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私がmeeet(女子大生とオトナ女子をつなぐ場)を始めた理由【前編】

meeetはmeet meを意味する造語。
女子大生とオトナ女子が一緒に語り合い、学び合える、おうちのようなコミュニティを作りたい。そこで得られるものは、本当の自分。

2020年に私たちはmeeetをスタートさせた。就活やキャリアに迷い、本当の自分がわからない!と悩む女性たちとの対話型コミュニティだ。
始めた理由を説明するために、私のトラウマから説明する必要がある。それは私の「将来の夢」遍歴だ。

「将来の夢はなんですか?」

幼稚園で先生から言われた言葉。さらに「夢を絵に描きましょう!」と。

周りの子たちがすぐに絵を描き始めたのに、私はフリーズ状態で一ミリも動けなかった。「将来の夢?」ナニそれ? 

5歳当時、考えたこともないし、簡単に思つくようにも思えなかった。時間が過ぎていく中、私は”ケーキ屋さんの絵”を描こうとした。子どもたちが大好きなケーキの店なら、ごまかせる気がしたからだ。幼稚園児でも大人の顔色を見ていた。

ところが「ショーケースに並んだケーキと、それを売る私」という構図は浮かんでも、ケーキの種類がわからなかった。どんなに考えてもショートケーキだけ。あと知っているチョコレートケーキは、可愛くないから論外。

やばい! 時間がなくなってきた!
仕方ない、自分に描けるものを描こう!

完成したのは、くだものや野菜が並んだ八百屋さん。カラフルなくだものたちが並んだ絵は、我ながらよく描けて満足した。

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だが、この一件はこれで終わらなかった。。。
じつは、これは父兄参観に向けた取り組みだったのだ。私たちが描いた絵は教室に貼られ、後日、親たちの目にさらされることになった。

看護師さん、アイドル歌手、野球選手、パイロットなど、夢のある職業が並ぶ中、八百屋さんの絵が明らかに浮いている。

友だちのお母さんが、戸惑った表情で聞いてきた。

「なっちゃん、八百屋さんになりたいの?」

ウソを描いたとは言えなかった。「うん。くだもの大好きだから」と答えた。怪訝な顔をしたおばさんと、少し引きつった笑顔の母親。

私が「将来の夢」に対して持った最初のトラウマだ。
この時から、私は「将来の夢」を聞かれたときのために、何かしら“保険”を持つことの必要性を感じて、常にそれを探し続けるようになった。

「なっちゃんはマンガ家になれるよ!」

小学生になると少女マンガにハマった。マネして絵を描くと上手だとホメられ、「マンガ家になれるよ」そんな友だちの言葉を真に受け、「そうか、私はマンガ家になればいいんだ」と思った。将来の夢は、友だちの一言で簡単に決まった。
将来のことを聞かれると「マンガ家」と答えるための”保険”を確保できたというわけだ。本気で目指したりはしなかったw

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小学校高学年で担任だった先生が、今でいうアクティブラーニング、探究学習スタイルを実践していた人だった。科学実験の結果をみんなで予想してディベートする、社会科では子どもたちが自分で歴史を調べてみんなに授業する、基本三原色で色を作り絵を描かせるなど。勉強は教えられるのではなく、主体的に学ぶものだということを体感した。勉強が大好きになり、先生をリスペクトしていた。私の学生生活でもっとも楽しかった時期。

当時、『生徒諸君』というマンガにハマっていて、主人公のナッキーは教師を目指していたので、私も教師を目指すことにした笑 正確に言うと、私は教師ではなく、ナッキーになりたかったんだ。この担任との出会いで、教師を目指す正当な理由ができたってわけ。

私は『生徒諸君』のナッキーになりたい!

ナッキーになるべく、中学に進学すると、私の中学はものすごく荒れまくっていた。この間まで一緒に遊んでいた子たちが、番長や裏番になった。先生たちは生徒を理解することより制圧することに必死だった。私の周りに金八先生はいなかった。

先生という職業に絶望し、学校という場所に失望した。
私はまたしても夢を失った。

高校生のとき、再びマンガの影響で、ヘアアーティストを目指そうと思い立った。主人公の好きな先輩が、高校時代に通信で美容師の資格を取り、高校卒業と同時にロンドンに留学するという話だった。よくわからないけど、カッコいい!と思って、そのままパクろうと決めた。

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美容師になってロンドンに行く!
なんかそれっぽいしカッコいい♪

が、遊びにバイトや自分探しに忙しかった高校時代、通信を調べることもなく高校3年生になってしまい、周囲が進めるがままに大学を目指すことにした。私は気軽な気持ちで語った夢だが、母は私が真剣に美容師になりたいのだと思っていた。親せきを呼んで私に大学進学を説得した。

そう、もう夢は”保険”ではなく、リアルな時期に差し掛かっていたんだ。

ついに、大学生になってしまった。あと4年で社会に出る。
”保険の夢”のままじゃヤバい。でもどうしたらいいのか? 
わからなかったけど、いろんなバイトをしていれば、もっと地に足のついた”将来の夢”が見つかるのではないか? 

20種類以上のバイトで自分の夢を探した

学生のバイトなんてたかが知れている。ほとんどが飲食業だ。居酒屋や配膳、レストラン、カフェなどは何種類やったかわからない。コンビニ、家庭教師、夜のBARやスナックにも手を出した。その数20種類以上。

夜のバイトは、大人と出会いたかったから。大人から仕事のヒントやチャンスがもらえるのでは?という下心だ。だが、まともに知り合えなかった。
スナックのママたちはビジネスマンと向き合うために新聞や社会情勢などを学んでいた。だから会話が盛り上がる。私はまったくついていけなかった。そして、そもそも学生に仕事のヒントをくれるような場ではなかった。

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派遣のオフィス事務もやってみたが、学生バイトだと簡単な事務作業しかやらせてもらえなかった。当時スキーにハマっていたので、ビクトリアの販売員もやってみた。営業センスがあったらしく、担当のゴーグル売り場でガンガン売りまくったら、社員に誘われた。でも、自分の一生の仕事とは思えなかった。どのバイトも、将来の仕事につながる気はしなかった。

ゼミに振られて負けず嫌いに火がついたw

大学3年からは本当だったらゼミが始まる。私の学部では全員はゼミに入れない。でも、ゼミに入ったほうが就職が楽になる。そんな噂を聞いて、唯一興味を持ったマスコミ系のゼミに申し込んだら、ミゴトに振られた笑 

マスコミ系のゼミに行きたかった理由は、友だちが「雑誌の編集者になりたいんだ」と言ったから。「そんな仕事を目指してもいいの?」と目から鱗が落ち、将来の仕事にマスコミというジャンルが急浮上してきたのだ。編集者がなんなのか、マスコミがなんなのか? なんてよく知らなかったけどね。

他のゼミは受けなかったので、ゼミなしっ子。つまり、就職も自力で探せってことだ。あと2年。本当にヤバイ。。。
が、ここまで追い込まれたことで、逆に力が出てきた。

編集のバイトで最初にしたのは女子高生ナンパw

ゼミに落ちた私は、悔しくてリベンジを誓った
1つは、私を落としたゼミの教授に認めてもらうこと。
もう1つは、自力でマスコミを目指すこと。

教授の授業を、2年連続一番前で受講し(2年目は単位関係ないただの聴講生)、書き上げたレポートで最高評価を得ることで、1つ目のリベンジは達成できた。
もう1つは、マスコミ志望だと声に出すことからはじめてみた。すると、カフェのバイトの先輩から、出版社勤務の友だちが手伝ってくれる子を探しているというので、紹介してもらうことができた。なんでも言ってみるものだ。

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先輩の友だちの雑誌編集者との面談で、「女子高生の知り合いいる?」と聞かれた。しかも雑誌に登場できるレベルで、だ。自慢じゃないが、高校時代にまともな部活をしてなかったので後輩の知り合いなんていない。でも、これがバイトの採用試験だと思い、目標の4人をゲットするべく、私は上野のABAB(当時の上野のおしゃれデパートw)に行って、かわいい女子高生を見つけては声をかけた。一人でナンパするのに、渋谷や原宿に行く勇気はなかった。名刺もない。正式なバイトでもない。根性だけでかわいい女の子数名の連絡先をゲットした。

結局、OKもらえたのは2人だけ。それでも、私はバイトとして採用された。というか、最初から「女子高生を紹介できたらお願い」程度の話で、大した期待はされてなかったらしい。。。

天職を見つけた!! 私は一生、編集者として生きていく!

雑誌編集の仕事はすべてが刺激的だった。
取材をする、撮影をする、準備をする、原稿を書く、デザインを依頼する、どれもが楽しかった。頼まれたらなんでもやったし、頼まれなくても、勝手に手伝った。手伝わせてもらえるなら、お金を払ってもいいと思っていた。

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編集先で知り合ったカメラマン、スタイリスト、ヘアメイク、モデル、ロケバススタッフ、デザイナー、そして編集ライター。いろんな人たちの手伝いをしながら、彼らの仕事観やプライベートの話も聞いた。私はなんでも喜んで手伝うので、あちこちでかわいがってもらった。
取材先の店舗の人の話、いろいろなジャンルの先生から専門的な話を聞かせてもらい、テレビ局の取材に入り、好きだったマンガ家にイラストを描いてもらうこともできた。

編集者の仕事は雑誌や本を作ることで、それは人々が喜んでくれる情報を魅力的なコンテンツにする仕事だ。私にとって、コンテンツを作るために自分が知らなかった情報を調べたり、専門家に会って話を聞いたり、すばらしいスタッフとページを作り上げていく過程は、毎回が文化祭のように楽しかった。これ以上に楽しい仕事があるとは思えなかった。完全に魅了された。

やっと見つけた”将来の夢”は、すでに現実になっていた。
私は学生ライターになり、無事に出版社に就職もした。当時は花形だった女性誌の編集部に配属された。このまま一生、編集者として生きていくことを疑いもしなかった。

でも、技術が進歩し、社会は変化していく。そうインターネットの登場です。私の編集者人生が大きく変わるお話はまた今度。

meeetで成し遂げたいことは、
モヤモヤしている人に本当の自分を発見してもらうこと

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”将来の夢”の探し方なんて人それぞれだと思う。
でも、仕事の種類やその仕事をしている大人たちの声が、自分の価値観だったり、琴線に触れることで興味が出てくる。大人たちともっともっと早いタイミングで知り合いたかった。話を聞きたかった。
私の時代は、出会える方法が本当に少なかった。でも今は違う。ネットで情報を探して出会うことはできる。

当時の自分が欲しかった情報や大人たちに出会える場を作ろうと思った。
それがmeeetだ。

私たちは、月に1〜2回無料のワークショップをオンラインで行っている。ゲストスピーカーはさまざまなジャンルで働く女性たちだ。
彼女たちに仕事や人生にまつわる話、自分の価値観や想いを共有してもらいながら、参加者同士で対話をする。大人も学生も関係なく、自分の想いを語り合うことで、自分を改めて発見していく。

女性限定のコミュニティにしている理由は、女子ならではのライフイベントやボディやメンタルケアの話までしたかったから。
今後は、ケースによっては男性スピーカーもお願いしたい。

meeetワークショップ

1月のワークショップは1月23日(土)10時〜11時半@オンラインです。

TwitterFBページにてコンテンツ配信や告知をしています。Instgramも今年は力を入れていきます。

【後編】では、昨年10回開催したワークショップでのお話から、みんなが何を学び、何を感じたのか? というお話と、今後の展開をお知らせします。
長文お付き合いいただき、ありがとうございました。
後編はコチラ▶️https://note.com/iwamin_nana/n/n2c647411e2b7


下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!