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十八歳の地図

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

ぼくが料理人を目指すようになったのは、高校3年生のときにドキュメンタリー番組で観た三國清三さん(オテル・ドゥ・ミクニ)がきっかけだった。
当時、平松さん(レストラン ひらまつ)や美木さん(ジャンムーラン)といったスターシェフが取り挙げられていた番組だったので、ぼくら世代の料理人の方々の中には料理人やフランス料理を目指すきっかけになったのが、この番組だった方も多いのではないかと思う。

テレビに映る見たことも食べたこともないお皿の上の綺麗な料理に惹かれたこともあるけれど、いつか海外で暮らしてみたい、何か事業(店)をしたいと漠然と考えていたぼくは「フランス料理を目指せばフランスで暮らせ、いつか自分の店もできるから一石二鳥だ」という恐ろしく安直で甘い考えが頭を過ぎり、番組が終了する22時ごろには自分の進路を決めていた。

よし、フランス料理の修業をしよう

思い立ったらすぐにでも働きたい、アルバイトで構わないからとにかくフランス料理屋さんに入りたいと考えた。
ところがどうすればフランス料理屋さんに入れるのかもわからなければ、そもそも当時ぼくが暮らしていた地元には、フランス料理店なんてものは1軒もなかった。そこで焦ったぼくは、こう考えた。

そうだ、厨房だ。とにかく厨房というものを知らなければ。1日でも早く厨房に慣れた方がいい

学校に行っては友達に「どっか厨房で働けるところない?」と訊いてまわっていると、「俺がバイトしてる店、紹介しようか」と言ってくれる同級生が現れた。
ついに憧れの厨房で働くことができる。

それがいまでは全国に100店舗以上になったチェーンレストランで、当時は2軒しかなかったファミレスの2号店だった。

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