一枚の落ち葉が教えようとしてくれていること
何かものを書く時に感じる、「意味のあること」や「価値のあること」を書かなければいけないのではないか、という切迫感のようなもの。ずいぶんと(というよりは当たり前に)、現代の生産性第一!みたいなヤツに自分も絡みとられているなと思う。表現したいと思った衝動に意味を持たせず、ただ書いてみることに身を委ねても誰も何もいいやしないのに。
自分の「書いてみたい」の奥には何があるんだろうか。なんとなく、今あるのは「感じる」ということにスペースと奥行きを与えたいような感じがある。なんとなく。