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父の就職/欠陥テラスハウス/ホステスバイト

父、就職する


  話は前後するが、兄弟の五人目が小学校に入った辺りで、父がいい加減ヤバいと思ったのか、さすがにバイトだけで生活するには限界だったのか、葬儀屋に就職した。私はほぼ見た目ヤクザの宗教バカの父がやっとまともに働きに出てくれたことが単純に嬉しかった。ずっとバイトしかしてないおじさんが働ける会社なんてロクなもんではなくとんでもなくブラックだったのだが、そこは割愛する。五人も子どもがいたらブラックであろうと頑張って欲しいから。
 そして何を思ったのか、家賃無料の神社から、高級住宅街のテラスハウスに引っ越すことになった。どう考えても無理している家賃だったが、それまで無職だった者は金銭感覚がぶっ壊れているのかもしれなかった。
 引っ越しは私が修学旅行に出ている間に行われたので、私は修学旅行に出る時は神社から出て、帰宅するのはテラスハウスだった。私は家が神社じゃなくなったこと、棲み家が家としてまともになったこと、家にお風呂があること、おじさんが勝手に入ってこない自分の部屋ができたことがとてつもなく嬉しかった。
 余談だが父は子ども『で』遊ぶのが大好きだったので、神社時代に幼い子どもを真っ暗な神殿に連れて行き、一人だけにして放置して子どもが泣き叫ぶのを楽しんだり、子どもの歯を抜くのも大好きで、グラグラしている歯がないかをチェックする時間があったり、子どもの手が化膿した時にはライターで炙った針を刺して膿を出したり、何かと子どもを恐怖のどん底へ落とし入れた。多分だけど父はドSだったんだと思う。そんなドS父が無職から有職になったことは、多分プライド的に相当大きかった出来事だと思う。多分。

欠陥テラスハウス

  神社からテラスハウスに抜け出した私の一家であったが、そのテラスハウスがとんでもない欠陥住宅だった。
 三階建てのテラスハウスで、家の北側が階段になっていて、階段の壁のところはガラス張りになっていて、外から丸見えだった。丸見え事変は家の内側からフィルムを貼って何とかしたが、冬にとんでもない結露が起きて、階段部は軽く滝になっていた。
結露が起きるのはその階段のガラス張りのところだけでなく、家中の壁という壁が結露し、部屋の中の至る所がカビまくって、常に家の中はカビ臭かった。何がどうなったのか、最終的には家の中の壁が崩れてきていた。親は崩れた壁にカーテンをして隠していて、なんという無駄な抵抗かと思った。でもそんな家でも、やっぱり風呂無し神社よりは遥かにマシだった。
 そんな欠陥テラスハウスは四軒が住める物件だったのだが、欠陥住宅すぎて、うち以外は『取り壊すので出て行ってください』と言われたとのことで引っ越していった。それを宣告されたのは、うちも例外ではなかった。しかし、強面の、見た目ヤクザの父が『あ?』と対応したことにより、うちだけは出て行かずに済んだ。
 しかし、四軒住めるテラスハウスに一軒しか住んでいないという、大家さん泣かせな生活を十年近く続けて、大家がいい加減収益が悪すぎるということになったのか、父にビビったと思われる丁寧な書面で『出て行ってください』と宣告され、実家は引っ越すことになった。引っ越した親は今も家賃的に無理のある一軒家に住んでいる。


スーパーのレジ係からホステスまで

  貧乏だったので私は高校一年生からスーパーのレジのバイトを始めた。高校は病気のことがあるので昼間の定時制の高校へ行ったので、午後はまるごと空いていたのでバイトに充てた。私はブスの呪縛もあり服が好きだったので主にケータイ代と服につぎ込んでいた。バイト代の一割はお供えをしていたけど。
 昼間の定時制に通っていた高校は大検を取って三年で卒業し、二部だったが大学には推薦で入った。私は学費を稼ぐため、昼間はコールセンター、学校の後はホステスバイトをしていた。難病持ちの割にはめちゃくちゃ働いていたし、大学の友達の誰よりも稼いでいた。
 ちなみにホステスをしていた、というだけでめちゃくちゃ下に見てくる人間がいるが、私はそんな人のことを浅はかだな〜と思っている。目標のために時給の高いバイトをすることの何が悪いのか私にはわからない。親に学費を出してもらってろくに勉強しない学生時代を過ごすより、自分で学費を稼ぎながら大学を卒業した私の方がよほど立派なのでは?と思っている。
 ちなみにホステスは楽な仕事と思われがちだが、ホステス同士はめちゃくちゃ縦社会だし、客がホステスに求めているものも多種多様だし、お酒を断るのも難しいし、セクハラもされるし、トークや気遣いなどの瞬発力も求められるし、カラオケも強制されるし、案外肉体労働である。高い時給も私は頷ける。
 私が働いていたのは、最初はとにかく元気なお店で、ホステスの女の子が焼酎の瓶ごと一気飲みさせられ、お見送りのエレベーター前でぶっ倒れているのを見て『あ、辞めよう』と思った。次に働いたのは漫画かと思うくらい美しくなく三段腹の性格の悪いお姉さんがナンバーワンのお店で、出勤時におはようございます、と挨拶する他に、きちんと三段腹の前まで行き挨拶しなければいけない暗黙のルールがあった。私は挨拶など一度すれば充分だと思っていたのでわざわざ三段腹に挨拶をしなかったのだが、次第に三段腹に挨拶をしない『ふみ派』が出来上がり、それが原因で待機席で「アイツ私に挨拶しないんだけど〜」と三段腹に言われたり、お客さんについた席で無視されるなどのいじめに遭うようになり、『あ、辞めよう』と思った。
 次に働くところはホステスのお姉さんも客層もいいところがいい、と思い、求人誌をひたすら読み込んで選んだところへ行った。そこはラウンジという種類のお店で、お店に来る人は割と年配の偉い人ばかりで比較的落ち着いていて、ホステスさん同士の諍いもなく、ママがお酒を飲めないのでお酒を飲まなくてもよく、平和に働けるお店だった。お酒好きなお姉さん以外はお茶割りを飲んでいるふりをしてみんなただのお茶を飲んでいた。私はそこにしばらくお世話になった。
 私はお店で一番若いのに全く指名を全然取れないホステスだったが、多分変人具合をママに気に入られ可愛がられていたので積極的に指名を取るよう言われることはなかった。勿論本来ホステスは指名を取ってなんぼである。私を気に入ってくれる人は、お店に通ってくれるというよりは『愛人にならないか』と本気で言ってくるようなガチ勢ばかりだったので全く指名に繋がらなかった。お金のあるおじさんは若い女がとにかく大好きだし、お金でなんとかなると思っているようだった。
 ホステスの仕事は常に卓の上やお客さんの様子に気を張り、タバコに火を点けたり灰皿を変えたりお酒を作るということのベース業務の他に、『何を求められているか』を瞬時に察して提供する仕事だった。チヤホヤしてほしいのか、愛人候補を探しているのか、仕事仲間同士で来ているが別にそんなに仲良いわけじゃない間柄の空気を取り持ってほしいのか、カラオケでひたすら盛り上げてほしいのか。
 お客さんの卓に座っている間はメイク、服、髪型に気を遣い、背筋を伸ばして『いかにもなイイ女』を演じるというちょっとした女優業でもあった。更に気の利いた一言が言えるようだともっといい。たとえば、
「ふみの一曲聴いたら帰るぞ」
と言っているお客さんに、
「え〜帰っちゃうなら歌わな〜い♡」
 と瞬時に言えるスキルみたいなものだ。夜の女はあざといくらいでちょうどいい。
 ちなみにおじさんばかりが来るお店で働いたので私はおじさんとのデュエット曲を割と歌うことができる。デュエットの何が楽しいのか未だに分からないがおじさん達はとても楽しそうで、歳をとっても男性は男性なんだなあ、とよく思っていた。
 ちなみに私は若いというだけで容姿を褒められることが多かったのでブスコンプレックスがこの時少しだけ解消された。
 余談だが、ホステスさんにはホストに激ハマりしている人が割といて、無理矢理連れて行かれたことが何度かあるが、ホストに耳元で
「絶対俺に惚れさせてやるよ・・・」
 と囁かれ、マヒャドでも唱えたのかと思うくらい寒かった。私にはホストを楽しむ才能がない、と思ったが、お姉さんホステス達には入れ込んでいる人が割といた。『アナルまで捧げたのに彼女になれない』と嘆いていたお姉さんのことをよく覚えている。ホストとホステスは似ているようで、ホステスは枕営業はあまりしないが(セックスしたら男の人は満足してしまいお店に来なくなってしまう)、ホストは枕営業しまくる(女の人はセックスしたら情が湧きやすい)という大きな違いがある。ホステスのお姉さん達がホストに通うのを見て、こうして男性が夜の女に使ったお金は最終的にホストに流れているのだな・・・と思っていた。
 どうでもいいことだが、夜の女は働いている人を基本的に『夜職か昼職か』でしか見ていない。昼職といっても詳細に何をしているかとかはどうでもよく、ただ『夜の人か昼の人か』だけで区別がなされていた。昼も夜も働く私はどう思われていたのだろうか、と時々思う。

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