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葉桜の季節に君を想うということ 前編

タイトルは、歌野昌午さんの叙述トリックを駆使したミステリー作品から拝借している。こういった好きな作品のことも述べてみたいと思うのだけれど、今回は別の作家さんの話になる。

思えば10代の頃、ぼくは超絶にアホだった。

この字面だと、まるで「いや、今ではそうでもないんですよ」とでも言いたげで、読んでいる人に錯覚を与えようとしているみたいだけれど、昔は今より更にアホだったというだけに過ぎない。

当時、何を語るにも語彙が貧困だなぁと自覚のあったぼくは、10代も終盤になってとにかく何でもいいから活字の本を読もうと考えるようになった。
その頃、実家に帰っていたタイミングで奇しくもある新聞広告に目が留まる。
おぼろげな記憶だけれど、そこには「文學界新人賞」「最年少受賞」「女子大生作家」といった魅力的な文言が並んでいた覚えがある。

そう称されていたのは、短編「川べりの道」で文學界新人賞を当時史上最年少で受賞された上智大学在学中の鷺沢萠さんだった。
ぼくと同じ年齢ということ、また同作の執筆当時、彼女がまだ18歳の高校生であったことに衝撃を受けた。
こちらはアホすぎるという自覚と危機感から本でも読もうと思っているときに、片や同い年の彼女はこの輝かしい経歴を引っ提げての華々しい文壇デビューである。

新聞広告ひとつで気分が高揚したぼくは本屋さんに行き、「帰れぬ人びと」を購入すると家路を急いだ。ちなみに本書は表題にもなっている芥川賞候補作となった「帰れぬ人びと」のほか、文學界新人賞受賞作「川べりの道」を含む4つの短篇が収録されている。

帰宅して早速ページを捲ると冒頭には1ページを使い、はにかんだように微笑む彼女のポートレートが載っていた。

美人だった。

おい、おい、不公平すぎるだろ。天は彼女に何物を与えるつもりなんだ。

そして一気に読了したぼくは、こう思った。

おい、おい、おい、不公平にもほどがあるだろ。天は彼女に何物を与えたら気が済むんだ。いい加減にしろよ。

当時のぼくに読解力があったとは思えないけれど、それでもこれを本当に同い年が高校生のときに書いたのか・・・と、にわかには信じがたいその文才に愕然とした。また才能だけでなく、ほぼ同じ時間を生きてきたという現実を考えるとその間に彼女がされてきたであろう途方もない努力を想像し、ぼくはすっかりひれ伏す思いになった。

このときのぼくの心情を書き表すのは難しいのだけれど、あえて挙げるとすれば宇多田ヒカルさんが15歳でデビューしたときの、あの圧倒的な天才が現れたという衝撃が近い気がする。
18歳で文學界新人賞を受賞し作家デビューをした鷺沢萠さん。
15歳でデビューし、ファーストアルバムでいきなりアルバムセールスの金字塔を打ち立てた宇多田ヒカルさん。

天才という冠言葉は、やはり若い人の方がしっくりくるなぁ。
歳を重ねた人にもいないことはないけれど、そういった人を重鎮や巨匠と呼ぶことはあっても天才と呼ぶことはあまりないもんな。
神童という言葉があるように、若いのに類稀な能力を備えているからこそ天才という言葉が似合うし、きっと説得力も増す気がするんだな。

これは余談になるけれど先述の話のように、もしあのとき活字の本を読もうと意識をしていなかったら、やはり新聞広告に目が留まることもなかっただろうな、と思う。

つづく


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