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My Introductionという名の受験体験記2/5

私の自己紹介&受験体験記です。
私は現在、京都市にて小さな学習塾を運営しています。
なぜ、この仕事を職業としたのか。その原点は私の受験経験にあります。

2010年に作成したものを加筆してアップしていきます。

(①を未読の方、書いた人はコチラ)
https://note.com/iwakurablog/n/ne291e31351ad

中学から高校2年
~淳心トンネルでスライムに退化!~

中学入学の晴れがましい気持ちもどこへやら。
これでやっと、あの塾から解放された!という思いしか残らなかった僕は、全く勉強から取り残されていきます。

中高一貫校ですから当然授業の進度は速く、中2までに中学内容を修了します。以降中3で高1内容、高1で高2内容、高3で受験勉強です。
田舎の小学校とは比べものにならないほど優秀な生徒が多い中で、努力する習慣が皆無である僕は、全く勉強に身が入りません。

特に英語の学力は
①担当が担任で若くて熱心(やらない僕に当たりが厳しい)
②一度覚えたつもりのルールが、後出しじゃんけんのように変更される。
(今思えば、文法を系統だてて学ぼうとしなかったことが原因)
③日本人なのに英語必要なの?
という3本の矢により致命的なまでに粉砕されました

他の科目も芳しくなく、母はそのことにより幾度となく学校に呼び出されていましたし、それが原因での僕とのケンカも数え切れないほどありました。

勉強が分からないと、学校に行くことがまあなんと億劫なことか。
毎日「行きたくない、行きたくない・・・」と思いながら親に叩き出されるようにして学校に向かいました。

しかし、学校に行けども、高1の頃には理解できる教科はほぼ皆無です。
ついには、家を出ても学校には足が向かなくなり、公園で鳩にパンくずをやってから、遅刻して学校に行くというリズムが当たり前となります。

高1の年間の遅刻回数は登校200日中でなんと、100日を超えていました。

そんな僕でも、友人との関わりだけが救いでした。
学校の授業中はすべて寝ていても、放課後は全力投球w
最終バスが午後9時40分でしたが、毎日必ずそれまでは友人と過ごしていました。それも、母に言わせれば頭痛の種だったに違いありません。

また、学校活動では「鉄道研究部」「新聞部」「生徒会」とこれまたいろんな所に首をつっこみ、多くの先輩・同級生・後輩たちと出会うことができました。

高校受験もなくズルズルと勉強が出来なかった僕は、何度か親のすすめで塾にも行きました。しかし、2ヶ月もすれば「もうやめる」の繰り返し。

学校の授業も生物以外は全くついて行けず、毎日何の目標もなく、ただただ「生きる意味」を考える毎日でした。

当時中2病全開の僕は
「人間は必ず死ぬ」→「なぜ生きるのか分からない」→「より良く生きる意味が無い」→「勉強する意味が無い」

という見事なトンデモ理論展開で、現状に向き合えない自分を肯定し続けていました。

でも、そんな僕に転機が訪れます。

~iPhoneを買ったら読みたい5大ニュース!~


ではなくw~僕が変わるきっかけになった5つの出来事~

①兄が志望大学に合格した。

僕と兄は3つ違いで、幼少よりよく比べられてきました。
特に今では「やってはいけない」と言われる「兄と成績表を見比べて怒られる」というのもありました。当然ケンカも絶えず、常に負けたくない存在の兄だったわけですが、僕が小3の時にあっさりと、中学受験をして関東の叔母の家に行ってしまいます。

以降、僕は一人っ子のように傍若無人に振る舞っていましたが、それでも兄は目の上のたんこぶのように常に気になっていました。

その兄が浪人したものの、志望大学に合格しました。
「果たして同じことが自分にできるのだろうか?」と考えました。

②先輩が志望大学に合格した。

僕は「新聞部」に所属していたわけですが、当時関西の新聞部には交流会があり、そこで他校の先輩とも交流がありました。
灘、東大寺、大教大附属などそうそうたるメンバーでしたが、みんな驚くほど気さくで「この人達は本当に賢いんだろうか・・・?」と思うほどにアホな振る舞いしかしていませんでした。

しかし、彼らの進学先は、東大、京大、医学部・・・。
みんな見えない部分で努力し、そしてそれをおくびにも出さない。
自分と照らし合わせて焦ったことを覚えています。

③親が高校進学以降、一切勉強・生活について言わなくなった。

これが非常に大きな影響がありました。
言われている間は「今やるつもりやったのに、言われてやる気が無くなった」などと恥ずかしい言い訳を繰り広げていましたが、言われなくなったことで、えもいわれぬ開放感と、じわじわ訪れる「これで人のせいに出来ない」不安感がやってくることになります。

1年以上かかりましたが、受験態勢になる一番のきっかけはこの事だったと思います。

④中2病に飽きた。

これは誰しもでしょうか
「なぜ生きるのか」それは非常に難しい問いで、僕も哲学の入門書などを読んでみたり、新聞部の集まりで討論をしてみたりしましたが、納得のいく答えに出会うことは出来ませんでした。

しかし「このまま大学に進学しなければ自分の人生がどうなるのか?」と、ふと考えたときに「自分に出来ることは何もないのではないか?」ということに気づきました。
このまま何の武器も持たずに社会に出て行ったとしても「自分は通用しない」と思い至った時、頭をハンマーで殴られたような衝撃を感じました。

「理想」よりも「現実」にうちひしがれるというのは情けないことですが、「理想」よりも「現実」の方が多くのことを学ばせてくれるということでしょう。

今では自分なりにですが「なぜ生きるのか」が、分かってきた気がします。

それは万人共通の答えではなく、自分自身の「生きる意味」は、今の自分の「現実」の生活の中に見いだされるものだと思います。
そのために「理想」と「現実」について深く思い悩む時期と、現実を乗り越える努力が不可欠なんだと思います。

この悩んだ時期があったからこそ、今の僕があります。

⑤彼女が出来た。

これはあまり関係ないのかもしれません。
でも、僕は非常に格好付けだったので、彼女に対して勉強でも格好付けたかったのはありました。

そしてついに高校2年の12月。僕は大仏並みの重い腰を上げて、通塾を決意するのです!!

(つづく)

https://note.com/iwakurablog/n/n505a5b0874a2

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