両親共宗教信者一族だったのに私が信者にならなかった理由
こんにちは、いつきです。
初めての方に説明しておきますと、このnoteは両親がガチ新興宗教信者無職で、
極貧だったため大家族一家で地域の神社の奥(風呂なし)に住まい、
兄が知的障害者だったり自分が難病になったりしたオタクの人生を綴る、
重めかつユニーク仕上げのnoteになっているかと思いますので、
もしご興味がありましたらお読みください。
冒頭にも説明しました通り、
いつきの両親はともに一族で「貧乏になれ」という教えの某宗教のガッチガチの信者一族で、
後から思えばお出かけ=宗教行事、
でした。
しかし無職両親は子どもをどこかに遊びに連れて行ってくれるということがほぼなかったため、
いつき兄弟はそれでも「お出かけだー!」とアホ丸出しで嬉しく出かけていたものでした。
しかし子どもが宗教行事に参加しても微塵も楽しいはずがないので、
連れて来られた子ども同士で友達になってみたり、
その建物(宗教施設)内を子ども同士で探検してみたり、
教会の会長宅だけはやたら豪華なことを発見したりしていました。
(※貧乏になれという教えの宗教です)
(※だがしかし会長はベンツに乗っていました)
思えばそのあたりからいつきは気付きはじめていたのです。
「なんか、おかしくね?」
ということに。
その宗教はとにかく「貧乏になれ。人を救え。」
という教義で、団体は
「働いている暇があるなら人を救え!そして救った人を宗教に勧誘しろ!」
というわかりやすいマインドを持っていました。
しかし一方で「教会にお布施もしろ!」
という、
貧乏になれと言っておきながら金も寄越せという、
とんでもない矛盾を抱えた団体だったため、
大体の信者はアルバイトや何かをしながらお布施もしていました。
わかりやすく説明すると、そうして集めた金で団体の上の方の人はウハウハな生活ができるという信者搾取システムです。
そら信者も増やしたいですわな〜〜!と思います。
ちなみに今その宗教で日本で一番偉い人は虎飼ってるって噂を聞いたことがあります。
日本で飼えるの?虎。
まあ末端の教会の会長がベンツ乗ってるくらいだから日本で一番偉い人なら虎くらい飼っててもなんら不思議ではない感はあります。
そうして信者から集めた金で、団体は選ばれし優秀な信者のみを、社会でいうところの正社員的な扱いにし、給料的なものを渡し、
更に宗教を広めていくための活動をさせたりしていました。
私は中学校時代に難病を発病しながらも、あまりに極貧生活が嫌すぎて、
「金が欲しい金が欲しい金が欲しい金だ金だ金だー!!!!!」
と思っていたので高校に入ってから割とすぐにアルバイトを始めたのですが、
親からその一割を「教会にお布施しろ」と言って寄越せと言われるのです。
高校生にとって、アルバイト代の一割はでかい。
いや、大人にとっても月収の一割をお布施しろって言われたらきつくないですか?
私にはきつかったんですが、嫌だと言うと、
「誰のおかげでアルバイトできてると思ってるんだ!神様のおかげだろ?!嫌ならアルバイトなんて辞めろ!!!!!!!!」
というめちゃくちゃな理論を平気で怒鳴りつけて強要してくるクレイジー両親だったため、
いつきは毎月仕方なく無の心で一割を提供していました。
そしてその頃から親戚一家を見渡して思い始めていたのです。
「なんでこいつらみんなまともに働いてないんだろう?」
と。
宗教の教えなのはわかる。
まあわかるけど、
その教えのせいでいつきは風呂なし神社の奥に住まい、
アトピーがひどかったのにろくに風呂にも入れず、当然いじめられ、
誕生日もクリスマスもお年玉もない我慢のみの一年を過ごし、
ただただ毎日図書館で借りた本を読書をする以外何もない友達もいないつらさ溢れる生活をしており、
「宗教って一体何なの???」
と常々考えていたら更に難病にもかかり、
「こんな辛い思いをしてきてここで更に難病発症とか神様とか絶対いなくない!??!?!」
と思っていたところで自分がアルバイトながらも仕事を始めると、
周りの大人たちの「溢れる無職感」が物凄く目につくようになり、
「勤労は国民の三大義務だぞ!!!!義務を果たせよ!!!!!!!!」
という思いも加わり、
両親含む周囲の大人たちへの思いはじわじわと、けれどしっかりと、嫌悪感に変わっていきました。
それなのに私の病気が悪化して入院でもしようものなら、
親戚が鬼の首でも取ったかのようにやってきて、
「お前の病気がよくならないのは信心が足りないせいだ!!!」
とかと言ってきて、
頼んでもいないのに宗教式ホイミの儀式をしていくのです。
(なんか呪文的なのを本当に唱えます)
(私は周りの病室の人に呪文を聞かれるのが嫌でたまりませんでした)
私はいつも、
「無職に言われてもな」
「ホイミはいいから働けよ」
と思っていました。
大人たちはいつも、悪いことがあれば「信心が足りないせいだ」と私に言ってきて、
私によいことがあれば、「神様のおかげだ!!」と言いました。
いつもそこに自分の努力や行動や意志が存在せず、
信心が足りないせいで悪いことが起こったか、
神様のおかげでよいことが起こった、
というだけで物事を見ていました。
そのため、努力も、自分の行動を省みるなども一切しない親でした。
私は幼い頃からの両親が無職のせいでのあれこれで、
「周りの人を救うより先に自分の子どもを救ってくれや」と思っていたのと、
シンプルに「こんな大人にはなりたくない」と思ったので、
ガッチガチの宗教エリート環境に育ちながらも、
立派なアンチ宗教民となりました。
ちなみに宗教全てを否定しているわけではないですし、
日本の「万物に神が宿る」的な考え方はむしろ好きです。
ただ、私はそもそも「きちんと働いていない」ということが嫌だし、
私の努力の結果よいことがあれば神様のおかげではなく私が頑張った成果、助けてくれた周囲の人のおかげだと思いたいし、
自分のしたことで失敗があれば自分で自分の行動の反省をしたいだけです。
自分の行動を置き去りにしていつも全てを何かのせいにするような人間にはなりたくなかったので、
私は親や周囲の大人のように信仰をする気には全くなれませんでした。
と、いうのが私がエリート環境に育ちながらも信者にはならなかった理由です。
至って、普通の普通にまともな人間でありたかっただけということになります。
しかし、全く普通が存在しないいつき家でいつきが普通の人間になるには難しいものがありました。
いつきは一体どうなってゆくのか。
よろしければ次回もお付き合いください!!!
< 告 知 >
11/25(日)文学フリマ@東京
に出ます!!!!
はるか遠い北の地から参戦します。
いくつか本を持参する予定ですので、
よければ遊びにきてください!!!!!!!
いつきに!
会いにきてください!!!!!!!!!!
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