「ハイバイと岩井をさかのぼる」 第2回

大学時代と岩松了作品への関わり

(構成・文:上條桂子さん)

――でもその中で、俳優っていうのは演出家の駒ってわけではないよってこととか、俳優とはどんなことなのかっていうことは肌で感じたり学んだりされたのではないですか。

岩井 「このままだと、ただの駒だな」って思ったんですよね。大学内でうちらが台本を選んで上演することはないですし、演出家がやりたいって言ってて、その人がやりたいことの上で、ちょっとだけ自由を得られる、みたいなバランスだったんですよね、当時は。でもどっちにしても根本的には、台本に対して「これをやる」ってことの意味っていうのは持てないままやってましたね。

――必然性みたいな?

岩井 必然性は、全然感じなかったですね。本読むのが好きな人が、その文学性みたいなものを舞台上に並べるために、ちゃんといい声で台詞を言う、とかそういうことばっかりに集中させられるんで。
だから大学出てからもそんな調子だったんだけど、たまたま今はBunkamuraのプロデューサーをやってる金子紘子さんから、「暇だったら、手伝いでつかない?」みたいな感じで岩松了さんの舞台(『月光のつつしみ』竹中直人の会、2002年、本多劇場)に誘われて、「行きたい!」って。そのときは岩松さんのことを知らなかったんだけど、桃井かおりさんと竹中直人さんって名前がそこにあって、「それは観たい!!」と。で、ウハウハで行って。その時の衝撃が僕にとっては本当に大きかったです。もちろん桃井さんも竹中さんも俳優としての衝撃はすごかったんだけど、何より岩松さんの書いている台本っていうのが、それまで僕が読んできた台本のなかにはなかった言葉がいっぱい使われていて。全く書き言葉じゃなかったんですよね。台詞が。「え…?」とか「ちょっと…」っていう日常的な言葉がそこには書かれていて。そういった台詞に対する相手の台詞も「…」とか。さらにその返しも「…」みたいな。あとは、A、B、Cっていう登場人物がいて、AとBが会話してるときは、いままで大学とかで僕がやってた演劇では、AとBが話してる台詞の中に、作者がその演劇を通して一番伝えたいことがあったんだけど、岩松さんの場合はAとBがしゃべってるときに、ずっと黙って座っているCの状態のことを描きたかったりするわけですよ。それが、僕にはもうとにかく衝撃で。

――必然的にCに目が行くように、場所だったりとかライトだったりっていうのが演出されていたりするんですか?

岩井 それもないです。それに岩松さんっていうのは、稽古場でもそういう説明を一切しないんですよね。まったくしないです。ダメ出しをせずに、「はい、もう一回」、「もう一回」ってやって、5分くらいのシーンをマジで7時間くらいつづけたりするんですよ。繰り返し繰り返し。それは岩松さんとしては意図があって、「俳優は台詞に無駄な意図を持つな」と。もっと人間っていうのは、自分がしゃべってることに無自覚なはずだから、っていうことだと思うんですけど。その無自覚さとか、俳優が変に意図を持たないようにっていうので、そこの神経をすり減らせるみたいな演出の仕方をするんですね。僕は当時、「ちょっとそのやり方はちがうんじゃないかな」って思いながら見てたんですけど。演出家が俳優に「もっと台詞に無自覚なように言って」って言ったら、それはある程度可能なことだと思っていたし。「言ってることに無自覚」という状態が面白いということは全く異論はないし。なのでその演出方法にだけは異論を持ちながら見ていたんですけど、岩松さんが演劇によって描こうとしているものに関しては、本当に目からうろこだったんですよね。
やっぱり、「日常」っていうのをもう一度考える。例えば「あのとき、僕はすごく楽しくて、一方的に何かしゃべってたんだけど、それを黙って聞いてたあの人は、なんかそういえば自分が言ったあのひとことを聞いてから、急に静かになってしまったな。あのひとことって、その人にとってどういうことだったんだろう?」みたいなことを考えることが、めちゃくちゃ現実に効果があることだっていう風に思ったんですよね。それまで僕が大学で教えられてきた演劇では、舞台上でしゃべってない人たちには存在価値がなかったわけですよ。だけど岩松さんの舞台っていうのは、しゃべってない人にフォーカスが当たってるっていうときがままあるってなったら、それって僕にとっては現実を考えるときにはすごく意味があるっていうか。でっかい声の人のことばっか気にしているんじゃなくて、声なき人っていうのがどういうことを思っていて、なぜそこで声が出ないのかっていうことについて考える、とか。そのときに僕は雷に打たれたみたいになりました。「やっと意味のある演劇に出会えた!」って思って。
あとは日常会話を舞台上にあげるだけでも、すごく意味があると思ったんですよね。普段人っていろんな神経を使いながらしゃべっていて、言いたいことだけをしゃべれるひともいれば、言いたいことを言ってても、途中で相手の何かしらの態度によって言いたいことを変えてったりもするし、みたいな。そういう細かいところも僕はすごく面白くて。
あとテンションによって使う言葉が変わってっちゃうみたいな。最初はただの夫婦げんかとか恋人同士のけんかだったのが、どんどんテンションあがってったときに、「こんな戦争みたいなこと!」みたいに使われる単語が変わってくみたいなことも僕は面白かったし、それはでもいま考えると自分の家族のことだったんですよね。たぶん父親が興奮していくと、使う単語が変わってって。父の場合は「戦争」というより「尻の穴」とか、そういう方向の言葉選びになっていくんだけど。そういう、人間のなかで起きる、「しゃべってて興奮していくうちに、その過程で使われる言語がやがて独自の文学性になっていく」みたいな。ちゃんと日常からスタートして、階段をのぼって文学性に到達しているみたいなことが僕にはすごく面白くて。だからそれもやっぱり、それまでに自分が関わっていた演劇だと、最初から文学性ありきで話が始まっているから、もう人間のテンションじゃないところから始まる、みたいな。

ハイバイ旗揚げ時の交流

――それまでに、若い作家の人、ほかの劇団とかに誘われて観に行ったり、交流したりはあまりなかったですか。

岩井 大学出て1年目は一応ありましたね。一個二個、周りで劇団つくってたので観には行ってて。もちろん大学でやってたこととは全然ちがうんだけど、すごいポップで。

――きっと少なからず、新劇に疑問を抱いているっていう方が「じゃあ、こういうのやろう」みたいな感じでやったりとか。岩井さんの同年代の方って、けっこういるじゃないですか。

岩井 イキウメとか、蓬莱(竜太)くんとか。多田(淳之介)くんとか、三浦大輔くんとか。松井(周)くんとかいますね。まだそのときは知らないですね。

――いわゆる小演劇界隈を観に行こうっていうのもなかったですか?

岩井 ああ、なかったです。大学のときも、ぜんぜん外に演劇観に行ってないし。いまだにそうだけど、僕演劇観るのは別にそんなに好きじゃないんで。なんなんでしょうね。当時は何も観に行ったりしないまま「この世にやりたい演劇がない!」とか言ってたのも、なんなんだって話なんですけど。たぶんすげえ傲慢だったんじゃないですかね。

――どっちかですよね。すごく観に行く人と、どこかのタイミングからぱったり行かなくなる人と。

岩井 「ほかの人がどういう演劇をやってるか」っていうことを考える余裕もなかったような気がします。大学出たら俳優としてどうにかなるんだって漠然と思ってたんだけど、結局大学出たところで何にもならないんだっていうショックと謎の恨みみたいなのだけあって。
ただ、岩松さんの舞台に関わる前、大学出てからの一年間はたしか、地元に劇場つくって演劇してました。近所のビルの二階が空いてて、そこを借りて防音シートとか貼って、みんなで劇場みたいなのをやったりして。一応4人くらい作り手がいたんで、毎月変わりばんこで作品をつくってたんだけど、それも僕が相当迷ってる時期で。そこではじめて台本のようなものを書いたけど、ぜんぜんうまくいかなかったなと思って。

脚本の書き方

――脚本を書くのはパッと書けるものなんですか?

岩井 書けないです、書けないです。パッと書けた台本は、『ヒッキー・カンクーントルネード』くらいですね。それこそ岩松さんの稽古に参加している最中に、三日間くらいで書きました。大学ノートに手書きで書いてたのを、すごいよく覚えてます。最後のページできれいに終わったのとかも、よく覚えてますね。そのときは「どういうものを書こう」っていう意識もほぼなくて、ただしゃべり言葉の会話を書いてるだけでめちゃめちゃ楽しくて、僕は。

――どういう書き方だったんですか? プロットを書いてそれを伸ばしていくみたいな書き方なのか、頭からバーッと書いていくようなやり方なのか。

岩井 プロットは一応書いたんですけど、二行くらいですね。なんとなく頭の中に、どんな話かっていうのは漠然とあったけど。もちろん自分が引きこもってたときのことをモデルに、っていうのは一応あるけど、でもそんなポップな話じゃないし、ただとにかく「引きこもりだけどプロレスラーになりたいって思ってるやつが、結局外に出られない話」っていうのがたぶんプロットですね。本当に二行くらい。それで書き始めて、主人公の登美男と妹の綾のやり取りを書いてるうちに、その家に母親が帰ってきて。で、母親が帰ってきたら、引きこもりの登美男はたぶん部屋にこもるだろうな、と。で、母親はそれに悩んでるから、どっかに相談しにいくんだけど、その相談しに行った相手がまた変なやつで。みたいな風に、ただ繋がるまま書き進めてっちゃったらできちゃった、みたいな感じでしたね。

――ちょっと話が戻るんですけど、引きこもり時代とかに家の中にいて、もちろんテレビとかは見てるけど、いろいろ思ってるわけじゃないですか。お父さんが怒鳴り散らしたりとか、そういう日常があって。例えばそういうのを、まんがに描いてみたりとか、デスノートをつくったり、そういうことはしていましたか?

岩井 まんがは描いてますね。でも、2~3ページでやめてましたね。今でもたまに大掃除とかすると出てきますね。ノートに描いてあるやつとか。

――岩井さんが引きこもってた時期って、まだパソコンはなかった?

岩井 一応あったんじゃないですかね。だけど、ISDNとかの時代だから動画とかはダウンロードできなかったし、写真みるのに何分間もかかったりしてましたね。

――じゃあ外への通信手段っていうのはあまりなかったんですね。電話も家電ですか。携帯はありましたか。

岩井 携帯は、予備校行き始めたくらいから持ってたと思います。『ヒッキー・カンクーントルネード』を書きあげて、「あ、これやろう」っていって、それがだから2002年に書いて。2003年に吉祥寺の櫂スタジオって劇場を借りてやったのが、一番最初になりますね。

――そのときの出演者が、ハイバイを立ち上げるきっかけになっているんですか?

岩井 その頃はまだ劇団じゃないんですよね。僕がただひとりユニットとして「ハイバイ」って名前をつけて、チラシとか制作とか全部自分でやってて。大学の同期の金子岳憲とかと。後はチャン・リーメイは同じ大学の後輩だったんだけど、大学時代には話したこと一回もなくて。3期くらい下なんで、彼女の入試のときに僕は手伝いで試験官みたいなのをやってたんですよ。入試を受けにきた子たちはみんな和気あいあいと興奮しながらおしゃべりしてるんですけど、チャン・リーメイはをそこに加わらずに遠巻きで眺めながら、すご〜く悪い笑顔でいたんですよ。それを見て僕も「わざわざ演劇の大学まで来て、そんな感じ?」って思って。それがすごく印象に残ってて……なんででしょうね。「カンクーン」の台本自体は当て書きでもなんでもなく、黒木ってキャラクターを書いてから、「これ誰がやれるんだろう」って思って、突如チャン・リーメイを思い出して、「ちょっと会ってみようかな」って思って、会いに行って「出て欲しいです」って言ったら、喜んで出てくれて。そしたらそれがドンピシャだった。それからはずっと黒木役はチャン・リーメイにやってもらってますね。「カンクーン」の再演の時も、続編に当たる『ヒッキー・ソトニデテミターノ』の初演も再演も。

(つづく)

(文字起こし 碇雪恵さん)


目次
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センキュー
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WARE代表・作家・演出家・俳優・ハイバイのリーダー。 2019年3月29日第2回「いきなり本読み!」@浅草 東洋館 2019年4月15日〜5月6日 「ワレワレのモロモロ 東京編2」「ヒッキー・カンクーントルネード」公演。@すみだパークギャラリーSASAY