見出し画像

おとなになれば

 紫陽花が咲いていた。そうか、もう5月が終わる。

 4月から大学も始まり、去年とはまた違う忙しさの中で、バイトと大学、あとは自動車学校に通っている。自分ができることを増やすための準備期間は、時にしんどくなる。

 神保町の乗り換えをしていたとき。疲れ切ったスーツ姿の大人の中で、ふと思う。「もしかして私は、今が一番楽しい時期なのかもしれない」なんて。

   ・ ・ ・

 上京して、今年で4年目だ。大学へ行く通学路にも慣れてしまった。最初は難しかった都会の乗り換えも、コツを覚えてしまえばいろんな駅で迷わなくなった。JR以外の路線がたくさんあることも、踏切で渋滞が起きることも、こっちに来てから知ったことだ。

 修学旅行生を見かけて、私もあっち側だったなぁ、なんて懐かしむ。「都会に来た」と言わんばかりの4、5人の制服姿をみると、私もこんな風に歩いていたんだろうか、と思う。

 今の私はもう都会側の人間として見えているのかもしれない。中身はまだまだ都会の忙しさに慣れきってはいない。けれど、スタスタと駅の中を歩いている私を客観的に見れば、もう私はこちら側なんだろう。

 「おとなになれば」と思っていたことが、今目の前に広がっている。子どもとおとなの境目はなかった。子どものままで、おとなになった。私自身が、誰かから「おとな」として見られるようになってしまった。

 稼いだお金で旅行に行くし、多少高い外食ランチだってしてしまう。毎日同じ人に会うことはなく、誰かと出会っては別れていく。

 もうおとなになった私は、いろんなことを選べて、たくさんのことをできる。
 それをしない権利も持っている。けれど、私は大学に通い続けることを選んだし、バイトを辞めずに週3日に減らして働くことを決めたし、後回しにしていた自動車学校にも通っている。

 コロナ禍で大学生になり、いわゆる普通の大学生活とは違う日々を送った。また頑張りすぎで大学を休学した。それでも、コロナ禍だから地元に残って、すぐ上京したらやっていなかったであろうバイトをして、休学をしたから昔から憧れていた仕事にも挑戦して、今も続けられている。

 選べなかったことと、選べたことで私はできている。それを知っていることが自分の強さになってもいる。しんどいときもあるけれど、私は、きっと大丈夫。これまでもずっと選んできたから。

   ・ ・ ・

 忙しなく動いていたら、いつの間にか5月が終わろうとしていて、「クーラーのフィルター掃除もしとかないとな」と思うようになった。そうやって、忙しいときは見逃してしまうようなことを、ちゃんと拾うようになった。自分の暮らしやすさのために。

 自分の生きやすいように生きていい。そのための選択をする。大人なんてと思っていた私が、おとなになった。多少は「この人はマシかもしれない」と思ってもらえるような人間になれるのかな。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?