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そこじゃない

昨日、本屋さんの前途が決して明るい見通しではないと、ぼくが考える理由を述べた。

ここで、この話題の冒頭に戻る。

先日、テレビをつけていると夕方のニュースで「店が半減、消えゆく書店 経産省が支援策」というテロップが目に留まり、しばらく見入った。
内容は文字通り、町から急激に消えゆく書店を支援するために経産省が大臣直轄のプロジェクトチームを立ち上げるという。

ぼくは、ここで(note)政治や社会のことに意見をしたり、ぶった斬るような気は更々ない。それでもニュースを見ていて、何かずれているのではないのか、そうじゃないだろうと感じた。

この期に及んで何を言っているんだ、と。

まず、このご時世に消えゆくのは何も本屋さんだけではない。
人工知能の急速な進歩によってたくさんの仕事が奪われると喧伝される昨今、おそらく多くの人が明日は我が身、と不安を抱えながら働いている。
また人工知能うんぬん以前に、目前の物価高や人材難が原因で消えゆくお店や仕事だってたくさんある。なのに・・・

なぜ、支援が本屋さんだけ?

それなら「消えゆく職人仕事」「消えゆく食べもの屋さん」「消えゆくいろんな仕事」も支援しなよ、とシンプルに思う。でないと、道理に合わない。
今回の件で彼ら政府が大義としているのは、先述した著作物への特例の理由と似たようなものだ。書店のない自治体の懸念として挙げているのは以下のようなものだった。

「本と出会う機会喪失に」 

「平等な教育の機会を」

はぁ?

この期に及んで何を言っているんだ。
いつもの詭弁だな。それにしても失笑を禁じ得ないほどの安直なひどい建前だ。

どうしてリアルな書店でないといけないの? 

なぜ、紙の本でないといけないの?

そもそも、その対象はデジタルネイティブな世代の子どもたちなんですが。

所詮、彼らの大義なんてこの程度であり、それも正確には大義などでなく建前の方がおそらく正しい。
喉元過ぎれば熱さを、な人たちだから自分たちに都合の悪いことは、すっかり忘却の彼方に去って久しいのだろう。当人たち以外、施策の時点で多くの人が嘲笑と懸念しか抱かず、他人のお金(税金)を投入しながら案の定、残念な結果となったクールジャパン機構の件もすでにお忘れになったか。
いや、自分の腹が痛まない他人のお金なんだから、もう忘れているに違いない。
そんな人たちのやることだから「あー、キミたちは、また税金の中抜きでも考えているんだろう」と、ぼくは怪訝な思いを抱きながら呆れイラついている。

彼らの傲慢で独りよがりな施策は、いつも本質はそこじゃない感に溢れていて本気で課題を解決する気があるとは到底思えない。
また、そのやり方も本屋さんをますます骨抜きにし、政府や助成金への依存を助長させるばかりで、何ら自立を促し支援するものとも思えない。
昨日述べたように、ぼくは政府や役人がどんな大義や建前で多額の税金を投入しようがそんなものは延命にしかならず、時代の流れによる淘汰に抗うことはできないと思っている。

近年、そんなムダな税金を投入されなくとも本屋さん自体が能動的に思考し努力をされ、上手く運営をされている独立系書店と呼ばれる本屋さんがある。彼らが「オシャレ本屋さん」と括られ認識されていることに何ら異論はないけれど、いやいや、本質はそこじゃない気がする。

この出版大不況、紙の本が存続の危機にさらされている状況にあってなお、大変僭越だと承知の上でぼくは一般的な本屋さんからは危機感があるようには思えない。これもまた「特例の功罪」であろうとは思うけれど。
一方、独立系書店のあの創意工夫やお客さんの方を向いた真摯な姿勢や取り組みからは、オシャレさ以上に本当の意味での危機感が窺える。

やはり、ムダな税金を投入することが本屋さんを救うことや支援になるとは到底思えない。つまり、利己的な考えで弱きを救うフリをして、町の本屋さんを利用すんな、と。本屋さんも利用されんな、と。
そんな彼らの思いつきや詭弁なんて所詮、社会のためのようで結局、自分本位な考え方でしかない。そして率直に厳しいことを言えば、そこまでして延命するくらいなら淘汰されるべきとも思う。

よく言われることだけれど、民間のやることに政府や役人がしゃしゃり出てくんな、と。

本当に町の本屋さんのことを心配し考えるのであれば、そんなあなたたちにできる支援は、インボイス廃止の方が先なんじゃないんですか?
と、思うのは、ぼくだけではない気がするんだけれど。

あ、ぶった斬ってしもうた・・・反省。


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