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地域社会における公共劇場のあり方 ― 岐阜県可児市文化創造センター研修合宿に参加して

2019年10月15日

地域社会における公共劇場のあり方としてのひとつの模範を、岐阜県可児市にある可児市文化創造センター(ala)に見た。研修を機に訪れ、滞在したことで感じられた多くのことがあった。

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誰ひとり孤立させない市民の居場所


alaが提携を結んでいる英国のドラマスクール Academy of Live & Recorded Artsの修士課程演出コース長および修士学生3名が来日するにあたって、日本の演出家2名と俳優5名が公募で選ばれ、共同で研修に取り組む2泊3日のシアターキャンプに参加したことで、今回の訪問の機会が生まれた。

英国においては、地域課題に取り組むことが芸術家に求められ、それを「コミュニティアーツワーカー」と呼ぶという。この言葉に強い関心をもって参加したいと思い、応募した。

参加にさしあたって、主催するalaがどのようなところなのか、館長の衛紀生さんがどのような方なのかを調べた。
経営的な観点をもって公共劇場を運営していること、数値的な効果では実証しづらい「市民に対する劇場の活動の影響」を測定してアピールしていることなどが、調べたなかでも印象的だった。ほかの公共劇場ではおろか、演劇全般においてそうした点が意識されていることはめずらしい。

また、衛館長が公式サイト上の記事に書かれていた言葉、

「僕はね、家族の枠を超えた、市民のみなさんの“人間の家”を作りたかったんですよ。誰ひとり孤立させない市民の居場所としてね。」

という言葉はとくに胸に残った。

同じようなことを考え、すでに実践している方がいることを知って、驚いたからだ。居場所としての劇場、ということをここ最近ずっと考えていた。

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「地域」に生きるすべてのものが集うことのできる「場」


「開けた場」として存在する劇場
が、東京にはあまりにも少ない。ほとんどすべての劇場は、演劇を観に集うものたちのためにのみ存在しており、目的が限定されている。
もちろんライブハウスは音楽を聴きに集うものたちのために存在し、レストランは食事をするために存在している。その場が、目的に適う場かどうかという視点でしかみられていないことは、ごく普通のことだといえる。

しかし、劇場はより可能性をもった場として機能しうる場だ。
最も古い劇場として参照できる古代ギリシャにおいても、劇場とは「開けた場」としてあった。そこは、演劇を観に集うという目的にとどまらない。市民の交流の場であり、対話によって価値観をまじえる場であり、ポリスの政治さえも動く場であった。日本においてもまた、江戸時代における歌舞伎小屋は広い身分の者が集う場であったと聞く。

時代も場所も変われど、劇場は「公共性」について考える上で外すことができない。なぜなら人はひとりでは生きられず、コミュニティを形成するものであり、家庭や職場、学校のみならず、誰しもがどこかの「地域」の中に住んでいるものだから。

劇場とは、「地域」に生きるすべてのものが集うことのできる「場」だから。(現在はそうした形で機能できていない、というだけで)

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人びとの「居場所」となる場づくり


それでは、どうすれば劇場の「場」としてのポテンシャルが引き出せるか。

alaは、社会課題や地域課題に取り組むことによって、公共性ある場の役割を担っている。
パンフレットを開けば、大カテゴリーとして、子ども・子育て・障がい・家族・若者・劇場・高齢者・地域・多文化があり、そこから社会包摂や文化政策、認知症、貧困、犯罪抑止などのさまざまなプログラムを発信している。

これらのプログラムを見て思うことは、試みとしては「よく目にする」もので決して珍しくない。

重要なことは、alaが「コンテンツ」を売りにしてはおらず、課題を抱える当事者に対して、その課題に手の届く「コンテキスト」を作ることで人びとが集い、劇場が「居場所」として機能し始めたということにある。
実際、公演やイベントがある日でもない日でも、劇場内をぶらぶらと歩いていたり、勉強したり談笑したりしている市民の姿を研修中に多くみかけた。東京では、公演がない日には劇場内に入ることすらできない公共劇場がたくさんあるというのに。

alaには人びとが「いる」ことができ、市民がそのとおり活用して、何もなくてもそこに「いる」。どのようにして、劇場に足を運ぶ習慣のない市民にアプローチしてきたのかを職員の方に聞いたところ、

「行政側である公共劇場が当事者に直接声をかけたところで、人は来てはくれない。各々の社会課題に普段から専門として関わっている施設や団体に依頼し、中間的なステークホルダーを立てることで徐々に実現していった」

という。地域に根ざす「公共劇場」だからこそ、地域の組織と信頼を持って関係性が築ける。こういう動き方こそ、必要な仕事だと考えさせられた。
そこから、やがて政策立案をして行政を動かすことに繋がっていく。

衛館長は経済学的に提唱されていること、具体的には、地域やマイノリティに向けた社会保障費を費やすことで、結果的に将来における経済の発展が見込めることを示す。
たとえば高校中退者を減らすことで、結果的に将来的な社会保障費が減少し、また本人の収入が増えること。未就学児の非認知能力を向上させることで、貧困や教育格差が減少すること。
そうした提言を公共劇場として実践し、数値的なエビデンスを出している。

「公共性」を伴う社会的役割を認識することで、公共劇場が担う「場」としての有用性を最大限に活かし、地域社会に還元する。

alaで行われている人びとの「居場所」となる場づくりが、各地の公共劇場でも行われていけば、そこに生きる市民たちのあたらしいコミュニティが生まれていくだろう。

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「地域」と「場」と「人びと」がどのように結びついて関係しあっていくことができるか、alaで実践的な模範を見たことで学んだ。
その学びは、必ずしも「公共劇場」や「公共性」に限らずとも、今後の自身の活動方針を考えていくにあたって、得るところの多い時間となった。

学ぶ場の少ない演出家にも参加の機会を作っていただき、滞在中の準備を整えてくださった劇場職員の方々に感謝しています。

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