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天才の盲点

天才や才能という響きには、やはり惹かれるものがある。

ここまでに述べてきたように陰の側面もあるのだけれど、それも込みでその言葉には、なんとも陶然とさせる不思議な魅力がある。それは稀代の才能を有する選ばれしもの、という自分にはないものへの憧れに他ならない。

つまり端的にいってしまえば、理屈抜きにカッコいいのである。

やはり人は自分にないものを持つ人、それを備えた人に惹かれるものなんだなぁ。

ここまで天才や才能ある人のことを述べてきたけれど、この話題の最後にそんな天才やそう称される人にも盲点、あるいは弱点があると、ぼくが考えることについて述べてみる。

天才までとはいかなくとも仕事などで才能あふれる人は、他人に教え伝えるよりも自分でやってしまった方が早いと考える人が多い。また、仮に職場の仲間や周囲の人へ教えてもできなかった場合、おそらくこう思われている。

なぜ、できないのかがわからない。

これは、自分が感覚や才能のみでできてしまうゆえの無理解である。
人は自分のできないことに対し、なぜできないのか?と思索や努力をする人は多い。ところが指導者など他者に伝えることを前提とする立場の人は別として、大抵の場合はできること、できてしまったことをなぜ?と、振り返ってまで突き詰め考える人はおそらく少ない。

天才はまさにこのタイプで、往々にして自分のやっていることや思考を言語化して他人に伝えることができない。というか、それをやったところで伝わらないことを初めからわかっているので、やらない場合が多いのだと思う。
また、教えるとか伝えるといったことに興味さえない可能性が高い。

そりゃ、そうである。

類稀な才能を備えているから天才なのであって、凡人が簡単に理解できること、伝わるようなことなのであれば、そもそもそれをもって天才と呼ぶほどのことだとも思えない。

つまり、ぼくの考える天才の盲点、あるいは弱点とは、「再現性のなさ」のことなのである。

今日は時間がなくなっちゃったので、続きはまた明日。

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