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【名著紹介】『人間の建設』について【其の二】

さて、シリーズ【其の一】においては、

本書との出会いについての個人的の振り返りと、


文系と理系を代表する「知の巨人」によって行われた対談の内容として、

「世界全体の知力の低下」

という問題が、

「真善美」

というテーマによって明らかにされたことを指摘しました。m(_ _)m


シリーズ続編である今回は、

「真善美」自体を支える土台となる問題について、

本書でも話題になっていた「国を象徴する酒」を嗜みながら、

春の夜更けにお届けして参ります。。。


『人の人たる所以』とは?


吉田松陰先生「士規七則」のはじめにこうあります。

一、凡そ生れて人たらば、宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし。蓋し人には五倫あり、而して君臣父子を最も大なりと為す。故に人の人たる所以は忠孝を本と為す。

吉田松陰「士規七則」より

人の禽獣に異なる所以」とは、「人の人たる所以」と同じことですね。


吉田松陰の結論としては、儒教道徳に基づいて「忠孝」と纏めました。


禽獣(鳥と動物)には、

目上や年長の人に対する敬いや、

君主に対する忠誠は持ちようがありませんよね。


では、岡潔と小林秀雄はどのように結論づけたのか。

いまの人類文化というものは、一口に言えば、内容は生存競争だと思います。生存競争が内容である間は、人類時代とはいえない、獣類時代である。しかも獣類時代のうちで最も生存競争の熾烈な時代だと思います。ここでみずからを滅ぼさずにすんだら、人類時代の第一ページが始まると思います。

『人間の建設』「人間と人生への無知」より

「人類時代」という言葉が出てきました。

「人類」が営んでいるのだから、そりゃ「人類時代」と呼べるだろ?

と思いきや、そうではないということです。


「生存競争」というと、

「弱肉強食」とも言われる現代の、

「資本主義」の「競争社会」の様相にすぐ思い当たりますね。


ここでは「みずからを滅ぼす」といって、人類の存亡を問題にしています。


さらに引用いたしましょう。

【岡潔】
たいていは滅んでしまうと思うのですけれども、もしできるならば、人間とはどういうものか、したがって文化とはどういうものであるべきかということから、もう一度考え直すのがよいだろう、そう思っています。それはおもしろく楽しいことだと思うのです。「考えるヒント」というのはそのひとつだと思います。人はそういうことを考えると、ほのぼのとおもしろくなるはずです。人に勝つためにやるというような考えは押えないと、そのおもしろさは出てこないですね。

同上 続き

「人間とはどういうものか」とは、

「人の人たる所以」を考えることに等しい。


そこと根本的に切り離せないのが「文化」というものであり、

それは他者との比較を前提にした「生存競争」とは元来無縁ものである。

私、自然科学はろくなことをしていないと思いますが、そのなかでごくわずかですが、人類の福祉に貢献したということのうちで、進化論、つまり人は単細胞から二十億年かかってここまで進化してきたのだということを教えているということは、その一つに数えられます。たいへん意義あることだと思うのです。このごろの人のやり方を見ておりますと、そういう崇高な人類史にたいする謙虚な心がありません。

同上 続き

生命の進化は、地球の誕生以来の歴史と同等に、

単細胞以来のあらゆる生物の「命のリレー」として捉えられます。


岡本太郎の「太陽の塔」の内部展示である「生命の樹」は、

それを直感的に認識させてくれる「装置」と呼べるものです。


「滅び」を免れてきた「奇跡」


続けて、話は岡潔の担当する理系における「理論物理」に及びます。

アインシュタインが相対性理論を出しましてから、それが理論物理の始まりですが、原子爆弾が実際に広島に落ちるまで二十五年しかかかっていない。すべて悪いことができあがるのがあまりに早すぎる。人類は単細胞から始まって、いまの辺りまできては自分で自分を滅ぼしてしまう。また新しく始めてはいつの日か自分で自分を滅ぼしてしまう。そういうことを繰り返し繰り返しやっているのじゃなかろうか。

同上 続き


昨日、アカデミー賞7部門受賞で話題の、

映画『オッペンハイマー』を観てきました!!


全米公開から日本公開まで相当の時間を要したのは、

被爆国である日本の特殊事情が当然絡んでいると考えられますが、


全人類共通の課題と向き合う上で、

「全日本国民に観てほしい」

と素直に思えるような作品だと感じました。


実際に、オッペンハイマーは「原爆の父」であると称される人物ですが、

「人類の破滅」を容易に想像してしまう立場でもあり、

ソ連との冷戦下における水爆の開発競争には明確に反対の姿勢を示しました。


映画のラストはアインシュタインも登場してかなり印象的なもので、

「よくぞ人類は破滅を免れたものだな」

と心の底から思えた程でした。


もちろん原爆や水爆という顕著な問題以外にも、課題は今も山積みです。。。


「破壊」ではなく「建設」を望む


岡潔はさらに「理論物理」の話題を続けます。

何しろいまの理論物理学のようなものが実在するということを信じさせる最大のものは、原子爆弾とか水素爆弾をつくれたということでしょうが、あれは破壊なんです。ところが、破壊というものは、いろいろな仮説それ自体がまったく正しくなくても、それに頼ってやったほうが幾分利益があればできるものです。もし建設が一つでもできるというなら認めてよいのですが、建設は何もしていない。しているのは破壊と機械的操作だけなんです。だから、いま考えられているような理論物理があると仮定させるものは破壊であって建設じゃない。破壊だったら、相似的な学説がなにかあればできるのです。建設をやってもらわなければ、論より証拠とは言えないのです。

『人間の建設』「破壊だけの自然科学」より

「破壊だけの自然科学」という章のタイトルがそのまま示す通りですね。


そしていよいよ『人間の建設』という書籍のタイトルの真意に迫るところ。


今回は「人の人たる所以」から話を始めましたが、

それに立脚した場合には「競争」と無縁の「建設」が行われ、

それを忘却し喪失した文明が生み出すのが「破壊」であり、

その最たる悲劇としての原爆や水爆の開発があるということでした。


久しぶりに書き出してみたものの、

『オッペンハイマー』の観賞後の余韻ととともに、

やはりこの対談の最終結論にまで迫りたくなる気持ちになっております。


今回はこの辺で終幕とさせていただきます。m(_ _)m

お読みいただき誠にありがとうございます!!(^○^)

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