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My Introductionという名の受験体験記4/5

私の自己紹介&受験体験記です。
私は現在、京都市にて小さな学習塾を運営しています。
なぜ、この仕事を職業としたのか。その原点は私の受験経験にあります。

2010年に作成したものを加筆してアップしていきます。

(①を未読の方、書いた人はコチラ)
https://note.com/iwakurablog/n/ne291e31351ad

(②はコチラ)
https://note.com/iwakurablog/n/n75986cd8704c

(③はコチラ)
https://note.com/iwakurablog/n/n505a5b0874a2

~~もう「あの頃の自分」に戻るのは嫌だ。砂を噛むような思いで日々を過ごす僕に、ある日見えた一筋の光とは~~~

高校3年4月
~フォースの目覚め~

それでも、4月くらいには内面に変化を感じ始めました。

1つめは段々と塾の授業に理解できるものが出てきたことです。
特に英語は、初め3ヶ月間にわたって授業で何一つ理解できるものがなく、課題の精度も上がりませんでした。でも、この頃に初めて「あ、これって前に習った○○じゃないの・・・?」と思えるものが出てきました。   

このときは、涙が出るほど嬉しかったです。

2つめは、周りの生徒の勉強の様子が分かるようになってきたことです。

学校の同級生は、未だテスト前にしか勉強していない奴ばかりです。男子校なんてそんなものです。さらに、塾の生徒でも、割に宿題・復習を出来ていない生徒がいました。5年間の差だと思っていたものは、もしかしたら「意外と遠くないのでは...?」と思いました。

とはいえ、まだ塾のクラス(7人)での成績はダントツで最下位です。この頃の僕は、1位のカワムラ君を心の中で密かにライバルと定めていました。
(ちなみにカワムラ君は見事に現役で京大に合格し、僕は塾内試験で一度も彼には勝てませんでした)と同時に、目の前の6位のミムラさんを抜かさなければ1位にはなり得ない、と考えていました。

ライバルは多ければ多いほうがいいです。でも、心が弱いときは自分と同じか自分より低い人に目が行ってしまいがちです。勝負事は何にせよ、下を見ればきりがありません。上を目指すのであれば、決して揺るがない最高峰のライバルと、自分より少し前を行く身近なライバルを持つことが上手な取り組み方だと思います。そしてライバルの油断や、失敗に安心してはいけません。
負けているのは自分のほう。ならば、相手が油断してくれた時こそが最大のチャンス!
その時に自分が目標を達成したときだけが差を埋められる瞬間です。

現状の学力で負けているのならば、努力でも負けたら一生勝てない!
との思いで、授業の宿題・復習に多くの時間をかけ、目の前の理解度を上げることに全精力を注ぎました。

[ ♪ opening theme    ]ジャジャーーン!

そして、ついに5月の模試の結果で偏差値が上昇します!
3科目で偏差値が54。特に英語は顕著で、一気に平均点あたりの偏差値50になっていました。大きな自信を得ると共に、さらに頑張ろうという意欲が満ちあふれてきました。

やはり一番やる気を出させてくれるのは、成果を得ることです。
この、成果が出るまで我慢して努力を続けられるかどうか。また成果を出すために日々、やり方や気持ちを改善していけるかどうかこそが、何かを成し遂げる上で最も重要だと、今なら分かります。

ここで、当初の目標である東京農工大学は、もう一歩で手の届くところになりました。果たしてここが自分の最終到達点でよいのか?真剣に悩みます。

兄・先輩に負けたくないという思い。この3ヶ月(2~5月)で偏差値が10伸びたんだから、あと3ヶ月で10伸びるんじゃないの? という、ものすごく安易な発想。

そして何より、自分の力がどこまで通用するか限界までチャレンジしたい! という思い。様々な思いから、最終的に志望校を「京都大学農学部(当時偏差値68)」に定め、勉強を加速させます。

もちろんこの時、親はこの事実を知りません。それどころか、僕は家で全く勉強が出来なかったので、勉強は全て塾。帰りのバスの中でする英単語が一日の学習の終わりだったので、親は僕が勉強する姿をこれまで1秒も見ていません

ただ、僕の態度に何か感じるところがあったのか、ほとんど何も言わないでくれたのがありがたかったです。そして僕もいつしか「勉強してるの?」の問いに、イラつくことなく「大丈夫やで。」と答えることが出来るようになっていました。

それでも夏休み前、学校での三者面談で、

 先生  「志望校は?」 僕「京大です。」
 先生&母「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
 先生  「・・・まあ、受けるだけなら誰でもできるしな。」

というやりとりの後は、母は「本当に大丈夫なの?」と心配そうでしたが。

ちなみに僕は高3になっても学校のテスト勉強はやりませんでした。学校の授業についていけておらず、自分の受験に内申は一切関係なかったからです。しかし、授業中寝るのをやめ、必ず起きて受験勉強をしていたことと、テストはむしろ実力テストとばかりに、時間いっぱい全力で取り組むようにしました。

そのことを快くは思っておられなかったでしょうが、とがめずに見守ってくれた先生方には、今さらながら感謝しています。

高校3年8月
~開眼チャレンジ~

さて、志望校を京大にしたことにより、2次試験に国語まで含まれることとなります。今後は学習時間を爆発的に増やさなければ、到底届きそうにありません。

「時間を増やす時は勉強道具を増やす」というルールに忠実に、難易度が増していく塾の課題にかける時間はそのままで、他の科目、復習課題、模試の直しを追加します。

これ以降の学習は

  英単語(2時間)、古文単語(週3回30分)、古典文法(週3回30分)
  漢文構文(週3回30分)、国語模試・直し復習(週2回1時間)
  数学宿題・復習(1時間)、数学模試・直し復習(1時間)
  英語授業宿題・復習(1時間)、英語模試・直し復習(1時間)
  化学宿題・復習(週3回1時間)、化学問題集(週3回1時間)
  生物問題集(週3回1時間)、政経問題集(週3回1時間)
  →1日平均学習時間9時間+単語2時間15分

英語、数学はとにかく毎日。理科・社会はむしろ忘れる前提で1日おきにしかやらない。日々の学習時間の半分以上を一度やった問題の解き直しにあてる。

これをキーワードに、めいっぱいやるつもりでプランを立ててみました。

体感的に偏差値を10上げるためには学習量が3倍くらい必要な気がしていたので、学習時間を3倍に、足りない部分はさらに集中力を上げてカバーしようと考えました。

僕の場合、夏休み以降もこの学習プランを守れることが非常にありがたかったです。学校は2学期以降は選択授業以外登校しなくてもよく、図書室、塾の自習室でルーティンの学習に没頭しました。

そしていよいよ8月の模試の結果が帰ってくると、偏差値64になっていました。当面の、偏差値をあと3ヶ月で10上げるは達成されましたが、まだ足りません。

それよりも、夏明けに各予備校が実施する「京大」系の模試を全て受けましたが、全く歯が立たず、どれも判定はE、偏差値も40代前半です(もちろん原則京大志望者のみの受験なので偏差値52、3で十分合格が見込める)

しかし、この結果はすでに自己採点で分かっていました。
模試の結果が帰ってくる頃には2周以上直しもして「自分の弱点はどこか」、「これは解けたはず」、「これは無理」など必要なことは吸収した上での結果ですから「今の俺は1ヶ月前とは違う!」という、妙な自信はありました。

また、先ほどのプランは夏休み明けに本格始動したもので、実は夏休み中はひたすら夏期講習に没頭していました。
毎日2~3コマの授業を受けていたので、大量の直しが残っています。

僕は塾で通年の授業を【難関国公立理系数学、難関国公立英語、発展化学】の3講座のみ受講していて、それ以外の科目の普段は自学でした。

しかし、自分でやるにもコツが分からない科目もたくさんあるので、夏期講習は上記3講座の講習に加え【センター英・数・国・化、京大国語】を受講しました。つまり8講座。

ものすごい負担をあっさりと親に頼んでいたんだと、今になって本当にありがたく思います。

当然直しはするのですが、多くの課題が残ります。しかし、春休みの講習と同じく、普段受講していない科目は冬まで3ヶ月かけてかみ砕けばよいので焦りはありません。勉強するべき物がある限り、まだまだ成績は伸びるのだと自分を奮い立たせます。

さて少し話はそれますが、センター対策をするなら断然春です!
春の講習でセンター試験の対策を知り、それを3ヶ月かけて復習し、夏に再度同じ事を習って確認し、秋の演習でひたすらそれを使いこなす。そうすればセンターは乗り越えられます。

え、もう春は終わったって?大丈夫です!
夏からでも遅くないので、きちんとセンター対策の授業を受ける、もしくは最近良い参考書もたくさん出てますから、それを1冊きちんとやって、冬に備えて下さい。

さあ、いよいよ受験の冬です!
2回目の京大系の模試に向けて学力フルスイング!!

(⑤につづく)

https://note.com/iwakurablog/n/n43038df4c4c6

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