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出世コースではない長期の海外赴任生活。それでも実績を出すことで役員▶️社長に

僕が社長になった理由-檀原 徹典さん-
ヨーロッパを中心とした海外旅行を企画するベンチャーとしてスタートしたミキツーリストの社長を務める檀原さん。社会人2年目にスペインに赴任し、まさかのそのまま20年以上ヨーロッパで過ごすことになったといいます。日本での経験がほとんどないという、かなり特異なキャリアでありつつ、現地から会社の変革を推進していった立役者です。ご自身のキャリアについて、旅行にまつわるお話やこれからのこと、想定外のお話までおうかがいすることができました。

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

檀原徹典 写真

檀原 徹典(だんばら てつのり)さん

㈱ミキ・ツーリスト 代表取締役社長
1987年 ミキ・ツーリストに入社
1988年 マドリッドに赴任
1997年~2003年 ロンドン赴任
GMコミュニケーション 役員を兼務
2011年 代表取締役社長に就任

株式会社 ミキ・ツーリスト | 株式会社ミキ・ツーリスト

大学時代にヨーロッパでの
バックパック旅行とイギリス留学
就職先はロンドン発の旅行会社

 鳥取県で校長先生をやっていた祖父がいたので、自分も先生になろうと考えたりすることがありました。僕は高校から自転車競技をやっていたので、ツールドフランスを見たいという思いがずっとあり、大学2年の夏に1か月くらいバックパックでヨーロッパを旅したのが、今に至るキッカケかもしれません。大学3年の時に1年休学して、半年は宅配会社でバイトしてお金をためて、残りの半年でイギリス留学をしました。

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 僕は英語が本当にダメで、最初は下から2番目のクラスだったくらいです。卒業するころにやっと、他の日本人と同じレベルのクラスに上がれたぐらいでした。それでも、『地球の歩き方』を片手に、ユーレイルパスを買ってヨーロッパを周って、ツールドフランスを見られたときには感動しましたね。

 卒業のときは、大手の企業からもいくつか内定はもらえたんですが、創立20年の若い会社だったミキ・ツーリストを選びました。なぜなら、部長でも30代、自分の将来像が見えやすかったということがあったと思います。 
 大企業だと同期も多く、昇進するのも大変そうじゃないですか(笑)。しかも、当時からこの業界ではパイオニア企業でしたから。そういった業界トップの会社で働くというのも魅力に感じました。この会社は、創業者である当時の社長がロンドンで起業して、これからの時代の日本人向けヨーロッパ旅行のためのツアーパッケージを、現地でプロデュースし始めたのがスタートなんです。

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▲現在は、日本からヨーロッパだけでなく、世界各国へのツアー送客するなどメッシュビジネスを拡大している。

 入社して1年間は営業でした。当時、この会社では、2年目や3年目の社員が海外拠点に赴任するという研修制度を取り入れていて、僕はスペインのマドリッドに4月から赴任する予定でした。ところが、手続きがどうにも進まず、11月になってやっとOKが出たのです。いざ出発間際になると、スペインへの観光客が増えてきたタイミングということもあり、もしかしたらしばらくそのままマドリッド勤務になるかもしれない、と言われました。実際はしばらくどころか、そのまま10年いることになりました。

日本と離れたヨーロッパでの生活が長くなり、通常のキャリアではなかった檀原さん。日本への帰国を希望するも通らず、海外で実績とキャリアを伸ばしていきました。そして、若くしてボードメンバー入りを果たし、社長に就任します。

まさかの20年以上のヨーロッパ生活
実績が認められ若くしてボードメンバーに

 当時のマドリッド支店のやんごとない事情により、支店長に代わり、赴任したばかりで入社そこそこの僕がいろんなことを仕切らなくてはいけなくなりました。ある意味、早い段階で仕事を俯瞰して全体的に見る目を養えたかもしれません。その後、やっと日本に帰れるのかと思いきや、今度はロンドン欧州本社に行くことになります。

みゅうについて|オプショナルツアー・現地ツアーの みゅう

▲現地スタッフがいるから可能なオリジナルツアーの数々が自慢です。

 ロンドンはヨーロッパの中心拠点だったので、他の地区のことも見ているうちに、各エリアがバラバラのやり方をしていて、日本との対応もロスが多かったり、問題点がいろいろ見えてきました。そこで、本当は自分の専門ではなかったのですが、業務改善プロジェクトで基幹システムを改善する担当責任者になりました。自分の中には、マドリッドでの経験から、自分でサブシステムを作ったこともあり、どういうフローにしたら便利か、という持論がありました。そこで、かなり意見を取り入れてもらったのです。

 海外での生活が長くなる中、自分のキャリアについて考えたとき、日本に戻って営業をやりたい! と思うようになりました。異動願いも出してみたものの叶わず、マドリッドへ逆戻りしました。ちょうど、支店長が引退するタイミングで、僕が支店長になりました。支店長という立場を得た僕は、スペイン発で会社を変える! と意気込み、会社のあるべき姿になるよう改革を訴え続けました。基幹システムは完成し、効率化できるツールはそろったので、現地だからできることを提案し活動していきました。
 そんな活動が評価されたからか、その2年後にホールディングスの親会社の役員に任命されました。ボードメンバーは日本の本社社長、ロンドン支社長、そして自分の3人。2人は自分よりも15歳も上の大ベテランで、多少やりにくさを感じたことを覚えています。

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社長業がもうすぐ10年
次のキャリアを考え始めた先に見えたモノ

 2010年にやっと帰国し、翌年11年から社長を務めています。社長業をしてもうすぐ10年。自分としては会社人生はやることはやった、という感覚が結構強くなってきています。“ミキの檀原”というのはある一定の評価を得たと思っているのですが、肩書きが取れたときの自分にどのくらいの価値があるのか? 最近はそんなチャレンジをしてみたいと考えるときがあります。

 たとえば、旅行業以外のジャンル。最近は訪日の人の数がどんどん増えていますが、数より質を求めたいという声も多くなってきています。ヨーロッパの観光地やリゾートは日本とは全然違います。街自体の構造もそうですが、来る人も上質さを求めています。観光庁も最初のころこそ、数を求めていた時期もありましたがが、最近では数より質とのご意見もあるようです。

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 また、観光立国というのは、地域創生とも結びついているものです。現在、中国やアジア圏の人が多く日本に来ているというのが現実で、マイナス面がクローズアップされている面もあります。一方でもっと、ヨーロッパの方たちが好む街づくりをしてくのもいいんじゃないかと思ったりしています。実際に母の実家に行くと、ヨーロッパの観光客の方たちに対してどんなおもてなしをしたらいいのかを相談されることがあります。そういった方向は、僕が得意とする知見なので、今後、地方創生のお手伝いなんかができたらいいな、なんてことを考えることもあります。
 あ、これ社員には大きな声で言えないですね(笑)。

これからの展望が、あまりにもステキなアイデアだったので、激しく盛り上がってしまいました。実際に困っている地域や、やり方次第でおもしろく演出できそうなエリア。そういったところに檀原さんの知見が入ることで、日本の新しい観光スポットができたら、最高にステキです。




下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!