見出し画像

無添加の子どもごはんをママたちに届けたい。実現させるための圧倒的努力に感動!

私が社長になった理由-権 寛子さん-
子どもの食の安全性や、育児中の日々の食事作りの大変さを実感した経験から、おいしくて安心・安全な幼児食の普及を目指して起業した権さん。驚くほどのバイタリティを持って、挑戦を続けています。でも、キャリアのスタートは、まさかの家事手伝いだったと言います。いったい何が彼女を変えていったのでしょう。

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

画像1

権 寛子(ごん ひろこ)さん

子どもの食卓株式会社 代表
1982年神奈川県横浜市生まれ
慶應義塾大学商学部卒業
東京共同会計事務所
三菱UFJメリルリンチPB証券(現三菱UFJモルガン・スタンレーPB証券)を経て
第一子の妊娠・出産を機に専業主婦となる
2017年10月に子どもの食卓株式会社を設立
2018年10月より幼児食弁当の販売を開始
2019年11月より冷凍食品としてスタート

キャリアのスタートは家事手伝い⁉
その後、税理士資格にMBAも取得

 出身が神奈川県の農業用地だったので、周囲は農家や畑、牧場がいっぱいだったんです。シロツメクサで花冠つくるような子ども時代で、自然とお花屋さんとかになりたいな、なんて考えていました。とはいえ、真剣な希望というより仕事っていうものがわかってなかったからです。小さいころから、いろいろなものを見ては、「コレ、こうしたらもっと便利なのに」とか、「こんな商品があったら絶対売れるのに」とか、そんなことばかり考えていました。そして実際に商品化されているものを見つけては「やっぱり!」と喜んだり、読んでいるマンガで、ドラマ化されるのを予想して当たっては満足したり。未来予想することが好きだったんです。

 中学からの附属校だったので、受験というものを経験せずに大学まで行きました。卒業するときも親からの言いつけを守って就職せずに家事手伝いを選びました。1年半ほどして、東京の会計事務所でお手伝いということで働きだしました。働く以上はと思い、税理士の資格を取得しようと学校に通いはじめます。

画像6

▲お弁当販売の準備。毎日1つずつ手作りしていたといいます。

 ただ、税理士の仕事は、会社の事業の事後処理と感じるようになり、未来にかかわる仕事をしたいと考えるようになりました。MBA取得のために再び学校へ通いはじめ、自己分析を徹底的にして、「自分は何をしたいのか?」「何を楽しいと感じるのか?」考えるようになりました。税理士の仕事柄、多くの経営者の方とお会いする機会があったのですが、すごく知識豊富で人間的にも魅力的な方が多く、こういった方たちと対等に付き合えるようになりたいと思いました。そこで、選んだ会社が外資系の証券会社です。

 とはいえ、経験もツテもない、もちろん募集もしていなかったのですが、それでもあきらめられませんでした。ウェブの会社概要から経営陣リストを見て、全員に熱い想いを訴える手書きのお手紙を出しました。その中の1名の方から連絡をもらい、面接してもらえることができました。
 ただ、その方のお墨付きで入社できるほど甘くはなく、現場マネージャーに引き継がれ、不思議な採用試験が始まりました。その会社で必要とされる資格の取得が条件で、その場で申し込みをし、合格発表を確認すると、次の面接日程が決まる、ということを数回繰り返したんです。当時、自由になるお金はさほどないので、必要となる資格の学校の卒業生から、あちこちマーカーしてある古本を譲りうけて勉強しました。でも、主要ポイントがわかりやすくて逆に助かりました。すべての課題をクリアして半年ほどかけて、ようやく入社が認められました。

画像3

昨日見たテレビの話でもするように、20代前半のキャリアについてさらっと語った権さん。途中、何度も「ちょっと待って!」を繰り返し、実際に権さんが行ったことを整理してみると、想像を絶する勉強量とアプローチ方法が見えてきました。このあとは、ここまでのキャリアから一転、まったく別方向へ進んでいきます。

保活(保育園活動)がうまくいかず会社を退社。
新たな興味がビジネス開始のヒントに

 会社では7年ほど働きました。最初の頃こそつらいこともありましたが、慣れてくると成績も出せるようになり、楽しくなりました。結婚し、1人目を出産して育児休暇を取得していたのですが、いざ保育園に入れようと思ったら全滅しちゃったんです。さらに1年育休を延長したのに、翌年も全滅。そこできっぱり会社は辞めました。

 というのも、子育てをしている中で気づくことがたくさんあったんです。最初は保育園見学に行った時の給食を見たとき、当時話題になっていたトランス脂肪酸が入ったマーガリンが支給されていたのに、疑問を感じたんです。大人にもよくないと言われているものを、赤ちゃんに食べさせているなんて! と驚きました。また、子どもがグズッてしまう日と、食事には何か関係あるんじゃないか? とか、栄養と子どもの成長に関して、独学で調べ始めました。そして、幼少期の食事で素材の味をどれだけ経験するかが、将来の味覚に大事だという考えに大きく影響を受けました。
 さらに、周囲の状況を見ると、活躍できる女性は祖父母の存在あり! という現実にも気づきました。私のように両親の助けが得られず、保育園のサポートも受けられない母親は働く時間に制限がある社会をなんとかしたい! と強く思うようになったのです。

画像4

▲マルシェなどの参加すると毎回大人気でした。権さんの理念に共感したママたちからの口コミでどんどん人気になったのです。

 最初は子どもが小さかったので、無添加の赤ちゃんおやつを作りたいと思っていたのですが、娘の幼児食が始まるようになって、手作りごはんの大変さが身に染みて、必要なのは「幼児食だ!」と思ったんです。
 そこで、ママも一緒に食べられるお惣菜とかお弁当を作ろうと思い、自分の理想に合う料理家の方を探すべく、あちこちの料理教室に通いまくりました。そこでようやく私が作りたい幼児弁当が完成しました。2018年10月より月より都立大学で販売を開始すると、モデルの方がインスタグラムで紹介してくれたり、雑誌が取り上げてくれたりして一気に話題になりました。

とにかく行動力がハンパない権さん。どこからそんな力が出てくるのか? 彼女の判断基準を聞いて納得しました。できるorできない、ではなく、やりたいorやりたくない、で考えているのだと言います。「できなければ、できる人を探したりできる方法を考えればいい。やりたいならやればいい」そんなシンプルな基準に感動しました。

次々とやるべきことが広がっていき
支持してくれる人やサポートしてくれる人も増えた

 ただ、ここでまた疑問がわいてきます。私のお弁当はどんなにすばらしくても、せいぜい1日に100食、保存料などを使っていないので、提供できる時間と場所も限られます。夏場はほとんど無理。このお弁当を全国の母親に届けたいと思い、冷凍食品開発を考えました。2018年の5月にスタートしたクラウドファンディングではまさかのスタート4日間で予算150万円が達成。やるしかない! って状況になりました。

画像5

▲2019年11月。ついに念願の冷凍食品がスタート!

 新聞コラムで見た味の素食品の会長さんのお話に感銘を受けて、お手紙を書いて話を聞かせてもらい、その後、冷凍食品づくりに必要な知識などを現場の方に教えてもらうなどのサポートもいただきました。その知識をもって、電話帳の冷凍食品の工場に片っ端から電話しまくり、一緒に開発を手伝ってくれないか交渉して歩きました。やっと工場が決まり、試作品が届いてきたので、次は販路の確保交渉です。

 じつは、2017年に2人目を出産して、2歳、4歳の子を抱えて走り回る日々。お弁当販売初日には過労で倒れてしまい、点滴を打ってから販売に戻るなんてこともありました。それ以外でも、何回か救急車騒ぎになったことがあります(笑)。「なんでここまでやるのか?」とよく聞かれますが、私は若いころ、父に自由を抑圧された人生を疑問も持たずに生きてきました。そこから得た自由な生活の中で、自分の人生を生きる楽しさを知ったのだと思います。

 できるorできない、ではなく、やりたいorやりたくない、の軸で考えるようになったんです。だから、できもしない無茶ばっかりやっちゃって、大変なことになっちゃってますが。。。でも、そんなとき、いつも助けてくれるのはママ友だったり、周りの友だち。私と同じようにママになっても自分らしくありたいと思う、彼女たちに支えてもらって続けられています。
 親目線では、ごはんづくりの選択肢のひとつとして安心して買える、それこそ買うことが誇らしく思えるような食事を提供したいと思っています。一方、子ども目線では、小さいうちにいろいろな味覚を体験することで、将来海外の友だちに日本食のよさについて語れる、そんなことを夢見ています。子どもの食環境を、少しでも変えていきたいって思っています。

画像6

権さんのお話を聞いて「すごい!」とか「カッコいい」とかいろんな感情があふれてきて、最後には「めっちゃ応援します!」と感動の言葉を伝えたくなりました。応援したくなる人っていうのは、本気で頑張っている人、自分にできないことを素直に認める人なんだと思います。
大きなことを成し遂げるためには、人のサポートが必要です。権さんは、そんな大きなことを成し遂げる人になる、そう思いました。


下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!