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目に見えない豊かさ

ちょうど一年前ぐらいに、生ゴミをプランターの土に埋めると分解されて、豊かな土ができるしゴミは減るし、いいことづくしだよ、と聞いて、料理で出る野菜の皮や芯やヘタを細かく刻んで、放置されていたプランターの土に混ぜていた。よく調べずにはじめて、生ゴミは減るし、時間が経つと野菜の芯が形を変えていたことが嬉しくて、続けた。暖かい季節になり、しばらくするとプランターに小さな虫が増えていて、予想はしていたものの遠ざかるようになり、生ゴミを混ぜることもやめてしまった。プランターはそのまま放置した。

先日久しぶりにのぞいてみたら虫はいなくなっていて、生ゴミもほとんど形を無くし分解が進んだようだった。時々に雨に濡れる程度で他に何もしていなかったので乾いた土になっていたけれど、せっかくだからと簡単に育てられそうな野菜の種をネットで購入した。子どもの頃に幼稚園の畑で植えた二十日大根の種だ。これなら失敗しないだろう。
届いた種の袋を開けてみたら、ゴマのように小さくサラサラと乾燥した粒が入っている。これが本当に野菜になるのだろうか?砂場に混ざっていたら絶対にわからない。よく遊んだ娘の靴を傾けたら出てくる砂と同じように見える。
娘と一緒に土にくぼみをつくり、小さな粒をポトポトと落とす。土をかけて100均で買ったぞうさんのジョウロで水をかける。「おいしくなあれ」と娘が話しかけている。
その日から起きたらまずはベランダのプランターをチェックすることが日課になった。3日目にかわいらしい双葉が芽を出していた。あの砂つぶのような種から、こんなにみずみずしい葉っぱが出てきたのだと思うと不思議でならない。3日水をあげただけで、驚異的な変身じゃないか。奇跡。放置していた土も、水を得てフカフカに豊かになっている。こんな奇跡って他にない。
そこからまた3日ほどすると、ほとんどの種から芽が出て、プランター所狭しとニョキニョキと育っている。これではいい大根はできないから、と間引きをする。近づきすぎている双葉を選んで引っ張ってみると、こんなに小さな芽なのに、根はしっかりと張っていて、するりとは抜けない。土を避けて、周りを掘ってから抜くと、土に出ている部分の倍以上の根っこが伸びていた。そしてうまく土と絡んでいる。たった数日なのに、この生命力。

間引いた双葉たちは、今日のお味噌汁に入れることにした。こんなに「豊か」という言葉がぴったりなことって他に思いつかない。目に見えることって本当にわずかなことしかない。あの小さな粒のような種がこんな風になるなんて。あの生ゴミたちと乾燥した土が、こんなフカフカな土になるなんて。目に見えないものですくすく循環していることの心地よさ。その循環の中にいるのだと思えることの豊かさ。

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