まともがわからない


ずっと、
「普通になりたいなあ」
と思っていた。

まるで普通の女の子みたいに、
メジャーアーティストの曲とか聴いて涙してみたり、
失恋したら旅行とかしてみたり、
インスタ映えに夢中になってみたりとかしたかった。
なんか適当にOLになって結婚して仕事辞めてみたりとかしたかった。

でも、どれも全然私にはピンと来なかった。
食べ物が運ばれてきたら熱いうちに食べたいから写真とか撮りたくねえ、
と思ってしまうし、
メジャーアーティストの曲は当たり前のことを言いすぎていて、
「なんか失恋したら悲しかった」
みたいな歌詞のどこで泣けばいいのか共感したらいいのかまじで謎だったし、
仕事はめちゃくちゃ楽しかった。


多分、両親が無職で貧乏すぎて神社の奥で虫と育って難病持ちの私には、
「普通になる」素養が足りなさすぎた。
育つ過程で「普通」のことが一つもなさすぎていた。


それでも私は普通になりたかった。
普通の人の方が、幸せそうに見えたから。
「普通じゃない」
ことの重すぎる十字架を背負って足の裏を血豆だらけにしてそこらじゅう血まみれの足跡をつけながら生きるよりも、
「普通」に生きた方が人生楽勝そうに思えたから。

それなのに、
「普通」に憧れに憧れているのに、
やっぱり普通の人が普通にやっていることはどう頑張っても私にはできなくて、
普通に毎朝同じ時間に起きて同じ電車で同じ会社に行くことすらできなくて、
結果自営業になって、

気付けばクソ元彼エピソード王選手権を主催していた。



普通って、なんだ。

まともって、なんだ。



多分私はもう、戻れない。

もう今更、「普通の女の子になりたいです」とか言えない。

マイクを地面に置いたところで戻れない。

なぜなら普通の女の子はクソ元彼エピソード王選手権なんて開催しないから。


でも、一度「普通」のレールを思いっきり外れてしまえば、

それはそれで楽しいことがめちゃくちゃ待っていた。

「普通」の才能のない私を面白がってくれる人がいて、

やりたいことに協力してくれる人がいて、

誉めそやしてくれる人がいた。

もっとガンガンいきなよ!と応援してくれる人もいた。



「普通憧れ」さえ捨ててしまえば、

なんだかよくわからないけれど、

いきなりすごく人生が楽に感じられるようになった。

重すぎた肩の荷を、やっと下ろせたような感覚だった。

私は33才にしてやっと、心から、思うことが出来た。



「私・・・・・・・普通じゃなくても、いいんだー!」




パリーーーーン!!!!!!!!!!!





「おめでとう」「おめでとう」「おめでとう!」「おめでとう」






みんな・・・・・・・・・・





「ありがとう」








と、いうことで、

やっと普通憧れから脱することができたので、

普通になれない才能を活かして、

2019年は楽しみまくりたいと思います。

noteもいっぱい書くぞ。


2019年も、

まともがわからないいつきを、

どうぞよろしくお願いいたします。





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