見出し画像

結婚しても出産しても女性が輝くために。パーソナル秘書という仕事

私が独立した理由-小林菜穂美さん-
パーソナル秘書という日本ではあまりなじみのない仕事をスタートさせた小林さん。小さいころから海外へのあこがれが強く、海外を目指して短大卒業後に2度のワーキングホリデーを経験したといいます。キャリアへの考え方も欧米風で、ステップアップのための転職は当然だと考えていたといいます。そんな彼女の働き方はどのようなものなのでしょうか? 

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

画像6

小林 菜穂美(こばやし なおみ)さん

アシスティア 代表
約10年間コンシェルジュやチームマネジメントに携わる
外資系レンタルオフィス企業でコンシェルジュとなる。
日本人初の「アジア・オセアニア地区 年間 最優秀スタッフ」受賞
国内最年少でマネージャーに抜擢
2014年独立

海外との接点が多かった子ども時代
自然と海外へのあこがれが強くありました

 私の親戚はちょっとグローバルなんです。父の姉はアメリカ人と結婚してアメリカで暮らしており、母の兄はフランス人と結婚してフランスで暮らしています。それぞれに子どもたちがいるので、私のいとこたちはハーフなんです。特にアメリカで暮らしている9歳上のいとこのお姉ちゃんからはいろいろと刺激を受けていました。
 彼女は夏休みごとに日本に遊びに来て、祖母と一暮らしていた我が家で一緒に過ごすんですが、彼女はほとんど日本語が話せず、私は大好きないとことおしゃべりがしたくて英語を話せるようになりたいと思っていました。そこから、英語を使うお仕事=通訳、という思考回路で、将来の夢はずっと通訳でした。

画像3

 海外の大学への進学をあこがれるも、親を説得するだけの強さが自分にはなく、通訳のカリキュラムがある短大を選んで受験。ところが入学1か月、実際に通訳の授業に出てみたら、政治経済の話題を通訳しなくてはならないというもので、そもそも政治経済の知識がまったくない上に、英語を聞きながら同時に通訳していく作業がニガテで挫折してしまいました。

 それでも英語や外国へのあこがれは強く、夏休みを使って叔母の家にホームステイしながら語学留学に行ったりもしました。短大を卒業してアパレルに就職したのですが、小中と短大が同じだった友だちが、大好きだったアートの方向へ進みたいからといって、短大を卒業して美術の学校へ進学した話を聞いて、ものすごいショックを受けました。
 私は卒業したら就職をしないといけないと思い込んでいたのに、「そんな道もあったのか!」と衝撃でした。そこで、やっぱり海外で生活をしてみたいという思いが強くなり、ワーキングホリデーを使って海外へ行くことを考え、1年弱で会社を辞めました。
 とはいえ、いきなりワーホリに行く勇気がなかった私は、1か月オーストラリアへ語学留学をして下調べをしました。大丈夫だと自信をつけて帰国し、改めて1年間働いてお金をある程度ためて、オーストラリアのワーホリへ行きました。

画像4

 働いたり、バックパッカーとして周遊バスチケットであちこち巡り、ユースホステルで寝泊まりする日々です。そこで出会う外国人との会話で、英語力もアップしました。言葉の壁を越えてつながる絆や、私の当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなかったことへの驚きなど、新鮮な日々でした。
 極めつけは、エアーズロックに行ったときのこと。私は8合目までしか登れなかったのですが、そこから見た雄大な景色。どこまでも広い地平線。その景色を見て、世界はなんて広いんだろう、私はなんてちっぽけで、そして私の悩みなんてさらに小さい。そんなことを感じた最高の旅でした。

「世界を見ると意識が変わる」という方は非常に多いのですが、小林さんもそのひとり。壮大な大自然の中で、自分のちっぽけな悩みなんてたいしたことがないと感じたという経験は、その後の人生に大きく影響していると言います。とはいえ、海外への情熱はまだ冷め切っていなかったそうで、再び海外へ行くことになります。

2度目のワーキングホリデーはイギリスへ
ホームシックを乗り越えた運命的な出会い

 日本に帰ってきた私は、イギリスがワーキングホリデー制度を開始した情報を得て、再びイギリスへ行くことを考えます。そのために1年間再び働いてお金をため、翌年からイギリスへ。
 オーストラリアでの経験で多少の自信をつけていた私を待ち構えていたのは、まさかのクイーンズイングリッシュの壁でした。彼らの言っていることがまったく聞こえてこないんです。さらにロンドンでの生活は、どんよりとした曇り空と都会に住む人々のクールな態度で、渡英2か月目にしてホームシックに陥りました。

画像5

 母に電話で泣き言をいうと、「それなら帰ってきてもいいんじゃない。でも、せっかく頑張ってお金貯めたんだから、カナダのワーホリに行くのもアリよね。ただ、来月イギリス旅行を計画しているんだから、それまではいてね」と予期せぬ、でも愛のある返事。帰ってもいいんだ、帰る場所があるんだ。母の言葉で少し落ち着いたのと、「せっかくなんだから、行きたがっていたコッツウォルズにでも行ってくれば」というアドバイスに従い、コッツウォルズのあるバースへ旅行することにしました。

 そこで予約したB&B(Bed&Breakfast)で運命の出会いをすることになります。そこは、オーストラリア人の旦那さんと日本人の奥さんが営むペンションのような宿。奥さんといろいろ話をするうちに、ものすごく心が癒されてきました。そこには2人の日本人がワーホリで働いているのを見て、「私もココで働きたい!」とお願いし、面接をしてもらいました。
 じつは、私は対面業務が好きだと感じ、渡英前はホテルで働いていたのです。私の経歴的にもここでの仕事にぴったりだと判断してもらったのですが、従業員の空きが出たら、という約束で私はロンドンへ帰りました。すると2週間後くらいに奥さんから電話が入り、1人欠員が出たからすぐにでも来てほしいということでした。今まで働いていたお店の手続きが終わり次第、バースへ行き働き始めました。すると、環境のせいか気持ちのせいなのか、英語もどんどん聞き取れるようになり、そこからワーホリライフは一転。結局1年間、滞在しました。

帰国しバリバリと仕事をしていく決意をした小林さん。転職を繰り返し、ライフイベントとの兼ね合いを考え、悩みながら進んだ先に、自分のスキルを生かした今の仕事にたどりついたそうです。

日本にはなかったフリーランスでの秘書業
少しずつ始めて、今では仲間を増やせるように

画像6

 最初は派遣に登録し、六本木ヒルズレジデンスのレセプションに勤務し、その後、外資系のレンタルオフィスのコンシェルジュ。そこで、300人の中から日本人初の“アジア・オセアニア地区 年間最優秀スタッフ”に選ばれ、最年少マネージャーとして数百人のマネジメントも経験しました。
 女性ばかりの職場で社員の入れ替わりも激しく、長くいる職場ではないと思いつつも仕事がおもしろく4年ほど働いていました。結婚を控えたタイミングで、女性特有の病気で手術もし、会社へ行けないほどの状況になってしまいました。
 このままではダメだなと思い、自分の体調をケアしながら働く方法を探そうと仕事を辞めました。『ケイコとマナブ』を見ながら資格取得を考えました。ママになってからもできる仕事として、ベビーマッサージセラピストに興味を持ち、実際に習いに行きましたが、私には何かが違うと実感。

 キャリアコンサルタントに相談して、自分の好きなことや得意なことを考えていくうちに、「私がやりたいことは、働く女性を輝かせるようなことだ」と気づきました。また今までの経験から、秘書としての仕事を個人でやれる方法を考え始めました。
 いろいろ調べたのですが、当時はフリーランスで秘書をしている方はおらず、どうしたらいいのか悩んでいたところ、ベビーマッサージの師匠とのランチで、「だったら私のアシスタントをやってくれない?」と頼まれました。彼女の事務的な部分を一手に引き受け、さらに自分ができることや効率的になる提案などをしているうちに、今の仕事の基本的な内容ができてきました。
 とはいえ、1本立ちできるほどは稼げなかったので、派遣の仕事と両立しながら起業準備をしていました。2年ほどたつと、アメブロや異業種交流会、ご紹介経由などで少しずつ仕事が増えていき、2014年に独立しました。この仕事は長いスパンでの契約が多く、1人ではできる量が決まっています。そこで、同じようなスキルを持ったパーソナルアシスタントを増やそうと、育成事業をスタートさせました。現在、約50人の方が終了しました。

画像6

 私は会社組織にするつもりはなく、修了生たちとはいい距離感で仕事を共有しつつ、個別で働くスタイルで進めています。というのも、私自身が現場で動くことが大好きなので、育成だけにとどまっていられないからです。ただ、最近では、依頼される量がオーバー気味なので、もっとできる人たちを育成しなくてはいけないな、と思っているところです。日本では働き方改革が謳われていますが、まだまだのところが多いと思っています。海外では秘書業をアウトソースすることは当たり前のことです。
 私の仕事はPCとネット環境さえ整っていれば、子育て中のママなどでもできる仕事です。今後は介護社会にも突入します。パーソナルアシスタントの仕事が、働き方の選択肢のひとつとなり、いつでも女性が輝いていられるといいなと思っています。

インタビューを終えて秘書業へのニーズが高まっていて、育成が追い付かないというお話から「プレイヤーではなく、育成のほうへシフトしないとダメなんじゃないですか?」と聞くと、悩ましそうに「みんなに言われます」とおっしゃった小林さん。きっと数年後には、小林さんの元から多くの秘書が生まれていることでしょう。


下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!