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手のかかる猫と手のかかる兄/おりん

 手のかかる猫と手のかかる兄


 私には二匹のとてつもなく尊い同居人ならぬ同居猫がいた。十三才で亡くなったロシアンブルーの女の子と、今年十三才のアビシニアンの女の子で(この子は今も一緒に暮らしている)、二匹とも本当に整った顔をした美人猫であった。親バカで申し訳ないが、本当に絶世の美人であった。
 この二匹がまあ真逆な性格の二匹で、私はこの二匹に相当癒してもらってきた。
 ロシアンブルーの『アナ』は賢くてプライドが高くて、気も強いけど繊細。
 アビシニアンの『ティティ』はアホの子で全くプライドがなくて、気弱で鈍感。
 二匹とも目に入れても痛くないほど可愛いどころか積極的に目に入れていきたいくらい可愛いのだが、『手がかかる子ほど可愛い』とはよく言ったもので、どちらかと言うと、アナの方が可愛かった。なぜならば、めちゃくちゃ手がかかるからである。ご飯は気に入ったものでないと絶対食べないし、水もほとんど飲まないし、ストレスがかかるとすぐにハゲる。
 アナはうちに来てすぐの頃から病院の常連で、何かと病院に通う子だった。うちに来て一週間で全く動かなくなり、病院に連れて行ったら
「重大な病気かもしれない、死ぬかもしれないのですぐ入院させてください」
 と言われ入院したが、翌日
「家が楽しくて遊びすぎただけですね」
 と言われたのをよく覚えている。
 アナは六歳の時に腎不全になり、それからはずっと腎不全の治療も行っていた。昨年の冬にアナが激痩せし、死にそうになった時から、毎日朝晩薬を飲ませ、ご飯を食べさせ、自宅で点滴をし、利尿作用のあるタンポポ茶をシリンジで一日何回もあげて、背中をトントンしてゲップを出させて・・・ということをしていたのだが、まあ手がかかった。赤ちゃんのお世話をしているみたいだと思っていた。でも不思議なものでこの一連のお世話が面倒だとは全く思わず、むしろ尊い時間だとすら思っていた。これで少しでも長生きしてくれるならいくらでも喜んでお世話する、と思っていた。
 ティティはそんなアナとは対照的に、避妊手術以外で病院にかかったことがなかった。とにかくひたすら健康優良猫なのだ。ごはんは何でも食べるし水もたくさん飲むし、ストレスがかかるようなことがあってもモリモリ食べている。人間にせよ猫にせよアホの子、というのはとても生きやすそうである。  
 どちらもそれぞれの可愛さがあるのだが、ティティは手がかからなさすぎて、あまり思い出がない。アナはまあ手がかかったので色々な思い出がある。そんな思い出の差もアナの方が可愛いと思う一因になっていると思う。
ある時アナの世話をしている時に、私はふと自分の親に思いを馳せた。いつか障害のある兄のことを
「手がかかる子ほど可愛いって言うのよ」
と言っていたのを思い出したのだ。
 そうか、親はいつもこんな気持ちだったのかもしれない、と思った。だとしたら親にとって兄は相当可愛い存在なのだろうとも思った。
「お父さんお母さんが死んだらお兄ちゃんの世話を頼むな」
 という言葉が脳を過ぎった。親はひたすら手がかかる可愛い息子が、自分達が死んだ後どうなるかを心底心配していたのだろう。
 兄の介護のために私たちを産んだのはあまりに身勝手だとは思うが、それでも障害のある兄を筆頭に貧乏ながら五人を育て上げる苦労は想像を絶するものがあったと思う。私はアナのお世話を通じて親の気持ちに思いを馳せるようになった。
  アナは結局昨年の夏亡くなって、私はこれでもかというほど泣いて、この人生で一番の悲しみを味わった。一緒に暮らしている動物が、家族が死ぬというのは、とんでもない悲しみと喪失感で、私は一年経ったのにいまだに家の中にアナの影を見てしまう。
 猫が死んでこんなに悲しいのだから、あんな親であっても親が死んだらどうなってしまうのだろうと思い、それから親孝行をしなくてはな、と思うようになった。
 
 

おりん


 おりんとはボランティアの飲み会で出会った。おりんは私の数少ない、心から信頼している友達である。おりんはクールだけどとても優しい。
 おりんは出会った頃からとても私にフラットであった。私の生い立ちを話しても、特に同情したり可哀想がることもなく、
「ふみちゃんのツイてなさは前世五人は殺してるね」
 と言うような人だった。大抵の人は私の生い立ちを聞くと反応に困り言葉を失ってしまうものだった。
 おりんは、
「親に感謝しない奴はクソだと思ってたけど、ふみちゃんみたいな例もあるんだね」
 とも言ってくれた。
 おりんはネイルの練習にも物凄く協力してくれ、おかげで私はネイルの試験に合格できたと言っても過言ではない。
 おりんは、いつも自分の話をするというよりは私の話をよく聞いてくれた。よく話を聞いてくれるので私はいつもついつい話し過ぎてしまった。どんな話をしてもおりんはいつもフラットだった。いつでも私の味方をしてくれるというわけではなく、私が悪い時は私が悪いと言ってくれる人だった。私はそこも含めておりんが好きだった。
 おりんとは議論もできた。たとえば死刑制度についてどう思うか、とか。あまり女友達としないような話なので、私はそこも含めておりんを貴重な存在だと思っている。
 おりんは猫が苦手である。食われる、と思うらしい。猫を飼っている私からすると、んなアホな、と思うが、本人は至って本気で怖いのだ。
 そんなおりんなのに、私が入院することになり、猫の世話に困った時、住み込みで猫のお世話をお願いしたらおりんは快く了承してくれた。多分私の感覚からすると『ライオンの檻に住み込んで世話をしてほしい』、とお願いされているような感覚だと思うのだが、それを了承してくれる心の広さよ。私には真似できない。私は絶対ライオンとは暮らせない。
 私が最高にメンタルを病んで死にそうになっていた時、私はSNSの『本人の死後投稿を更新できる人』をおりんに設定したことがあった。今考えてみてもだいぶ病みすぎていてウケる。その時私は拒食モードに入っていて何も食べられなかったのだが、おりんが『ちょっと会おうよ』と言って私を連れ出してくれた。ひたすらおりんに話を聞いてもらいながら飲んだココアが温かくて、とても美味しかったのを覚えている。
 結局おりんのおかげもあって私は死なずに済み今日に至っている。おりんは心と命の恩人である。私は自分の生い立ちや何かを呪うことがあっても、おりんのおかげで『何せ前世五人殺してるからな~』と前世のせいにできて気が楽である。
 

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