部屋

【掌編小説】部屋

帰省した当日は、ゆっくりとこたつのなかですごし、あくる朝、わたしは、兄の部屋へとむかった。古生物学を専攻していた兄とは、十も歳がはなれていた。彼は遠い外国の海で消息を絶った。わたしはまだ小学生だったけど、今ではもう、行方知れずになったときの兄と同い年。

ずいぶん長いあいだ、廊下のつきあたりにある、兄の部屋にちかづく者はいない。父も母も、部屋の時間をこれからもずっと止めておくつもりなのだろう。私だってそうだ。卒論のためにどうしても必要な本を、ずっと以前に、兄の本棚で見たような気がする…。そんなことに思い当たらなければ、わたしだって、この先もずっと、近寄らなかったことだろう。

ほんとうに久しぶりに、部屋のドアをあけたら、ざざあ、ざざあと、潮のさす音がした。気づけば、わたしは濃紺の海の中にいた。口から小さな泡がこぼれだし、頭上の、かすかにゆらめく光をめざしてのぼってゆく。目のまえには、カンブリア紀の無脊椎動物が退屈そうに泳いでいる。その生き物のことをわたしはよく知っている。論文を書いているのだ。でも、そのときは、なぜか名前を忘れてしまっていて、なんと呼んでいいのか分からなかった。手をのばすと、五つの目がいっせいにわたしの瞳のなかを覗き込む。じっとみていたら、

おかえり

と言われたような気がした。

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