My Introductionという名の受験体験記1/5

私の自己紹介&受験体験記です。
私は現在、京都市にて小さな学習塾を運営しています。
なぜ、この仕事を職業としたのか。その原点は私の受験経験にあります。

2010年に作成したものを加筆してアップしていきます。

書いたのは「うっち―先生」

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星とお酒と数学が大好き。
2人兄弟の次男として産まれ、電車も通ってないド田舎で18歳まで育つ。
私立淳心学院中高等学校(兵庫県姫路市)→京都大学農学部
大学進学を機に京都に転居。左京区在住。

はじめに

自己紹介と言いながら、全5話のかなり長い自分語りになります。
私は高校2年生の時点で偏差値40台、学校の遅刻日数年間100回超の完全に落ちこぼれ生でした。
これは、そこからどのように自分を変えていったのかの記録です。
私がどのように、今の考えを持つに至ったかを知っていただけると幸いです。

私の生徒、学生時代は、とても褒められたものではありません。
一部の方には不快な思いをさせてしまうかもしれません。
でも、自分の原点を知ってもらうためにもありのままをお伝えします。
ここに書かれているのは脚色なしの等身大の私です。

中学校入学まで
~二度と戻らないGoldenDays~

僕は、子どもの頃から非常に活発というか、何にでも首をつっこみたがる性格で、周囲の人達をウザがらせていました。しゃべるのが大好きで、常に何かをワーワー喋っていました。静かになったら寝てるか、車酔いです

母が公文式の指導者だったので、保育園のころから公文式をやっていました。なので割と計算は得意でした。「やっててよかった公文式」

小3の時にどうしても嫌になり、教室で泣き叫んで転がりまわって、無事に辞めて以降、毎日気楽に遊び回る日々を送ります。
小5の終わりになって再度公文式をやった後、小6になって、母に中学の準備のためとそそのかされて塾に行き始めます。

入塾時の得点は大したことなく、一番下のクラスからスタートしました。
この受験塾が怖かったのなんの!超スパルタ方式で、授業も土曜日のみ7時間。今思ってもトンデモな塾でした

漢字テストで合格点に1点足りないと1発ビンタされるなどなど。宿題忘れの張り手で教室後ろに吹っ飛んで行った橋本君、元気にしてるかなあ。。。
宿題も、怒られたくない一心で必死に答えを書き写していました。

そうこうするうちに、塾の先生の勧めで受験をしてみることになります。
淳心は姫路城のお堀の中にある、駸々堂模試偏差50台後半の学校です。
あとで聞くと、母は初めからそこを受験できればいいなあと思っていたようです。当然僕は受験する気などありませんでしたから、説明会に行ったこともありません。

そして僕は「一度も足を踏み入れたことのない」中学校を、訳も分からず受験し、合格してしまいます。
これが、僕の人生を大きく左右する出来事だったのです。

(②につづく)

https://note.com/iwakurablog/n/n75986cd8704c

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