【解説】竹田青嗣『欲望論』(15)〜「身体」の本質観取②
1.「存在可能」と「能う」 続いて、身体の本質の第2契機である「存在可能」と、第3契機である「能う」について。
「存在可能」とは、私たちは自らのさまざまな可能性を、「身体」を通して開いていくことができるということだ。
そして「能う」とは、このさまざまな可能性を、私たちは「身体」を通して「能う」(できた)と感じることができるということだ。
たとえば、お腹が空く。そこで身体は、「食べる」ことによって、「空腹を満たす」という新たな可能性を開くことができる。その結果、私は