッパーと組むことで、委託費をもらえる上に、発信力があるモールがプロモーションしてくれて、そこに参加したい企業からの協賛金が集められるようになりました。今までとは考えられない規模のイベントを実現できるようになったのです。

ママ起業家はたくさんいますが、多くの人がマネタイズでうまくいかないことが多く、趣味のお小遣い稼ぎレベルになってしまうと言います。そんな中、野村さんは生まれ持った商い魂のおかげか、どうやったらマネタイズでき、大きな価値を生めるのかをしっかり考えて会社を運営するようになりました。ここから彼女の人生はさらに大きく変換点を迎えます。

プライベートでは離婚と再婚を経て
仕事では創業10周年で事業を大きく転換

 2018年、ちょうど創業10周年を機に、自分たちの事業を見直しました。長い間に拡大してきてしまったけれど、赤字になっているもの、拡大ができないものなど、事業整理を行いました。そのうえで、今後拡大していきたいところにフォーカスを当てて取り組んでいくために、必要となる新事業などを決めました。それが2019年度からスタートさせた、女性の事業活動支援事業です。

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▲働く女性と企業をマッチングするサービスも力を入れています。

 ココまでくるのに、公私ともにいろいろありました。結婚して2人の子どもを育てながら仕事をしていたのですが、2011年ごろ当時の夫が倒れてしまい働けなくなったんです。先天性の病気が見つかり、会社を退社せざるを得なくなり夫の収入がなくなりました。病院の治療費がかさみ、私だけの収入ではまったく足りず貯金を食いつぶす生活です。貯金の残高が約30万円になったときは、さすがに焦りました。夫の実家に病気のこともふまえ報告と相談に行ったところ、彼の母親は非常に厳しい方で働けない息子を家に連れ戻し、私とは離婚するように申し出てきました。夫婦でそういう話になったことはなかったのですが、最終的には離婚というカタチをとりました。

 そんな元夫から、「再婚しなよ。そうじゃないと1人じゃ死んじゃうよ」と助言されたこともあり、再婚を決めました。今の夫とは仕事を通じて知り合ったのですが、お互いに再婚同士でした。今の夫のこども3人はすでに独立し、私の連れ子2人と、そこに新たな命が誕生し、今は5人で暮らしています。そこに最初の夫がたまに遊びにきてくれたりもします。そんなちょっと不思議な家族ですが、とても楽しくて幸せです。

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▲2019年にはつむぎちゃんを出産。働くママには休みなしですが、家族が一丸になって本当に幸せそうです。

 じつは、今の夫と再婚後、私の仕事が大きくなってきたのを受け、彼は会社を辞めて、私の仕事を手伝ってくれるようになりました。ありがたいけれど、これで逃げられなくなりました。私の会社で私たち家族が生きていくだけの稼がないといけないんですから。でも、夫がいるおかげで助かる部分もあります。女性だけの会社ってどうしてもママゴトっぽく見られがちなんです。彼のおかげで法人とのやりとりはラクになりました。

 実際にママゴト的な仕事をしている女性もたくさんいます。“ママ起業”というのがブームのようになり、お小遣い稼ぎ程度や自分のステータスを保つために働く、稼ぐことを二の次にしてしまっている人たちが現れ始めたんです。そんなんじゃダメだと思って、女性が本気でビジネスをやるための支援をしたいと思って始めたのが『稼女プラットフォーム』です。
 女性に特化した自分らしいこれからの働き方を体現できる人を増やしていきたいと思っています。もちろん、ビジネスで成功することが目標ですから、きちんと稼いで成功する女性を増やしていくことが目標です。今ではイベントプロデュース業の一方で、女性起業家を目指したい方のためのセミナーなども開催しています。

野村さんの働き方は、公私混同ではなく公私が一緒に仕事になっているという感じです。すべてをオープンにしていて、気持ちがいいくらい。好きな言葉でもある「常に笑顔」で前向きにモノゴトを捉えられるところは、もはや才能です。野村さんのもとに集まる女性たちが、元気に活躍していくことを楽しみにしています。

下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!