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『ユニクロ潜入一年』&『この地獄を生きるのだ』

(born webマガジンに寄稿した記事と同一の内容です。)

以前、ブラック業界で働いていたことがある。

最もひどいときには1日の労働時間、という概念が無かった。24時間、仮眠と食事、トイレ以外はすべて仕事、という生活を送っていたのだ。
仕事場の床か移動中のタクシーの中で、ジャンパーにくるまって30分とか、1時間といった細切れの睡眠を取る。1日につき計3時間眠ることができればラッキーなほうだ。10日ほど風呂に入らず、服も着替えなかったら、体が生ごみのような匂いを放つようになった。
意識は常に朦朧としていて、人の話が頭に入ってこず、何度も同じことを聞き返す。上司に馬鹿扱いされて殴られた。作業の能率が低下し、普通の状態であれば楽々できていたことにもいちいち時間がかかる。ノルマが達成できなくなり、積み残した業務を翌日にやることになる。負債が日に日に、雪だるま式に増えていく。
体の疲労ももちろんだが、精神面の衰弱が甚だしく、視野が狭窄して誰かに相談をしようとか、助けを求めようとかいう発想すら浮かんでこない。
結局労務不能となり、社長に辞意を伝えて家に帰ったのだった。
地を這うようにしてマンションに戻り、汗や垢でどろどろの体を、埃まみれの布団に潜り込ませたときの気分を鮮明に覚えている。
解放と喪失。
あと、布団というのは人間が生み出した偉大な発明だと心底思った。

その当時は知らなかったのだが、「やりがい搾取」という言葉が後になって叫ばれるようになった。念のために書いておけば、以下のような状態を指す言葉だ。

「労働者が、金銭による報酬の代わりに“やりがい”という報酬を強く意識させられることで、賃金抑制が常態化したり、無償の長時間労働が奨励されたりする働きすぎの組織風土に取り込まれ、自覚のないまま労働を搾取されている状態」
( 日本の人事部 https://jinjibu.jp/keyword/detl/816/ )

当時の自分を振り返ってみると、相当の部分でこの、やりがい搾取に陥っているように思う。
「好きでやっている仕事だから」「困難を乗り越えたときに達成感を感じられるから」という意識のもと、残業代ゼロで家にも帰らず働き続けていたのである。

「働き方改革」に示されているように、日本人の仕事に対する意識は、変化を遂げようとしている。電通をはじめとする大企業が勤務体系を見直し、労働時間削減を打ち出すようになった。中小企業に仕事のしわ寄せがゆくなど、さまざまな懸念はあるものの、広告代理店など、やりがい搾取が大手を振ってまかり通っていた業界の会社にメスが入るなど、少し前には考えられなかったことだ。
やりがい、というのは昔であればポジティブに使われる言葉だった。しかし今はその負の側面が語られるようになった。仕事にやりがいを感じることは、基本的には良いことである。だが、それが時に誰かに悪用されてしまうこともある。
自分自身が無意識のうちに、やりがいの代償として健康や賃金やプライベートの時間を放棄してしまうこともある。
やりがいについてのポジティブな面、ネガティブな面をよく知っておくことが肝要だろう。

この、やりがいに関する問題を考えるにあたって、本を二冊ほど紹介したい。まずは、『ユニクロ潜入一年』(横田増生)。
著者はフリーのジャーナリストで、以前にもユニクロの労働環境に関する著作があった。その横田が、ジャーナリストという肩書を隠してユニクロのアルバイト店員として約1年働き、内部からのユニクロの実態に迫った本である。

この本はまず、単純にスパイものエンタメとして大いに楽しむことができる。週刊文春に潜入レポの第1回が掲載された直後まで横田はユニクロのアルバイトを続けていた。ユニクロ側に正体を見破られ、出勤してすぐに店長室に呼び出される、という局面までもが書かれていて、手に汗を握ってしまう。潜入にあたって、離婚をしてすぐ再婚し、妻の苗字を名乗ることによって、合法的に苗字を変えたという念の入りようで、ジャーナリスト魂に頭が下がる。

本書を読んで分かるのは、ユニクロが時代錯誤とも思えるブラックな経営体質を持ち続けていて、やりがい搾取もまた依然として行われている、ということだ。横田が潜入を行っていた当時の新宿のビックロは、アルバイトの時給は1,000円で、交通費も支給されず、多忙な業務に見合った報酬を支払っているとは言い難い。
総店長を務める人物は、社員、アルバイトを集めた朝礼でこう語る。

「(前略)正直言って、ビックロは、世界で一番(仕事が)しんどい店です。スタッフは心のなかではアルバイトの皆さんに感謝しているんです。
だからこそ、売り上げを取って、黒字にしなければいけないんです。
そうすれば、みんなも満足感や達成感を味わえる。
結果次第で、努力が報われたという喜びや、自分が成長したという達成感を手にできるのですから」(横田 2017)

努力、成長、達成感…。百歩譲って擁護するなら、ユニクロに限らず日本企業の多くがいまだにこういう思考を温存しているのだが、それにしても、やりがいを押し付けてくる典型的な物言いに呆れてしまう。

つづいては、『この地獄を生きるのだ』(小林エリコ)という本。
著者の小林は、短大を卒業したのちにエロ漫画雑誌の編集者となったが、劣悪な環境に精神を病み、自殺を図る。かろうじて一命をとりとめた小林が、精神科への通院や、生活保護の受給、そしてNPOで漫画編集の仕事に携わるまでの顛末を、文章と自作の漫画で綴ったのが本書だ。

この本の中には、やりがいに関する功罪の両面が描かれている。過酷なエロ漫画の世界で月収わずか12万円で働く編集者となった小林は、人気の出ない作家が容赦なく切られてゆく現場に直面する。
小林は自身の担当する打ち切りの決まった作家に肩入れし、せめて最終回だけでも読者アンケート1位を取らせてやりたいと身を粉にして働く。しかし、どんなに働こうが給料は12万円である。
このような状況下で、心が削られてゆく。
自殺未遂に至った小林はさらに、メンタルクリニックにおいてもやりがい搾取に遭ってしまう。就労支援の名目でタダ働き同然の仕事をさせられたり、製薬会社の講演会に出席させられたりと、気の毒なエピソードが満載である。
しかし、小林を再生させるのもまた、仕事でのやりがいなのだ。その境界は紙一重であるが、人を殺しかけたものは、正しいやり方で与えられれば人をよみがえらせる力ともなる。
NPOで働きはじめ、制作を担当していた漫画が完成したときのことを綴った一文に、私は心を打たれた。

「それから数日後、本が刷り上がった。私は急いで包みを開けて、できあがったばかりの本を手に取った。私たちが作った単行本はツルツルした表紙で、キラキラしていた。
ああ、この感じはあのときと同じだ。編集プロダクションに入り、自分が編集した漫画雑誌を手に取ったあのとき。
私は編集の仕事で人生をダメにしたけれど、また編集の仕事で復活することができた。人生は不思議だ。」(小林 2017)

参考:『ユニクロ潜入一年』2017 文藝春秋 横田増生
『この地獄を生きるのだ』2017 イースト・プレス 小林エリコ

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